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本能寺の変1582 信長、死す 「是非に及ばず」 6 №3-006 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

信長、死す 「是非に及ばず」 6 №3-006

はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】 
【五大要因】  
1 時代の風潮 1 2 3
2 光秀の実像 1 2 3 4 5 6
3 光秀の苦悩 1 2 3 4 5
4 武田の滅亡 1 2 3
5 信長の油断 1 勝利の余韻
         「事態急変」
         2 四国出陣
         3 足蹴事件
         4 中国出陣
         「時は今」
さる程に、不慮の題目出来候て、
【注目ポイント】 目次
【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
 信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 260420

信長、死す 「是非に及ばず」 6 №3-006

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信長は、弓を取った。

 程なくして、弦が切れた。
 押し寄せる敵。
 明智の兵、兵、兵・・・・・。
 さながら、雲霞の如し。
 
  信長、初めには、御弓を取り合ひ、二、三つ遊ばし候へば、
  何れも、時刻到来候て、御弓の絃(つる)切れ、

次、槍。

 だが、負傷した。
 奥へと退く。
 「その時」が迫っていた。

  其の後、御鎗にて御戦ひなされ、
  御肘に鎗疵を被(こうむ)られ、引き退き、

「女は、くるしからず」

 信長は、女たちを脱出させた。

  是れまで御そばに、女どもつきそひて居り申し候を、
  女はくるしからず、急ぎ罷り出でよと、仰せられ、
  追ひ出させられ、
                      (『信長公記』)

 
家臣らは、懸命に堪(こら)えた。
 「上様の御ために」
 時間を稼ぐ。
 次第に、煙が立ち込めて。
 ・・・・・。
 ついに、「その時」がやって来た。



        ⇒ 次回へつづく  信長、死す 「是非に及ばず」 7

【記事一覧】


目 次
目次大

目次大 信長、死す 1~7 
目次中 信長、死す 1~7
目次小 信長、死す 1~7

信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。


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