沖縄の取材ライターが未経験から「案件受注が増えていった経緯」を赤裸々に語る
つい最近、必要にかられて自分の経験を洗い出したライター歴11年目。
初めまして、沖縄在住のライターみやねえと申します。改めて落とし込むと腑に落ちなかったのが、「なぜライターになったのか」その理由でした。何だかんだと人は意外と適当かもです。笑
Web制作に従事していたころ、いろんなWebメディアを回遊しては、Webで記事を書くって楽しそう…! と思っていて、そんなWebメディアが多かった時代でもあります。面白系の記事とか、読モライターとか。ライターが顔出し。自分で体験する。面白い企画を立てる。そして面白楽しい記事を書く。
今もそういうメディアは存在しますよね。でも企画も取材も時間がかかり、小物や準備に経費もかさばる。今だとPR案件レベルの凝り方かもです。
ととと、話を戻して。自分の経験を記憶の限り落とし込んだので「案件受注が増えていった経緯」をまとめてみました。
入口の接点から、どのように案件受注につながったのか。ここを説明したら少し長い記事になってました。(その点、ご容赦ください)
この記事には、ライターデビュー1〜3年目に経験したことを書いてます。
最初は自らメディアに応募した
最初は誰でも「未経験者」です。スタートは誰もが一緒ですよね。
でもメディアに応募すると考えたら、何かしら自分の記事(文章)を提示する必要があるんじゃないかと、私がよくやる「一か八か戦法」を放ちました。2年ほど書いてた個人ブログのURLを提示したんです。
東京のWebメディア1件、地域の雑誌1件。「ライター募集」に応募しました。
驚くことに2件とも採用されて、念願のライターデビューです。採用された理由はどちらもライター不足だったから。紙媒体では純粋にライターが不足していて、リリース予定のWebメディアは絶賛ライター募集中。
応募したタイミングが良かったんだと思います。
初めての応募で躊躇しなかった理由
どちらも以前から気になっていた雑誌と企業さん。よく記事を読んでいて、すでにファンだったんですね。そこに「ライター募集」の文字。これは応募するしかない!? と浮足立ってソワソワしたのを覚えてます。
正直少し考えました。未経験でも応募していいのかと。でもワクワクと踊りだす心が勝利して「ライター募集」が出てすぐ応募しちゃいました。
メールで提示したのは、主に以下6つ。
■ 沖縄に住んでいること(地域)
■ 記事の変わりにブログを提示(文章)
■ 一眼レフで写真を撮れる(趣味)
■ フリーランスだから平日昼間に動ける
■ 元ツアコンだけに観光系の知識が豊富
■ Web制作の経験者、デジタルに強い
「まだ実績はありませんが…」と正直に伝えたあと、ファンであること、媒体の好きなところの感想を述べて熱烈アピール。東京のWebメディアからは沖縄情報を書いてほしいと言われて、雑誌のほうはオフィスで顔合わせ後、ひとまず一度お願いしてみる? と取材へ行くことに。
たぶんまだ自ら応募する人が少なかったんだと思います。その理由のひとつが、後述している《 横のつながり 》から自然に仕事が入ってくるから。
あとせっかっくなら、SNSやnoteのプロフィールを整えておくことをおすすめします。ユーザー名やアイコンの見せ方、何ができる人なのか伝わるプロフィール文、投稿の方向性によっては受注確率が上がるからです。
詳しくは、このnoteに書いてます。
《 次へのステップ 》 記事がバズり、実績から声がかかる

Webメディアの記事は著名人からシェアいただき、数本バズる。(メディアが閉鎖したため記事リンク貼れず、すみません…)
次は博報堂さんがリリースしたWebメディアに応募して、沖縄情報を書いてほしいと採用へ。ここでも記事がバズリ、1週間で10万PV。Twitterなど、SNSで目立っていたのか、初のTwitter経由で定期案件も受注しました。
取材も記事を書くのも慣れてきた半年後、ここで絶対に書きたいなあ。と思うメディアと出会って、ライター募集してないにも関わらず、勝手にメールを送る。しばらくして「お願いできるプロジェクトが立ち上がるかも。そのときは連絡します」と返事が来ました。
<続報>なんと、その1年後。担当者から新規立ち上げメディアの執筆依頼が来たんです。正直驚きました。今の自分の行動が未来の自分をつくるは真実だったのかあ。これぞ種まき…! と思った瞬間でした。

