温故知新(150)モアイ 天岩戸神話 ヤンガードリアス衝突説
モアン山 藻岩山 二里頭遺跡 アンブヒマンガの丘 アガスティヤ・マライ グヌン・パダン シヌグ堂遺跡 天岩戸別神社 フゴッペ洞窟 函岳 ギョベクリ・テペ 天岩戸神社 クマヤ洞窟 利尻山(利尻富士) 鹿島神宮 サギノー湾 麻賀多神社 ハドソン湾 安房神社 バダ渓谷 七面山 富士山 千居遺跡 牛石遺跡 スンダランド
モアン山、藻岩山と「天岩戸神話」
北海道標津郡中標津町養老牛にあるモアン山は、「牛文字」が描かれているなだらかな丘ですが、名前が「モアイ」に似ていて、形が「マウンド」に似ているので、前から気になっていた場所です。「モアン」は、アイヌ語の「モ=静か、小さい」と「アン=ある」の2つが組み合わさってできた地名という説があります。ちなみに「モアイ」は、先住民の言葉で「モアイ・アリンガ・オラ」で、日本語では「先祖の顔」という意味のようです。
モアン山とマダガスカル島のアンブヒマンガの丘を結ぶラインは、アイヌの聖地だった藻岩山(札幌市)、夏王朝と推定される二里頭遺跡、インド南部にあるアガスティヤ・マライ(Agasthyamalai)山の近くを通ります(図1)。

藻岩山は、約10,600年前には定住したムラがつくられた上野原遺跡とレイラインでつながり、また、「天岩戸神話」の舞台である戸隠山のふもとにある戸隠神社ともレイラインでつながっています。藻岩山は、モアン山と名前が似ているので調べたところ、藻岩山の本来の名称は、アイヌ語で「いつも上って見張りをするところ(inkar-us-pe)」を意味するインカルシペで、元々アイヌの人々が「小さな岩山(moy-wa)」と呼んでいた現在の「円山」と明治時代に間違えて登録したようです。
アガスティヤ・マライ山は、インドのタミル・ナードゥ州とケーララ州の境界にあり、「アガスティヤ」はヒンドゥー教の賢者で「タミル語の父」です。図1のラインは、日本語とタミル語が似ているといわれることと関係があると思われます。
モアン山とグヌン・パダンを結ぶラインの近くには、天柱石(富山県南砺市)、天岩戸別神社(徳島県名東郡佐那河内村)、シヌグ堂遺跡(沖縄県うるま市)があります(図2)。天岩戸と似た神話は、特に中国南部の少数民族に多く、インドネシアや中国南部などには、広く射日神話・招日神話が存在します。

ヤンガードリアスの原因として、12,800年前の彗星衝突が有力視されています(ヤンガードリアス衝突説)。図2の天岩戸別神社と12,800年に彗星の破片が衝突した場所と推定されているサギノー湾を結ぶラインは、「南極の顔」とつながるフゴッペ洞窟やアイヌの大津波伝説のある函岳(中川郡美深町)の近くを通ります(図3)。このラインから、アイヌの大津波伝説は、彗星の衝突が基になっていると推定されます。これは、笹山遺跡などの火焔型土器が、彗星衝突による大津波を表していると推定されることと整合します。

宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社の神域にある天岩戸とサギノー湾を結ぶラインは、大分県護国神社(大分県大分市)、速谷神社(広島県廿日市市)、佐太神社(島根県松江市)の近くを通ります(図4)。

「天の岩戸伝説」の中で最南端地の伊平屋島にある「クマヤ洞窟」(沖縄県島尻郡伊平屋村)とサギノー湾を結ぶラインは、阿蘇中岳、大元神社(大分県宇佐市)、多鳩神社(島根県江津市)の近くを通ります(図5)。これらのラインから、「天岩戸神話」も12,800年前の彗星衝突と関係があると推定されます。

藻岩山は「天岩戸神話」と関係があるので、彗星衝突と関係があると推定されます。もしかすると、藻岩山は、また彗星が落ちてこないか「いつも上って見張りをするところ(inkar-us-pe)」だったのかもしれません。
七面山 奥之院(山梨県南巨摩郡早川町)とサギノー湾を結ぶラインは、多胡碑(群馬県高崎市)、早池峰山(岩手県)、モアン山の近くを通ります(図6)。このラインから、モアン山も彗星衝突と関係があると推定されます。

