本能寺の変1582 信長の台頭10 313 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
信長の台頭 10三好長慶の死 313
信長と謙信の交流が始まった。
同年(永禄七)、六月。
信長、越後の上杉謙信と親交を結ぶ。
これが、その初見文書である。
信長は、この頃、まだまだ、格下だった。
謙信は、享禄三年(1530)の生れ。
この年、三十五歳。
信長の四つ上。
度々、名を変えている。
長尾景虎→上杉政虎→輝虎→不識庵謙信(元亀元年)。
取次は、直江景綱。
上杉景勝の側近、直江兼続は、その娘聟にあたる。
玉章到来、謹んで拝閲快然に候、
抑(そもそ)も、近年、関東に在って(まで)御発向、
数度、利を得られ、平均の上御帰国の由、珍重に存じ候、
随って、直和(直江大和守景綱)より、別して、御懇切の条、
示し給わられ候、
本懐の至りに候、
猶、追って音問を達すべく候間、具(つぶさ)に能わず候、
此の旨、御披露仰ぐところに候、
恐々敬白(けいびゃく)、
六月九日
直江大和守殿 信長(花押)
(「杉原謙氏所蔵文書」「織田信長文書の研究」)
目次
信長の台頭 10三好長慶の死 312 三好長慶が安宅冬康を殺害した。
信長の台頭 8三好の衰退 308 長慶は、義継を後継者に定めた。
信長の台頭 8三好の衰退 307 三好義興が病死した。
信長の台頭 8三好の衰退 306 信長は、於久地城を手にいれた。
信長の台頭 8三好の衰退 305 信長、清洲城から小牧山城に。
信長の台頭 8三好の衰退 304 信長、小牧山に築城を開始。
信長の台頭 8三好の衰退 303 「永禄六年諸役人附」
信長の台頭 8三好の衰退 302 細川藤孝は、「御供衆」だった。
信長の台頭 8三好の衰退 301 三好長治が実休の後を継いだ。
信長の台頭 8三好の衰退 300 畠山方は、総崩れになった。
信長の台頭 8三好の衰退 299 教興寺の戦い。
信長の台頭 8三好の衰退 298 三好義興が後詰の軍勢を率いた。
信長の台頭 8三好の衰退 297 畠山氏は、飯盛山へ攻め上った。
信長の台頭 8三好の衰退 296 実休は、討死した。
信長の台頭 8三好の衰退 295 本陣がガラ空き状態になった。
信長の台頭 8三好の衰退 294 久米田合戦の事。
信長の台頭 8三好の衰退 293 十河一存の死。
⇒ 次回へつづく
