本能寺の変1582 テーマ別 光秀の年齢 テ第13話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
テーマ別 光秀の年齢 テ第13話
はじめに ←目次 ←テーマ別 目次 テーマ別 光秀の年齢 ←
→重要 ◎目次 重要 ◎目次小
→重要Point ◎目次 重要Point 通し◎目次
→テーマ別 通し ◎目次
→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親
→その一因 目次大 目次中
→見えてきたもの 目次大 目次中 +240607
→【 重要史料 】 【 人物 】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
*加筆修正
テーマ別 光秀の年齢
【関連記事】◎第5話 ◎第6話 ◎第7話 ◎第13話
◎第68話 ◎第69話 ◎第70話 ◎第71話 ◎第72話
◎第73話 ◎第74話 ◎第75話 ◎第76話 ◎第77話
◎第78話
テーマ別 光秀の年齢 テ第13話
光秀は、苦悩していた。
なるほど、明智の再興は、成った。
光秀は、織田家最高位の重臣の一人にまで上り詰めた。
最早、かつての明智にあらず。
今や、家中、一、二の大身。
多くの家臣たちがいた。
順風満帆。
武士の鑑。
憧れの存在。
そのように、見えた。
されど、・・・・・。
光秀には、先が見えた。
天正十年1582の、この年。
光秀は、五十九 ± 四歳。
信長は、四十九歳。
二人の間には、大きな年齢差があった。
光秀は、猜疑心が強い。
信長を信用していない。
後継者光慶は、あまりにも若すぎた。
まだ、十三歳 。
光秀は、信長より、確実に、先に死ぬ、・・・・・。
天正四年1576、光秀は、陣中で、大病を患ったことがあった。
体力的に見て、それ程、頑健というレベルではなかったように思う。
老い先は、長くはなかろう。
そう、思っていたのではないか、・・・・・。
「人生五十年」の時代。
光秀は、疾(と)うに、その年を越えていた。
「老い」
いつ、死んでも、おかしくない年代だった。
〈 参考までに 〉
五年後 天正十五年1587
光秀 六十四 ± 四歳
光慶 十八歳
十年後 文禄元年1592
光秀 六十九 ± 四歳
光慶 二十三歳
未熟な光慶を一人残して、・・・・・。
光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。
役に立たねば捨てられる。
光秀は、粛清を怖れていた。
己の死後。
光慶の代。
信長は、生きている。
これでは、死んでも、死に切れぬ。
だが、残された時間は、あまりにも短い。
光秀は、きわめて、難しい局面に置かれていた。
光秀は、不安だった。
明智の将来は、暗い。
明智に、危機が迫っていた。
ならば、・・・・・。
このことが、「本能寺の変」の一因となる。
⇒ 次へつづく
NEW!!
目次 が更新されました。
これで、全体像がよくわかる!!
毎日更新!!
原因・動機の究明は、この一歩から!!
重要 ◎目次 が更新されました。
「本能寺の変」
原因・動機は、この中にあり!!
ご注目下さい!!
テーマ別 目次 が更新されました。
視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!
見えてきたもの 目次 が更新されました。
これで、さらに、一歩、近づいた!!
ご期待ください!