《 デビュー2年目の前半 》 人伝で依頼が舞い込む
沖縄の企業さんから初めて依頼が来たのは、ライターデビューから1年後。
当時、Web界隈で注目されてたメディアで沖縄10社のサービス紹介する記事を企画して、各社に掲載許可の問い合わせと情報提供をお願いしたとき、最も掲載を喜んで、SNSで記事をシェアしてくれた企業さんでした。
大規模なお仕事をいただいて、それを機にフリーライターへ転身。それまでの1年間は趣味の延長のように取材をこなしていたので、このときから「フリーライター1年目」と名乗り始めたんです。
ライターを探してる人がいると人伝で相談が来たときは、やります! と即答してました。我ながら勢いあった気がします。笑
雑誌10ページ分、特集の取材を1人で担当したり(食べる隊、初登場!)、過去に仕事をした企業からPR案件の依頼が来たり、ガイドマップのデスクやってみない? と言われて、初チャレンジのお仕事をいろいろ担当しました。
《 食べる隊とは 》
1日に数カ所のグルメ取材を巡るとき、表向きはアシスタント。本当の役割は飲食担当として取材に参加するメンバーのこと(私の造語です♫)

<余談>ガイドマップ制作は、デザイナーが運営するコワーキング主催の小規模なフリーランス交流会に参加したのがキッカケです。SNSでつながり、そのデザイナーさんが統括する案件での依頼でした。お仕事完了後、依頼された理由を伺ったら、この子最後までやり切りそう…! と直感が働いたそう。笑っちゃいました。(何を見てそう思ったのかは、確認し忘れた…)
<2年目の前半にやったこと>
■ ひたすら取材と執筆の日々
■ 毎回、企画を立てて取材していた
■ 初の特集記事、企画から担当
■ 企画から携わるメディアに参画
■ 初のデスク担当! ガイドマップ制作
■ 初のPR案件に携わる(撮影も担当)
■ 最高記録! 1日8件の取材をこなす
■ 食べる隊を結成(人は毎回入れ替わる)
大規模案件に加えて、新規立ち上げメディアからの相談が増え始めました。
1つはSNS経由。2つ目は知り合いから、3つ目は前述した勝手に応募して、1年後に東京から依頼が来たというアレ。新規立ち上げメディアの場合、遅くともローンチの3〜4ヶ月前には相談が来るイメージです。(早ければ、半年以上前とか)
打合せから始まり、業務委託などの書類提出。取材先の選定後、前もって取材を行い記事を執筆しておく。そしてリリースとともに記事を公開します。
この流れが生まれた理由を分析してみた
IT系イベントで知り合ったIT業界の方から相談が来たり、つながったライターさんから複数ライターが必要な案件の依頼が来たり。応援の意味で記事をシェアしてくれる人もいて、県内のWeb業界人に記事が届き始めました。
未だに最高記録の1日8件取材をこなしたのもこの時期です。主には、こんな動きをしてたと思います。
■ 実績や執筆記事、取材話をSNSで発信
■ イベント参加時も必ずSNS投稿
■ IT系イベントが好きでよく参加した
■ メディアの交流会や忘年会に参加した
■ 自分ができることは率先して協力
■ 人とつながったら近日中にメッセ送る
東京のWebメディアで執筆すると、東京のクリエイターさんともつながります。顔見知りが増えていくと、今度リリースする沖縄メディアで書かない?とか、大至急ライターを探してる緊急案件発生! と人伝で連絡が来たり、横のつながりから声がかかり始めました。
<余談>
リリース前の沖縄メディアからの依頼。その経緯を思い出しました。
まず記事を読んでくれていて「一度、お話できたら」とメールが届き、オフィスに伺いました。イベントを企画するので「東京のクリエイターを呼びたい」と話されていて、東京のメディアで書いてたつながりで知り合った、今では著名なクリエイターさんを推薦したんです。
その流れで私からご本人に連絡を取り、登壇OKをもらう。そのとき、今度みやねえに仕事お願いするね〜! と言われてたんですね。その半年後、本当に依頼が来て、できたら企画から参加してほしい! とジョインすることになりました。
イベントのアイデア出しが、依頼につながる入口だった。そして仕事をいただくまで、すでに何度も接点があったんですね。この企業さんとは毎回担当者が変わつつも、今でもときどき仕事の相談が来ていたりします。
《 デビュー2年目の後半 》 連鎖が起こり始める
