元・鬼軍曹が始めた、たった一つのこと。自分も組織も変わった小さな実験──希望リテラシー実践記
はじめに──「変わりたい。でも、今さら変われない」と思っている人へ
「今のままでは、まずい。」
そう思っている。
けれど、
「とはいえ、これまでずっとこのやり方でやってきたし……」
とも思っている。
長年積み重ねてきた仕事のスタイル。
人との接し方。
周囲から見られている自分。
そして、自分自身が思っている「自分」。
これを今さら変えるのは、簡単ではありません。
特に、
「正論で人を動かそうとして、いつも壁にぶつかっている」
「成果を出しているのに、なぜか周囲との関係がうまくいかない」
「プレッシャーの中で、気がつけば孤立している」
「周囲から信頼されていない気がする」
そんな人には、変わりたいと思っても、その一歩がなかなか踏み出せないのではないでしょうか。
もし、そんな人がいるなら。
私の経験が、少し役に立つかもしれません。
なぜなら私自身が、
「鬼軍曹」と呼ばれるような人間から、「ファシリテーター」というアイデンティティへ変わっていった経験
をしているからです。
しかも、その最初の一歩は、とても小さなものでした。
人の呼び方を変える。ただ、それだけでした。
■かつての私は、「正しいことを言う人」だった
28歳の時に専門商社に入社して5年ほど。転職してゼロからのスタートだった私は、BtoB営業として必死に学び、経験を積みました。
その結果、4年連続でトップ営業という実績をつくることができました。自分なりに、かなり努力したと思います。
そして私は、「顧客第一」を強く信じていました。顧客のためなら、社内も動くべき。顧客から求められたことには、何とかして応えるべき。
だからこそ、他部門にも、営業アスタントにも、かなり厳しい人間だったと思います。
正論を言う。
無理難題を押し込む。
相手の事情より、顧客の事情を優先する。
成果は出す。
でも、一緒に働きたい人だったかというと、そうではなかった。周囲からは、「鬼軍曹」「原子力発電」などと呼ばれていました。出力は高い。でも、近づきたくない。そんな人間だったのだと思います。
■そして私は、会社を出た
その後、私はスタートアップを立ち上げ、3年強、会社組織を離れました。その間に、本当にたくさんのことを学びました。特に、出来上がった会社組織の中だけにいた頃には見えなかった世界を見ることができました。
例えば、請求書を初めてExcelで手作りしたとき。それまで「当たり前」だと思っていたことが、全然当たり前ではなかった。会社というものは、たくさんの仕組みや人や、誰かが長い時間をかけてつくってきた「語られない当たり前」によって成り立っている。
そんなことを、身をもって理解する経験が無数にありました。経営も、人材も、組織も、コミュニティも。外に出たからこそ、見えるようになったものがたくさんありました。
そして、何より大きかったのが、
「場」の力
を知ったことです。
人は、個人だけで変わるわけではない。
どんな人と出会うか。
どんな問いが飛び交うか。
どんな空気の中にいるか。
どんなことを安心して話せるか。
そうした「場」によって、人の可能性は大きく変わる。
スタートアップを立ち上げる前から、誰かが開催する読書会など、いわば他の人がつくった「秘密基地」に混ぜてもらうような越境経験をしていました。
そこで、他者の世界を覗き、自分とは違う価値観に触れました。そして、自分でもスタートアップという秘密基地をつくった。さらに、そのリソースを使って、大小のコミュニティという秘密基地を自ら構築し始めました。
そこで私は、
「場は、与えられるものではなく、自分たちでつくれるものなんだ」
ということを学びました。
そしてもう一つ、
「たった一人の、ちょっとした関わり方が、場に大きなインパクトをもたらす」
ということも。
頭で理解したのではありません。身体で学んだのです。
そして、この経験が後の自分を大きく変えることになります。
■外の世界に出ると、「自分の当たり前」が相対化される
今振り返ると、ここで一つ重要なことが起きていたのだと思います。外の世界に出たことで、「自分はこういう人間だ」という思い込みが、少しずつ揺らいでいったのです。
