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温故知新(127)垂仁天皇 宝来山古墳 金蔵山古墳 狭穂姫命 行燈山古墳 神功皇后 富雄丸山古墳 モン・サン・ミシェル 八大龍王神社 牧岡神社

 垂仁天皇の陵墓と推定される金蔵山古墳の推定築造年は、4世紀後半から5世紀初頭で、崇神天皇の陵墓と推定される3世紀末の浦間茶臼山古墳や、彦坐王(日子坐王)の陵墓と推定される3世紀後半から末の桜井茶臼山古墳より1世紀ほど新しく矛盾しています。成務天皇の築山古墳は、5世紀に吉備に新しく作り直したと推定されるので、金蔵山古墳も同様に作り直したのではないかと思われます。

 第11代垂仁天皇の陵に治定されている宝来山古墳(奈良県奈良市尼ヶ辻町)は、340年から360年頃の築造と推定され、宝来山古墳付近を本貫とした土師氏や、垂仁天皇の埴輪説話との関係から、垂仁天皇の陵墓の可能性が高いとする見解もあります。周濠内にある小島は、田道間守の墓と伝えられています。

 倭国香媛(大日孁貴、天照大神と推定)の陵墓と推定される楯築遺跡(岡山県倉敷市)と宝来山古墳を結ぶラインの近くに金蔵山古墳や瓊瓊杵尊(饒速日命)と丹生都比売命の陵墓があると推定される天王山古墳群(神戸市西区)があり、これらはほぼ同緯度にあります(図1)。

図1 楯築遺跡と宝来山古墳を結ぶラインと金蔵山古墳、天王山古墳群

 金蔵山古墳と神皇産霊尊の墓があると推定される音羽古墳群の近くにある音羽古墳公園(滋賀県高島市)を結ぶラインは、開化天皇(鵜葺草葺不合命と推定)の城だったと推定される八上城跡(兵庫県丹波篠山市)の近くを通り、このラインは、宝来山古墳とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。

図2 宝来山古墳、金蔵山古墳、音羽古墳公園を結ぶ三角形のラインと天王山古墳群、八上城跡、宝来山古墳とスカラ・ブレイを結ぶライン

 宝来山古墳と建稲種命(狭穂彦王と推定)の子の尾綱根命神功皇后の陵墓と推定される富雄丸山古墳を結ぶラインは、垂仁天皇の后の狭穂姫命の陵墓と推定される行燈山古墳彦坐王(乎止与命と推定)の陵墓と推定される桜井茶臼山古墳とつながるモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図3)。このラインは、宝来山古墳が垂仁天皇の陵墓と推定されることと整合します。行燈山古墳は、金蔵山古墳や景行天皇(誉津別命と推定)の陵墓と推定される植月寺山古墳と関係付けられています。

図3 行燈山古墳、宝来山古墳、富雄丸山古墳を結ぶ三角形のライン、行燈山古墳とモン・サン・ミシェルを結ぶライン

 宝来山古墳とモン・サン・ミシェルを結ぶラインは、八大龍王を祀る天橋立神社(京都府宮津市)の近くを通ります(図4)。

図4 宝来山古墳とモン・サン・ミシェルを結ぶラインと天橋立神社

 宝来山古墳の中心軸を前方部方向に延長すると押熊八幡神社(奈良市押熊町)や八大龍王神社(押熊町)があります(図5)。この地には、もともと八大龍王神社があったようです。金蔵山古墳も八大龍王権現大野神社(鳥取県八頭郡若桜町大野)と関係付けられていて、垂仁天皇と豊玉姫命(倭迹迹日百襲姫命、卑弥呼と推定)の関係を示していると推定されます。

図5 八大龍王神社と垂仁天皇陵拝所を結ぶラインと押熊八幡神社、宝来山古墳

 宝来山古墳とフェロー諸島を結ぶラインは、図5の八大龍王神社(押熊町)の近くを通り、図4の宝来山古墳とモン・サン・ミシェルを結ぶラインは、八大龍王神社と河内国一之宮 牧岡神社(大阪府東大阪市出雲井町)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図6)。後者のラインは、生駒山 寳山寺(奈良県生駒市門前町)の近くを通ります。牧岡神社の創祀は、初代天皇の神武天皇が大和の地で即位される3年前と伝えられています。

図6 宝来山古墳とモン・サン・ミシェルを結ぶライン、フェロー諸島と宝来山古墳を結ぶラインと八大龍王神社、宝来山古墳と牧岡神社、牧岡神社と八大龍王神社を結ぶラインと生駒山 寳山寺 (生駒聖天)

 宝来山古墳は、仲哀天皇の陵墓と推定される佐紀陵山古墳に後続し、押熊王の陵墓と推定される佐紀石塚山古墳や香坂王の陵墓と推定される五社神古墳に先行する築造順序に位置づけられています。土師氏は、倭讃と推定される香坂王や倭珍と推定される押熊王の影響力を避けるために、垂仁天皇の陵墓を、宝来山古墳から高天原のある吉備の金蔵山古墳に移したと推定されます。