温故知新(154)武埴安彦命 甲斐銚子塚古墳 三角縁神獣鏡 大神神社 榛名神社
孝元天皇(倭建命) 備前車塚古墳 開化天皇 椿井大塚山古墳 聖岳 北向観音 聖ミカエルの山 剣ヶ峰 伊香保神社 アレクサンドリア 若伊香保神社 古代都市セリヌス
甲斐銚子塚古墳と備前車塚古墳、椿井大塚山古墳
甲斐銚子塚古墳(山梨県甲府市)からは、第8代孝元天皇の陵墓と推定される備前車塚古墳や、第9代開化天皇の陵墓と推定される椿井大塚山古墳から出土した三角縁神獣鏡の同型鏡が見つかっています。
甲斐銚子塚古墳の中心線を前方部から後円部の方向に延長すると倭大物主櫛甕玉命、大己貴神(孝元天皇と推定)、少彦名神を祀り倭迹迹日百襲姫命ゆかりの大神神社(奈良県桜井市)に到達します(図1、2)。このラインは、聖岳(長野県飯田市)を通ります(図2)。甲斐銚子塚古墳の被葬者も、開化天皇と同様に孝元天皇の皇子とすると、武埴安彦命ではないかと思われます。


甲斐銚子塚古墳と榛名神社、伊香保神社
『日本書紀』によれば、武埴安彦命は、妻の吾田媛と共に崇神天皇に対して謀反を起こそうとし、倭迹迹日百襲姫命の占いによって発覚したことになっています。武埴安彦命の母は埴安媛とされていますが、榛名神社(群馬県高崎市)の祭神の埴山姫神は、火産霊神(加具土命)と祀られているので、加具土命と夫婦だったと推定される豊受姫命と推定されます。
榛名神社は、第31代用明天皇の時代に創建されたといわれ、社記によれば、可美真手命(孝元天皇と推定)父子が山中に神籬を立て天神地祇を祀ったのが始まりとされます。
崇神天皇は、孝元天皇と倭迹迹日百襲姫命の皇子の彦太忍信命と推定され、榛名神社の本殿に向かって左側に位置している国祖社には、元島名将軍塚古墳(群馬県高崎市)の被葬者と推定される崇神天皇の皇子の豊城入彦命が祀られています。
榛名神社と備前車塚古墳を結ぶラインは、甲斐銚子塚古墳と聖ミカエルの山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインは、赤岳を通り、北向観音(長野県上田市)の近くを通ります(図3)。榛名山に神籬を立て天神地祇を祀ったのは、孝元天皇(倭建命と推定)と武埴安彦命ではないかと思われます。

榛名山を信仰の対象とするとみられる神社として、榛名神社の他に伊香保神社(群馬県渋川市)があります。有馬氏(阿利真公)が祭祀を行い、最初は若伊香保神社のある渋川市有馬に鎮座していたといわれます。下記によると、伊香保神社には豊玉姫命(倭迹迹日百襲姫命と推定)も祀られているようです。
伊香保神社と図2の聖岳を結ぶラインは、甲斐銚子塚古墳と箸墓古墳とレイラインでつながるアレクサンドリアを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。後者のラインは、剣ヶ峰(岐阜県高山市)を通ります(図4)。また、若伊香保神社と聖岳を結ぶラインは、甲斐銚子塚古墳とアナトリア半島の古代都市セリヌス(Selinus ancient city)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。

大神神社や伊香保神社やアレクサンドリアとつながる甲斐銚子塚古墳の被葬者は武埴安彦命と推定され、武埴安彦命の母は倭迹迹日百襲姫命だったと推定されます。したがって、『古事記』や『日本書紀』にある武埴安彦命の反乱の話も創作と推定されます。