わりと好奇心旺盛のため、面白そうと思ったら飛びつくを繰り返す。
どこからたどり着いたのか、県内の広告代理店さんから相談が舞い込むようになって、東京の大手企業さんから直で相談いただいたり。みやねえ頑張ってるからと推薦いただき、有料イベントでの初登壇を経験。写真撮影単体の依頼は取材した店舗さん。二度目の取材に訪れたときに撮影の相談を受ける。こうして未経験の案件と出会うことが増えました。
<2年目の後半にやったこと>
■ 新規立ち上げWebメディアに多数参画
■ 初の写真撮影、単体の依頼を受注
■ 初登壇!CSS Night in OKINAWA
■ 細々とWebライター講座を始めた
■ 複数メディアの交流会や忘年会に参加
この時期はたぶんですが、「沖縄ライター」「沖縄 Webライター」などで検索すると、私のTwitterや個人のWebマガジンがGoogle検索1ページ目にヒットしていた時期でした。
その当時、よく言われたのが「沖縄+◯◯+◯◯」で検索すると、みやねえの記事がヒットするとか。運やタイミングもあったのかもですね。
2年目までは、仕事のオファーはすべて受けていて「仕事を断る」ことを一度もしなかった気がします。3年目になって自分の消耗具合に気づいて単価交渉するようになり、ライター活動しながら編集者へ格上げした時期でした。
そして、デビュー3年目 《 ライターから編集者へ 》
細々とWebライター講座を開催していたのもあって、文章術の書籍を読み漁ってました。編集者のお仕事をもらった流れは、執筆していたメディアでライターから編集者へ。
このときは確か「編集者いりませんか。編集者いりませんかあ」と会うたび笑いながら伝えてた気がします。やっとそのタイミングがきて、やってみます? と声がかかりライター兼編集者へ。
ちなみに……
ライター講座を始めたキッカケは、若者に教えてほしいと言われたから。じゃあやってみようかと。それが未だに続いるのだから、自分の言葉が誰かの背中を押す。なんてこともあり得るかもしれませんね。
再びローンチするメディアから依頼が来たときは、打合せ中に「編集もできます?」という相談を受けて、未経験者の記事はライター講座で編集していたりする。と伝えたところ、編集でも携わるようになった感じです。
【結論】として
一度、二度ならず、何度も接点がある企業やメディアとは【信頼関係】が確立されていて、お仕事の依頼が舞い込みやすいこと。横のつながりから案件受注につながるケースが多く、人とのつながりほんと大切ですね。
最初は質より、量なんだと思います。まず実績を増やして、あらゆるメディアやSNSに足跡を残す。名前や記事を露出する。何も実績がないと媒体から相手にさえしてもらえない。悲しいけれど、それが現実だからです。
今の自分の行動が未来の自分をつくる。
種まきの重要性…!!実感しました。
ただ、この行動力を永遠に継続する。そう考えると、なかなか恐ろしいものがありませんか? だから疲弊しながら嫌々行動するのではなくて、楽しく取り組めたら幸せだろうなあ。なんて思ってます。
でも、苦しくる感じる時期は必ずあります。
それでも、楽しさが勝る。
それが自分にとっては「取材ライター」という仕事だったんだと思います。誰かの話を聞いて、その思いや考え、活動を言語化する。
「誰かのために」という利他的な思考が入るから、楽しく継続できるのかなと。
フリーランスになって感じたことは、1人で完結する仕事ってやっぱり味気ない。1人で記事を書くから、納期未定の案件ほど後回しにしてしまう。継続力もスケジュールも崩れていく。
取材相手や編集者、仲間がいてこそ、仕事が面白く感じる。コミュニケーションが多い案件ほど、仕事が楽しい。効率化に振り切った時期もあったけど、今思えば、人とのコミュニケーションが活力の原点だったんだと感じます。
褒めて褒められ、互いに指摘し合い、提案やアイデアを出し合い、悩みを吐露したり、相談や壁打ちをする。そんな仲間を増やしていきたい。
それが今後の課題かもです。
ライター活動を始めたばかりの方へ。
この記事が何かのお役に立てたら幸いです。最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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