温故知新(143)邪馬台国 鈴鹿関 鼠ヶ関 佐賀関 ローマ 不破関 逢坂山関 クサール・ヌアイラ
倭建命(孝元天皇 景行天皇 成務天皇 品陀真若王) 備前車塚古墳 能褒野神社 氣比神宮 川俣神社 フェロー諸島 日代宮 玉祖神社 大高山神社 入の沢遺跡 ヴェストラホルン山
邪馬台国と関
古代日本には、歴史の中で扱いが不自然に薄い「消された境界(関)」があるようです。意図的に隠されているとすると、神籠石式山城と同様に邪馬台国(やまとのくに)と関係があると思われるので、レイラインを調べてみました。
鈴鹿関跡、鼠ヶ関、佐賀関、ローマ、不破関跡、逢坂山関跡、クサール・ヌアイラ
鼠ヶ関(山形県鶴岡市)と佐賀関(大分県大分市)を結ぶラインは、第8代孝元天皇(倭建命と推定)の陵墓と推定される備前車塚古墳(岡山市中区四御神・湯迫)の近くを通り、このラインは、鈴鹿関跡(三重県亀山市)とローマを結ぶラインとほぼ直角に交差しました(図1)。また、不破関跡(岐阜県不破郡関ケ原町)と逢坂山関跡(滋賀県大津市)を結ぶラインは、鈴鹿関跡とアトランティスの都市があったと推定されるクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差しました(図1)。これらのラインから、これらの関は邪馬台国(やまとのくに)が設置した関と推定されます。

鈴鹿関と成務天皇(倭建命)
鈴鹿関跡と第13代成務天皇(倭建命と推定)が祀られていると推定される能褒野神社(三重県亀山市)の関係を調べてみました。
能褒野神社と鈴鹿関跡を結ぶラインは、氣比神宮(福井県敦賀市)を通るフェロー諸島と鈴鹿関跡を結ぶラインとほぼ直角の関係にあるので、これらのラインの延長線上に指標となる場所を探したところ、川俣神社古跡(亀山市加太中在家)と小野平千度坊の石仏(三重県津市)が見つかりました(図2、3)。これらのラインから、鈴鹿関は、成務天皇(倭建命と推定)と関係があると推定されます。


佐賀関と景行天皇(倭建命)
佐賀関と第12代景行天皇(倭建命と推定)の日代宮があった場所と推定される天満神社(大分県津久見市四浦深良津)の関係を調べてみました。
フェロー諸島と天満神社(津久見市四浦深良津)を結ぶラインの近くに、景行天皇ゆかりの周防国一宮玉祖神社(山口県防府市)や佐賀関があります(図4)。このラインから、佐賀関は、景行天皇(倭建命と推定)と関係があると推定されます。玉祖神社の近くには、景行天皇の行在所(あんざいしょ)跡と伝わる宮城森(みやしろのもり)があります。

玉祖神社の祭神は2柱ですが1柱は不明で、1柱は玉祖命(たまのおやのみこと)で岩戸隠れの際に勾玉を作った神です。別名に玉屋命(たまのやのみこと)、豊玉者(とよたまのみこと)などがあります。玉祖命を祀る神社には、櫛玉命神社(奈良県高市郡明日香村)があり、櫛玉彦命、櫛玉姫命、天明玉命(櫛明玉命)、豊玉命を祀っていますが、饒速日命、御炊屋姫、天明玉命、豊玉命を祀っている可能性が高いとされています。御炊屋姫(丹生都比売命、名草戸畔と推定)は、饒速日命(瓊瓊杵尊と推定)の妻となり、饒速日命との間に物部氏、穂積氏らの祖神である宇麻志摩遅命(孝元天皇、山幸彦と推定)を生んでいます。したがって、玉祖命は、孝元天皇の后と推定される倭迹迹日百襲姫命(豊玉姫命と推定)と推定され、もう1柱の祭神は孝元天皇(大国主命と推定)と推定されます。天明玉命(櫛明玉命)は、『古事記』で大国主命と一体化している櫛八玉(くしやたま)と同神と推定されるので、孝元天皇(倭建命と推定)と推定されます。
鼠ヶ関と品陀真若王(倭建命)
鼠ヶ関と、品陀真若王(出雲建、倭建命と推定)の行宮があったと推定される大高山神社(宮城県柴田郡大河原町)と品陀真若王の城があったと推定される入の沢遺跡(栗原市)の関係を調べてみました。
入の沢遺跡と鼠ヶ関を結ぶラインは、大高山神社とヴェストラホルン(Vestrahorn)山を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。このラインから、鼠ヶ関は、品陀真若王(出雲建、倭建命と推定)と関係があると推定されます。

これらのラインは、品陀真若王(出雲建、倭建命と推定)の頃には、邪馬台国(やまとのくに)が、九州北部から東北南部まで統一していたと推定されることと整合します。
