温故知新(149)ダンワラ遺跡 河姆渡遺跡 和珥氏 アンブヒマンガの丘 水稲
黒又山 萱刈沢貝塚遺跡 サーペント・マウンド グイマーのピラミッド 玉蟾岩遺跡 二里頭遺跡 アルテミス神殿 乙和多都美神社 ギョベクリ・テペ
バミューダ・トライアングルとアンブヒマンガの丘
バミューダ・トライアングルのマイアミから、バミューダ諸島とサン・フアンを結ぶラインと直角になるようにラインを引くと、マダガスカル島の「アンブヒマンガの丘」付近に到達します(図1)。アンブヒマンガの丘の王領地(Ambohimanga, Rova)は、世界遺産の王宮遺跡で、15〜16世紀に島を統一したメリナ王国の聖都です。

黒又山、萱刈沢貝塚遺跡、アンブヒマンガの丘
バミューダ・トライアングルのサン・フアンとつながる黒又山とアンブヒマンガの丘を結ぶラインは、縄文前期から中期の萱刈沢貝塚遺跡(秋田県山本郡三種町)の近くを通ります(図2、3)。遺物として、人の顔が表現された「顔面把手付土器」や黒曜石で作られた石器類なども見つかっています。東京都国立市南養寺遺跡で見つかった「顔面把手付土器」の人物は、ナスカとつながる山梨県南アルプス市の鋳物師屋遺跡から出土した「人体文様付有孔鍔付土器」の人物と同じく3本指です。
鋳物師屋遺跡は、皇居などとレイラインでつながり、天皇家と関係があると推定されますが、天皇家とつながる忌部氏は、シュメールと関係があると推定されるので、「人体文様付有孔鍔付土器」や「顔面把手付土器」の人物は、シュメールの豊穣神イナンナと思われます。縄文人や弥生人はアテナを信仰していたと推定されますが、多くの歴史家は、アテナのルーツがイナンナにあると考えています。


黒又山とバミューダ・トライアングルの中心付近(図4)とアンブヒマンガの丘を結ぶと球面三角形を描きます。

サーペント・マウンド、グイマーのピラミッド、アンブヒマンガの丘
サーペント・マウンドとアンブヒマンガの丘を結ぶラインは、アトランティスと関係があると推定されるグイマーのピラミッドの近くを通ります(図5)。メリナ王国を建てたメリナ人は、1世紀頃にインドネシア方面からマダガスカルの中央高地へ移住したマレー・ポリネシア系民族で、彼らは島に高度な稲作文化(水稲)をもたらしたとされています。

ダンワラ遺跡、河姆渡遺跡、アンブヒマンガの丘
邪馬嘉国(女王国)の神夏磯姫の墓と推定されるダンワラ遺跡(大分県日田市)の周辺には、紀元前1世紀頃から水田域や大規模な集落が形成されていた遺跡が複数存在します(日田市の歴史と文化財)。近年の植物遺伝学や考古学の調査によって、日本の稲作は「朝鮮半島を経由せず、中国の長江流域から直接伝来した」とする説が有力になっています(こだわりアカデミー)。
ダンワラ遺跡とアンブヒマンガの丘を結ぶラインの近くには、稲作農業(水稲)を基盤とし、約7000年前の大量の炭化した米や籾殻が出土した河姆渡遺跡や、約12000年前のイネの痕跡(米粒)が発見されている玉蟾岩遺跡(湖南省)があります(図6)。このラインから、日田地区の水稲や稲作は、マダガスカルのアンブヒマンガの丘から玉蟾岩遺跡、河姆渡遺跡を経由して伝わったと推定されます。稲作(アジアイネ)の起源は中国、長江流域、湖南省あたりとされていて、マダガスカルの稲の野生種は、東南アジアの野生種とは異なるので、マダガスカルには、12000年前以前に、スンダランドから稲(アジアイネ)の栽培種と稲作がもたらされたと思われます。

神夏磯姫は、宗像三女神の多岐都比売命(倭迹迹日百襲姫命と推定)と血縁関係があると推定されるので、図6のラインは、河姆渡遺跡が和珥氏と関係があると推定されることと整合します。和珥氏の「ワニ」は爬虫類の鰐であるとされ、鰐は中国江南にも生息していることなどから、宝賀寿男氏は、和珥氏は中国江南から来た海神族の流れと推定しています1)。河姆渡遺跡は揚子江下流域にありますが、揚子江にはヨウスコウアリゲーターがいるようです。
アルテミス神殿、二里頭遺跡、河姆渡遺跡
倭迹迹日百襲姫命を祀っていると推定される高良大社とつながるアルテミス神殿と、河姆渡遺跡を結ぶラインは、夏王朝と推定される二里頭遺跡の近くを通ります(図7)。神夏磯姫の墓と推定されるダンワラ遺跡は、二里頭遺跡とレイラインでつながっているので、図6と図7のレイラインと合わせると、神夏磯姫の墓と推定されるダンワラ遺跡、河姆渡遺跡、二里頭遺跡を結ぶラインで球面三角形が描け、神夏磯姫が夏王朝と関係があると推定されることと整合します。

ギョベクリ・テペ、アンブヒマンガの丘、ダンワラ遺跡
ギョベクリ・テペとアンブヒマンガの丘を結ぶライン上には、古代の遺跡(テル・ハンマーム・エト・トゥルクマーン(Tell Hammam et-Turkman))や火山(ジャバル・アル・ヒル火山口(Jabal Al-Hil Volcano Crater))があります(図8、9)。


アンブヒマンガの丘(マダガスカル語で「青く美しい丘」の意)には、ギョベクリ・テペ(「太鼓腹の丘」の意)のような古い遺跡が埋まっているのではないかと思われます。
ダンワラ遺跡は、豊玉姫命と関係があると推定される八大龍王 龍神の池(水分神社境内)と二里頭遺跡を結ぶラインの近くにありますが、ダンワラ遺跡とギョベクリ・テペを結ぶラインは、豊玉姫命を祀る神功皇后ゆかりの乙和多都美神社(長崎県対馬市)の近くを通ります(図10)。

このラインは、神夏磯姫と倭迹迹日百襲姫命や神功皇后との関係を示していると推定されます。ダンワラ遺跡、ギョベクリ・テペ、アンブヒマンガの丘を結ぶ3本のレイラインで球面三角形が描けます。約6000年前の稲のプラントオパールがみつかっている彦崎貝塚(岡山市南区)や、穴門武媛命(神功皇后と推定)が祀られている穴門山神社(岡山県倉敷市真備町)もギョベクリ・テペとレイラインでつながっています。
文献
1)宝賀寿男 2012 「和珥氏」 青垣出版