会社にいた頃の私は、「成果を出す営業」でした。「顧客第一であることが正しい」と思っていた。「会社全体が顧客のために動くべきだ」と思っていた。もちろん、その考え方がすべて間違っていたわけではありません。実際、成果も出ていました。
でも、外の世界に出てみると、違うやり方で人を動かしている人がいる。
違う価値観で仕事をしている人がいる。
違う関係性のつくり方がある。
違う「場」がある。
すると、
「あれ? 自分は、このやり方しかできないわけではないのかもしれない」
「もしかしたら、全く別の選択肢もあるのかも知れない」
と思えるようになってきました。
これが、後の「キャラ変」の土台になったのだと思います。
■出戻りした私を、会社はどう見ていたのか
その後、スタートアップのイグジットに伴い、私は戦略的に元いた会社に戻ることになりました。いわゆる「出戻り」です。当然、反応はさまざまでした。
トップ営業だったこともあり、歓迎してくれる人もいました。でも、大半の空気は、「また、あの厳しいやつが戻ってくるのか」だったと思います。「嫌な奴」「正論で無理難題を押し込んでくる奴」そんなイメージは、当然残っていました。
私自身も、それはわかっていました。そして、少し怖くもありました。これまでの自分を知っている人たちの前で、「私は変わりました」と言ったところで、簡単に信じてもらえるわけがない。
何より、長年染みついた自分の行動パターンを、いきなり全部変えることなんてできません。
そこで私は、
「自分の関わり方を、一つずつ変えていこう」
と考えました。
■最初に変えたのは、「呼び方」だった
私が最初にやったこと。それは、
全員を「○○さん」と呼ぶこと
でした。
後輩も。新入社員も。かつてニックネームで呼んでいた同僚も。もちろん先輩も。とにかく、全員です。
なぜ「呼び方」だったのか。「自分を変える」と言っても、心の中でそう思っているだけでは、たぶん三日坊主になる。ならば、自分が100%コントロールできるところから変えよう。そう考えたのです。
相手の反応はコントロールできません。相手の評価も変えられません。でも、自分の口からどんな言葉を発するかは、自分で決められる。だから、「呼び方」を変えました。
私にとって「○○さん」は、単なる敬称ではありませんでした。それまでの私は、相手を「営業アシスタント」「他部署の担当者」「後輩」といった、仕事上の役割として見ていたところがあった。
だから「さん付け」は、相手を職務上の記号ではなく、一人の人間として扱い直すためのリセットボタンでもありました。
「この人たちとの関係を、もう一度つくり直そう。」
その意思を、自分自身に毎日思い出させるための、小さな行動だったのです。
もちろん、反応は散々でした。
「やめてくださいよ」
「急にどうしたんですか」
「気持ち悪いから、マジでやめてください」(笑)
それでも続けました。
時には、「意図的にやっています」と説明しました。
1週間も続けていると、新しい呼び方は定着しました。
そしてそこから、
少しずつ。
本当に少しずつ。
関係性自体も変わっていったように感じています。
■「さん付け」が正しいわけではない
ここは誤解してほしくありません。私は、呼び捨てやニックネームを否定したいわけではありません。それによって距離が縮まり、良い関係性が生まれることも当然あります。
大切なのは、
「どの呼び方が正しいか」ではなく、
「自分は、どんな関係性をつくりたいのか?」そして、
「そのために、今の自分の関わり方を意図的にデザインしているか?」
ということです。
呼び捨てでもいい。ニックネームでもいい。敬語でもいい。「さん付け」でもいい。
重要なのは、
その選択に、自分なりの意図があるか。
私の場合は、「○○さん」と呼ぶことが、その最初の小さな実験だったのです。
■関わり方を変えると、「場の詰まり」が見えてきた
面白いことに、自分の関わり方を少しずつ変えていくと、今まで見えていなかったものが見えるようになってきました。
「この人と、この人は、実はもっと話せるんじゃないか。」
「この部署と、この部署は、お互いに誤解しているんじゃないか。」
「飲み会では仲良くしているのに、なぜ職場では対立しているんだろう。」
