MVP ARCHIVE HISTORY|Energy : Nuclear Energy 06 : Commercial Nuclear Power / 商用原子力発電の始まり


商用原子力発電の始まり
1950年代、核分裂 によって生まれる熱を、継続的な電力供給へ利用する試みが始まった。
Chicago Pile-1 は、核分裂 の連鎖反応を制御できることを示した。
戦時中に建設された大型原子炉は、主に核兵器に使用する物質の生産を目的としていた。
しかし 第二次世界大戦 後、原子炉の熱で蒸気をつくり、タービンを回して発電する構想が現実の技術へ移されていく。
原子力 は、研究施設や軍事計画の内部から、社会へ電力を供給するエネルギー技術へ進み始めた。
原子炉から電気をつくる
原子力 発電の基本的な仕組みは、火力発電と大きく異なるものではない。
火力発電所では、石炭 や 石油、天然ガスを燃焼させ、その熱で水を蒸気に変える。
原子力 発電所では、燃料を燃焼させる代わりに、ウラン原子核の 核分裂 によって熱を発生させ、その熱でつくられた蒸気がタービンを回し、発電機によって電気へ変換される。
Obninsk Nuclear Power Plant
1954年6月、ソビエト連邦のオブニンスク原子力発電所が送電網へ接続された。出力は約5メガワットで大規模な発電所ではなかったが、原子炉で生み出した電力を公共の送電網へ供給した世界最初の原子力発電所となった。
オブニンスクの原子炉は、水で冷却し、黒鉛を中性子の減速材として使用する構造を持っており、ここでの運転経験は、ソビエト連邦における後の原子炉開発へつながっていった。


Calder Hall
1956年、イギリス北西部で Calder Hall が運転を開始した。
Calder Hall は、複数の原子炉を備え、継続的な電力供給を目的として建設された世界最初期の本格的な原子力発電所だった。
原子炉には天然ウランを燃料とし、黒鉛を減速材、炭酸ガスを冷却材として使用する Magnox 型が採用された。
1956年10月17日、エリザベス2世によって正式に開所された。
発電した電力はイギリスの送電網へ供給されたが、施設には軍事用プルトニウムの生産という役割も存在していた。
原子力発電と冷戦期の核開発は、まだ完全に分離されたものではなかった。


Shippingport Atomic Power Station
1957年、アメリカ・ペンシルベニア州で Shippingport Atomic Power Station が運転を開始した。
Shippingport は、民生用の大型原子力発電技術を実証するため、アメリカ原子力委員会と電力会社の協力によって建設された。
原子炉には Pressurized Water Reactor( PWR / 加圧水型原子炉 ) が採用された。
これは高い圧力をかけた水を原子炉内で循環させ、核分裂 による熱を別系統の水へ伝え、蒸気を発生させる方式である。出力は約60メガワット。
ここで蓄積された設計、建設、運転の経験は、その後広く建設される商用PWRの基礎となった。


発電所を産業として建設する
初期の原子力発電所は、国家主導の実験的な施設として建設された。
・原子炉が安定して運転できるのか。
・燃料をどのように製造するのか。
・放射線から作業員と周辺環境をどう守るのか。
・使用済み燃料をどのように管理するのか。
・原子炉を停止した後も残る熱を、どのように取り除くのか。
商用化には、核分裂 を起こす技術だけでなく、長期間にわたって安全に発電所を運営する仕組みが必要だった。
政府、研究機関、原子炉メーカー、建設会社、電力会社、規制機関。
原子力 発電は、多くの組織と技術を結びつける巨大な産業として形成されていった。
PWRとBWR
商用原子力発電 の拡大とともに、複数の原子炉方式が開発された。
アメリカを中心に普及した代表的な方式が、PWR と Boiling Water Reactor( BWR / 沸騰水型原子炉 ) である。
PWR では、原子炉内を流れる高温高圧の水と、タービンを回す蒸気の系統が分けられている。
BWR では、原子炉内で直接水を沸騰させ、発生した蒸気をタービンへ送る。
イギリスではガス冷却炉、カナダでは重水を利用する CANDU炉、ソビエト連邦では 黒鉛減速・水冷却型 の原子炉など、各国は保有する資源や産業基盤、技術方針に応じて異なる方式を発展させた。
民間電力事業への移行
1960年、アメリカの Dresden Nuclear Power Station が運転を開始した。
Dresden は、民間資金を中心に建設されたアメリカ最初の本格的な商用原子力発電所と位置づけられている。


原子力 は、研究開発の段階から市場の中で電力を供給する産業へ移り始めた。(IAEA Publications)
初期の原子炉の出力は数メガワットから数十メガワットだったが、その後は数百メガワット、さらに1000メガワットを超える原子炉が建設されるようになり、大型化によって一基あたりの発電量は増加、原子力 発電所は国家の電力供給を支える大規模インフラとなっていった。
1970年代の拡大
1970年代、石油 価格の上昇と エネルギー安全保障 への不安が世界に広がった中、石油 輸入への依存を減らし、国内で安定して電力を生産する手段として、原子力発電への期待が高まった。
フランス、日本、スウェーデンをはじめ、多くの国が原子力発電所の建設計画を進めた。
特にフランスでは、標準化した PWR を集中的に建設し、原子力 を国家の主要な電源へ育てていった。(ワールド・ニュークリア・アソシエーション)
原子力 発電は、実験的な新技術ではなく、大量の電力を長期間供給する現実的な選択肢として扱われるようになった。
新しい管理の必要性
商用原子力発電の拡大は、新しい制度を必要とした。
・発電所を建設する事業者と、その安全性を審査する組織を分けること。
・原子炉の運転状況を監視すること。
・事故や異常に備えた設備と手順を整えること。
・核燃料と放射性廃棄物を長期間管理すること。
さらに、平和利用のために提供された核物質が、核兵器へ転用されないことを確認する必要もあった。
原子力 発電は、発電所の内部だけで完結する技術ではない。
法制度、国際管理、地域社会、廃棄物管理まで含めた長期的な仕組みによって成立するエネルギーシステムだった。
歴史的意義
Commercial Nuclear Power は、核分裂 という科学的発見を、社会へ電力を供給する産業へ変えた。
Obninsk は、原子力 による電力を初めて送電網へ送り出した。
Calder Hall は、本格的な原子力発電所の運転を始めた。
Shippingport は、民生用原子炉の設計と運転を実証した。
その後、電力会社による大型原子力発電所の建設が世界各地で進んでいった。
核分裂 の発見・連鎖反応の制御・原子炉の建設・発電技術への転換。
そして、商用電力事業への導入。
原子力 が社会のエネルギー基盤となるまでには、複数の段階が必要だった。
Commercial Nuclear Power は、人類が原子核の内部から取り出したエネルギーを、日常の電力として使い始めた時代を示している。

