温故知新(155)倭彦命 鶴山丸山古墳 三角縁神獣鏡 邪馬台国
武渟川別命 会津大塚山古墳 少彦男心命 姫塚古墳 崇神天皇 浦間茶臼山古墳 御間城姫 網浜茶臼山古墳 倭姫命 湊茶臼山古墳 門田貝塚 祇園天王磐座 スサ 旧太伯小学校 長浜神社 アレクサンドリア
会津大塚山古墳、姫塚古墳と鶴山丸山古墳
第8代孝元天皇皇子の大彦命の子である武渟川別命の墓と推定される四世紀後半代の会津大塚山古墳(福島県会津若松市)からは、岡山県和気郡備前町の鶴山丸山古墳から出土した三角縁神獣鏡の同笵鏡が見つかっています。
会津大塚山古墳と鶴山丸山古墳を結ぶラインは、善光寺(長野県長野市)、白山中居神社(岐阜県郡上市白鳥町)、越前国一之宮 氣比神宮(福井県敦賀市)の近くを通り、このラインは、、第8代孝元天皇皇子の少名日子建猪心命(少彦男心命、少彦名命と推定)の陵墓と推定される姫塚古墳(茨城県大洗町)とマラケシュを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。また、鶴山丸山古墳と姫塚古墳を結ぶラインは、三峯神社 奧宮(埼玉県秩父市)の近くを通ります(図1)。これらのレイラインは、鶴山丸山古墳の被葬者と武渟川別命や少彦男心命との関係を示していると推定されます。

浦間茶臼山古墳と鶴山丸山古墳
鶴山丸山古墳と第10代崇神天皇の陵墓と推定される浦間茶臼山古墳(岡山市東区)を結ぶラインは、阿字八幡宮(瀬戸内市邑久町山手)と能褒野神社などとレイラインでつながるフェロー諸島を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。鶴山丸山古墳は、崇神天皇と関係付けられていて、邪馬台国(やまとのくに)の中心地域にあると推定されることから、崇神天皇の皇子の倭彦命の墓かもしれません。倭彦命は、『日本書紀』『古事記』によれば、崇神天皇と皇后の御間城姫との間に生まれた皇子です。

網浜茶臼山古墳と鶴山丸山古墳
鶴山丸山古墳と御間城姫の陵墓と推定される網浜茶臼山古墳を結ぶラインは、西大寺観音院(岡山市東区)とモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインの近くには、本宮高倉山(岡山県赤磐市)があります(図3)。

倭彦命の母の御間城姫と会津大塚山古墳の被葬者と推定される武渟川別命は兄弟です。また、倭彦命は第11代垂仁天皇と兄弟で、垂仁天皇の皇女に倭姫命がいます。
金蔵山古墳、湊茶臼山古墳と鶴山丸山古墳
鶴山丸山古墳と垂仁天皇の陵墓と推定される金蔵山古墳を結ぶラインは、亀石神社と聖ミカエルの山を結ぶラインとほぼ直角に交差し、鶴山丸山古墳と倭姫命の陵墓と推定される湊茶臼山古墳を結ぶラインは、亀石神社とモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。これらのラインは、鶴山丸山古墳が倭彦命の墓と推定されることと整合します。

門田貝塚、祇園天王磐座と鶴山丸山古墳
鶴山丸山古墳と第7代孝霊天皇の宮があったと推定される門田貝塚(瀬戸内市邑久町尾張)を結ぶラインは、孝霊天皇(須佐之男命と推定)と関係があると推定される祇園天王磐座(瀬戸内市長船町磯上)とスサを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図5)。

旧太伯小学校、門田貝塚、長浜神社と鶴山丸山古墳
倭彦命の墓と推定される鶴山丸山古墳と第13代成務天皇(倭建命と推定)の宮があったと推定される旧太伯小学校を結ぶラインは、門田貝塚と箸墓古墳とレイラインでつながるアレクサンドリアを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図6)。これらのラインは、吉備に邪馬台国(やまとのくに)の中心があったと推定されることと整合します。

図6の門田貝塚とアレクサンドリアを結ぶラインは、須佐之男命(孝霊天皇と推定)の妻の櫛名田比売(荒川戸畔と推定)ゆかりの温泉神社(島根県雲南市)や八束水臣津野命(孝霊天皇と推定)を祀る長浜神社の近くを通ります(図6)。このレイラインは、門田貝塚に孝霊天皇の宮があったと推定されることと整合します。

桝山古墳(倭彦命陵)
奈良県橿原市にある桝山古墳は、宮内庁によって倭彦命の陵墓(大和国風土記逸文等の伝承に基づく)に治定されていますが、幕末か明治初期に外見を前方後円形に改変されたようです。『日本書紀』や『古事記』に記されている倭彦命の殉死の物語は、歴史的事実ではなく、歴史学や考古学の視点からは、埴輪の起源を説明するために、後から創作された説話(起源説話)であると考えられています。