モアン山とモアイ、「南極の顔」、モヤイ
モアン山とギョベクリ・テペを結ぶラインの近くには高野神社(網走郡美幌町)、函岳、神津島とつながるレイラインの指標となっている利尻山(利尻富士)があります(図7)。ギョベクリ・テペは、12,800年前の彗星衝突と関係付ける説があるので、このラインは、モアン山を彗星衝突と関係付けていると推定されます。

アンブヒマンガの丘は、ギョベクリ・テペとレイラインでつながっているので、図1と図7のレイラインと合わせると球面三角形を描きます。アンブヒマンガの丘やモアン山には、ギョベクリ・テペと同様に、12,800年前の彗星の衝突を記録した先史時代(新石器時代)の遺跡が埋まっているのかもしれません。
図7のラインの利尻山(利尻富士)の近くには、由来が不明の「小さなモアイ」があります(図8)。このラインは、「モアイ」と彗星衝突が関係があることを示していると推定され、モアイ像のあるイースター島が、彗星衝突と関係があると推定されるサーペント・マウンドとつながっていることと整合します。

「南極の顔」やギョベクリ・テペとレイラインでつながる安房国一宮 安房神社とサギノー湾を結ぶラインは鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)を通り、17,000~12,000年前に北極があったとされるハドソン湾と安房神社を結ぶラインは麻賀多神社(千葉県成田市)を通ります(図9)。これらのラインから、安房神社も12,800年前の彗星衝突と関係付けられていると推定されます。

安房神社と、神津島の阿波命神社を結ぶラインは、新島を通ります(図10)。下記のブログによると、新島には、いたるところに「モヤイ像」があるようで、「モヤイ」とは島の言葉で「協力する・助け合う」という意味だそうです。「モヤイ」も彗星衝突と関係があり、イースター島の「モアイ」とも関係があると推定されます。もしかすると、モヤイ像やモアイ像は、先祖にまた彗星が落ちてこないか見張ってもらっているのかもしれません。

モアン山とバダ渓谷
インドネシアのバダ渓谷(Bada Valley)には、棚田の中に、モアイ像に似た石像があります。地元住民は、これらの石は祖先崇拝に使われていたと考えているようです。手の位置などは、ギョベクリ・テペの石像とも似ています。
バダ渓谷(MENHIR BADA)とサギノー湾を結ぶラインは、図6の七面山 奥之院やモアン山の比較的近くを通ります(図11)。元は、バダ渓谷とサギノー湾を結ぶラインの近くにモアン山があり、地殻変動で位置がずれたのではないかと思われます。

モアン山とバダ渓谷を結ぶラインの近くには富士山本宮 浅間大社 奥宮がある富士山があり、バダ渓谷と河姆渡遺跡を結ぶラインの近くには標高2,922mのプログ山(フィリピン)や標高3,952 mの玉山(台湾)があります(図12)。このラインから、モアン山や河姆渡遺跡は、12,800年前の彗星衝突で大部分が海に沈んだと推定されるスンダランドと関係があると推定されます。

図12のモアン山とバダ渓谷を結ぶラインの近くには、日光二荒山神社(栃木県日光市)、日本武尊ゆかりの古峯神社(鹿沼市)、寳登山神社(埼玉県秩父郡長瀞)、大己貴命(孝元天皇、倭建命と推定)を祀る龍爪山 穂積神社(静岡県静岡市)があります(図13)。これらのラインから、古代日本の山岳信仰は、スンダランドから来ているのではないかと思われます。

図12のラインの富士山周辺には、千居遺跡(静岡県富士宮市)や環状列石が見つかっている牛石遺跡(山梨県都留市)などの縄文遺跡があり、ラインの近くには、駿河国総社 静岡浅間神社(静岡市葵区)もあります(図14)。このラインから、富士信仰は古くからあったと推定されます。

モアイと聖ミカエル
九州には、羽のある上坂田磨崖仏と「南極の顔」を結ぶラインの近くに「野生のモアイ」がありますが、下記のブログによると、スペインのバルセロナの近くにも「モアイ像」があるようです。
モン・サン・ミシェルやイースター島は、いずれも南極大陸とつながっていますが、ヴェストラホルン(Vestrahorn)山とモアイ像のあるスペインのBosque Encantado de Orriusを結ぶラインは、モン・サン・ミシェルの近くを通ります(図15)。

これらのことから、モアイ(先祖の顔)は「南極の顔」や聖ミカエルと関係があると推定されます。聖ミカエルは、南極大陸と関係があると推定されるので、約12,800年前に彗星の破片が北米に衝突する以前には、古代史研究家のランド&ローズ・フレマス夫妻が提唱しているように、南極大陸に「アトランティス」の都市があったと推定されます。
