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Treaty of Peace with Japan1951 / サンフランシスコ平和条約 - 占領の終結と日本の主権回復へ

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サンフランシスコ平和条約 - 占領の終結と日本の主権回復へ

Treaty of Peace with Japan / サンフランシスコ平和条約
署名|1951年9月8日
発効|1952年4月28日
署名地|アメリカ合衆国・サンフランシスコ
日本側全権|吉田茂

1945年8月、日本は ポツダム宣言 を受諾し、第二次世界大戦 における降伏を決定した。
同年9月2日、降伏文書への署名によって日本の降伏は正式なものとなり、その後、日本は 連合国軍最高司令官総司令部( GHQ / SCAP )の下で占領期に入った。

降伏によって戦闘は終了したが、日本と連合国との戦争状態を法的に終了させ、日本の国際的地位や領土、賠償などを整理するためには、改めて平和条約を締結する必要があった。

その役割を担ったのが、サンフランシスコ平和条約 である。
この条約の発効によって、日本は連合国による占領から離れ、主権国家として国際社会へ復帰することになる。

講和へ向かう日本

占領初期の日本では、非軍事化 と 民主化 を中心とした改革が進められた。
日本国憲法 の制定、軍の解体、政治制度の改革、農地改革、財閥解体など、戦前の国家制度と社会構造に大きな変更が加えられていった。

第二次世界大戦 終結後、アメリカとソ連の対立が強まり、世界は 冷戦 へと移行する。
1949年には 中華人民共和国 が成立し、1950年には 朝鮮戦争 が勃発した。
アメリカを中心として、日本との講和に向けた交渉が本格化していく。

サンフランシスコ講和会議

1951年9月4日、サンフランシスコで日本との講和を目的とした国際会議が開かれ、会議には日本を含む多数の国が参加した。

日本政府の全権代表団を率いたのは、当時の内閣総理大臣 吉田茂 である。
1951年9月8日、日本と連合国側諸国との間で 日本国との平和条約( Treaty of Peace with Japan )が署名された。

ソビエト連邦は会議には参加したものの条約へ署名せず、ポーランド、チェコスロバキアも署名しなかった。
中華人民共和国と中華民国のいずれも講和会議には招請されなかった。

戦争状態の終了

条約第1条は、日本と連合国との戦争状態を終了させることを定め、同時に連合国は、日本及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認した。
ここが サンフランシスコ平和条約 の最も重要な位置づけの一つである。

1945年以来、日本には政府、国会、行政機構などが存在していたが、その上には連合国による占領統治が存在していた。
平和条約の発効によって、この占領体制が終了し、日本は自国の外交や国内統治について、主権国家として行動する状態へ戻ることになった。

領土に関する規定

サンフランシスコ平和条約 は、日本の領土についても重要な規定を置いた。

朝鮮の独立を承認し、朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄。
台湾及び澎湖諸島に対する権利、権原及び請求権を放棄。
千島列島並びに1905年の ポーツマス条約 によって日本が取得した南樺太及びその附近の島々に対する権利、権原及び請求権を放棄。

さらに南洋諸島、南極地域などについても、日本がそれまで主張していた権利の放棄などが規定された。
一方、日本が放棄した領域の帰属先が条文上明示されていないものがあり、その後の東アジアにおける領土問題を理解するうえでも重要な条約上の特徴となっている。

沖縄・奄美・小笠原

条約第3条では、南西諸島や小笠原諸島などについて、アメリカが行政・立法・司法上の権力を行使できる枠組みが定められた。

奄美群島|1953年に日本へ復帰
小笠原諸島|1968年に日本へ復帰
沖縄|1972年に日本へ復帰

したがって1952年4月28日は日本全域が同時に現在の統治状態へ戻った日ではなく、日本本土を中心とする占領統治が終了し、日本が主権国家として復帰した日として位置づける必要がある。

賠償と戦後処理

条約では、戦争によって生じた賠償や財産・請求権についても規定された。
日本には戦争によって連合国側に生じた損害を賠償する責任があることが認められた一方、日本の経済状態についても考慮された。

日本はその後、関係国との二国間協定などを通じて賠償や経済協力を実施し、フィリピン、インドネシア、ビルマ、南ベトナムなどとの間で、それぞれ戦後処理が進められた。

日本の国際的地位

条約では、日本が 国際連合憲章の原則 を受け入れ、国際連合 への加盟を申請する意思も示された。
また日本が、個別的又は集団的自衛の固有の権利を有することについても条約上確認されている。

1956年には 日ソ共同宣言 によって日本とソ連の戦争状態が終了し、外交関係が回復、同年12月、日本は 国際連合 へ加盟した。

同じ日に署名された日米安全保障条約

1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約 が署名されたその日、日本とアメリカの間ではもう一つの重要な条約が署名された。
日本国とアメリカ合衆国との間の 安全保障条約 ( 旧日米安全保障条約 )。
平和条約によって連合国による占領体制は終了する。

1952年4月28日

1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約 が発効した。
これによって日本と条約締約国との戦争状態が終了し、日本に対する連合国の占領体制も終了した。

1945年から約6年8か月続いた占領期は、ここで大きな区切りを迎える。
GHQ / SCAP による占領統治も終了し、極東委員会( FEC )や対日理事会( ACJ )を含む占領期の連合国側の統治機構も役割を終えていった。
日本は再び、主権国家として国際社会の中を歩み始める。

極東委員会( FEC )や対日理事会( ACJ )

戦後日本を二つに分ける条約

占領されている日本と、主権国家としての日本。
1945年の降伏によって戦闘は終わり、日本は占領下で政治・行政・経済・社会制度を大きく再構築した。
1952年、サンフランシスコ平和条約 の発効によって占領体制が終了した。

Archive Point

サンフランシスコ平和条約 は、第二次世界大戦 後の占領体制を終了させ、日本が主権国家として国際社会へ復帰する法的な転換点となった。

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