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MVP ARCHIVE PEOPLE | Presidents Political Leaders : Bashar al-Assad 1965- / バッシャール・アル=アサド

Bashar al-Assad 1965- / バッシャール・アル=アサド

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バッシャール・アル=アサド

バッシャール・アル=アサド は、2000年から2024年までシリア大統領を務めた政治家である。

ハーフィズ・アル=アサド から政権を継承し、約24年間シリアを統治した。
その時代の大部分を決定づけたのが、2011年に始まったシリア内戦だった。

反政府運動への弾圧、武装勢力の拡大、ISIS の台頭、ロシアとイランの介入、アメリカやトルコを含む外国勢力の関与、大量の難民と国内避難民。

アサド という人物を追うことは、国内の政治的対立が、なぜ21世紀最大級の国際紛争の一つへ拡大したのか、その過程を見ることでもある。

医師を目指した大統領

1965年、アサド はシリアの首都ダマスカスに生まれた。
父ハーフィズ・アル=アサドは軍人・政治家であり、1970年に権力を掌握。翌1971年に大統領となった。

バッシャール は当初、後継者ではなかったが、後継者と見られていたのは兄バースィルが、1994年交通事故で死亡したため、バッシャール はシリアへ帰国し、軍に入り、父の後継者として政治・軍事的な経験を積んでいった。

2000|父から受け継いだ国家

当時34歳だった バッシャール が大統領に就任できるよう、シリア議会は大統領の最低年齢を40歳から34歳へ変更、こうしてアサドは大統領となった。

彼が受け継いだのは、バアス党を中心に、軍、情報機関、治安組織が国家統治を支える強力な権威主義体制だった。
就任当初には政治改革への期待も生まれた。
「 ダマスカスの春 」と呼ばれる時期には、市民社会や政治改革について議論する活動が一時的に活発化する。

しかし政治的自由化は長く続かなかった、反体制活動への規制は再び強まり、父の時代から続く統治構造の基本部分は維持された。

2011|Arab Spring

2010年末、チュニジアから始まった Arab Spring( アラブの春 ) は中東・北アフリカ各地へ広がった。
2011年3月、シリア南部ダルアーでも反政府抗議運動が発生する。

政府は治安部隊を投入し、抗議運動を抑圧した。
抗議は他都市へ拡大し、政府側による弾圧も激化する。
当初は政治改革や自由を求める抗議運動だったものが、次第に政府軍と武装反政府勢力との戦闘へ変化していった。

軍からの離反者も現れ、反政府武装組織が形成される。
Syrian Civil War シリア内戦 が始まった。

一つの内戦ではなくなった戦争

シリア内戦は、政府と反政府勢力だけの戦争には留まらなかった。
反政府側も統一された一つの組織ではなく、世俗的勢力、イスラム主義勢力、クルド勢力など多数の組織へ分裂し、さらにイラク戦争後に形成された武装組織の系譜から、ISIS がシリアへ勢力を拡大する。
2014年には、ISIS がシリアとイラクの広大な地域を支配し、「 イスラム国 」を宣言した。
シリア国内には、アサド政権、反政府勢力、クルド勢力、ISIS、その他の武装組織が同時に存在する極めて複雑な戦場が形成された。

国際戦争への拡大

内戦には外国勢力も深く関与した。
イランとレバノンのヒズボラはアサド政権を支援、ロシアは2015年から本格的な軍事介入を開始し、政府軍を支援した。

一方、アメリカは ISIS への軍事作戦を行い、クルド勢力を中心とする Syrian Democratic Forces などを支援した。
トルコも国境を越えて軍事介入し、反政府勢力の一部を支援すると同時に、クルド武装勢力の拡大を警戒した。

こうしてシリアは、国内政治、宗派・民族問題、地域大国間の対立、米露関係、国際テロ対策が重なる場所となった。

化学兵器

シリア内戦では化学兵器の使用も重大な問題となった。
2013年8月、ダマスカス近郊の東グータで化学兵器による大規模攻撃が発生し、多数の市民が死亡した。

国際的な圧力を受け、シリア政府は化学兵器禁止条約に加盟し、申告された化学兵器備蓄の廃棄が進められた。

しかしその後もシリア国内では化学兵器使用が確認され、国際調査機関は複数の事件についてシリア政府軍による使用を認定している。

市民が負ったもの

シリア内戦で都市や住宅地が戦場となり、多数の人々が死亡、さらに数百万人が国外へ逃れ、トルコ、レバノン、ヨルダン、ヨーロッパ諸国などへ避難、国内でも数百万人が住居を追われた。

シリア難民問題は、21世紀最大規模の人道危機の一つとなり、ヨーロッパの移民・難民政策にも大きな影響を与えた。
一つの国家内部で始まった政治危機は、国境を越えて世界へ影響を広げていった。

2015|Russia

2015年、ロシアが アサド政権 を支援するため本格的な軍事介入は戦況を大きく変え、政府軍はロシアの航空支援などを受けて支配地域を回復し、2016年には反政府勢力が支配していたアレッポ東部を奪還した。

その後も政府側は主要都市と人口密集地域の多くを再び掌握する。
一時は アサド政権 が内戦を生き残ったことが確実になったかに見えた。

しかしシリア全土が政府の統治下へ戻ったわけではなかった。
北西部には反政府勢力、北東部にはクルド勢力を中心とする統治地域が残り、外国軍も駐留していた。

2024|政権崩壊

2024年11月末、反政府勢力がシリア北西部から大規模な攻勢を開始した。
政府軍の防衛線は急速に崩れ、アレッポ、ハマー、ホムスなど主要都市が次々と政府の支配から離れ、12月8日には反政府勢力が首都ダマスカスへ入り、アサド はシリアを離れ、ロシアへ逃れた。

1970年に父ハーフィズが権力を掌握して以来、半世紀以上続いたアサド家による統治は終焉極めて急速な政治的転換だった。

アサド後のシリア

長期間の戦争によって国家インフラは破壊され、多数の難民・国内避難民が存在し、国内には異なる政治・軍事勢力が残された。
さらに民族、宗派、地域、外国勢力との関係をどのように再構築するのかという問題も残った。
政権を倒すことと、国家を再建することは同じではない。
シリアはその次の段階へ入った。

Bashar al-Assadが残した歴史

バッシャール・アル=アサド の24年間は、父から継承した統治体制、アラブの春、反政府勢力の分裂、ISISの台頭、宗派・民族問題、ロシアとイランの支援、アメリカやトルコの介入、複数の要因がシリア内戦を形成した。

しかし同時に、2011年の反政府運動に対して アサド政権 がどのように対応したのかは、その後の歴史を理解するうえで避けられない要素である。

Bashar al-Assad を知ることは、国家の統治構造と社会の対立が臨界を越えたとき、その影響が国境を越え、世界規模の連鎖へ変わっていく過程を見ることである。

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