そんなことが、以前より気になるようになったのです。つまり、自分の関わり方を変えたことで、「場の声」が少しずつ聞こえるようになった。のだと思います。
そして私は、「人を変える」のではなく、
「日常のコミュニケーションが生まれる構造を変える」
ことを考えるようになりました。
■そこで始めたのが、社内報だった
「さん付け」から始めた関係性の改善行動を継続する中で、
「一人ひとりの話をじっくり聞きたい」
と考えるようになりました。
そこで、私は「社内報」に目をつけました。社内報のためのインタビューという形にすれば、私もお願いしやすい。引き受ける側にも、話す理由ができる。当時、その会社には社内報がありませんでしたが、自ら発案し、上司に打診しました。
「なぜお前がやるんだ」という反対ももちろんありました。それでも、先輩社員の協力もあり、なんとか承認を得てスタートすることができました。
社員一人ひとりにインタビューする。
写真を撮る。
記事を書く。
そして、社内に届ける。
これが、「お互いを深く知るための対話のきっかけを、社内にばらまく」ための仕組みとして機能しました。当時の職場には、「飲み会では仲がいいのに、職場では対立している」ということが珍しくありませんでした。
よく考えてみれば、当たり前です。仕事の場では、仕事の話しかしない。プライベートな会話も社交辞令の範囲内。それでは、お互いのことを深く知る機会なんて、ほとんどありません。
だから私は、「日常のコミュニケーションそのものを変えられないだろうか」と考えました。
社内報は、そのための一つの装置でした。
■勉強会も、「教える場」にはしなかった
自主的に社内勉強会も始めました。これも、「豊富な経験や知識を部内に共有してほしい」という依頼がスタートポイントでした。
関係性の改善が少しずつ進み、私への見方も少しずつ変わってきた。その結果として、声をかけてもらえたのだと感じています。
ただ、コミュニケーションや場の重要性を理解していた私は、以前ならやっていたであろう単純な「知識供与」にはしませんでした。
もちろん、必要な知識は惜しみなく提供します。でも、それだけではなく、業務上必要な知識やスキルを、お互いに持ち寄って交換する。
その中から、
「あのとき顧客が言っていたのは、こういう意味だったんだ」
「じゃあ、次はこうしたらいいんじゃない?」
といった知恵が生まれる。そんなワークショップ型の場をつくっていきました。
すると、最初は自部署だけだった参加者が、少しずつ他部署にも広がっていきました。かつて私を毛嫌いしていたであろう人々まで、「次はいつですか?」と楽しみにしてくれるようになりました。
私は、人を変えようとしていたわけではありません。
人と人が自然に関われる「場」を変えようとしていた。
その違いは、とても大きかったと思います。
■そして私は、「ファシリテーター」になった
振り返ってみると、ここで私自身にも大きな変化が起きていました。
以前の私は、「自分が正しい答えを出す」ことに価値を置いていました。でも、少しずつ、「みんなで答えを生み出せる場をつくる」ことに価値を感じるようになった。
つまり、
「成果を出す営業」というアイデンティティから、「場を育てるファシリテーター」というアイデンティティへ。
自分自身が変わったのです。
周囲からの見方も変わりました。
そして何より、
自分が自分を見る目が変わりました。
「俺は正論をぶつける嫌な奴だ」ではなく、
「俺は、この場に働きかけることができる」と思えるようになった。
これは、とても大きな変化でした。
■その後、会社を離れてから届いた言葉
最終的に、私はその会社を離れることになりました。そして退職してから数年後に、以前の同僚たちから、こんな言葉をもらうことがありました。
「あなたがあの時にやろうとしていたことは、合っていた。」
「あなたが残したものがあったから、コロナ禍を乗り越えられた。」
もちろん、私のやったことが全部正解だったわけではありません。当時は誰もついてきてくれなかった提案もありました。それでも、そのいくつかが何とか形になり、後になって組織の礎になっていた。
その経験は、今でも私を支えてくれています。
そこから受け取ったのは、
「先見性」へのリスペクト
でした。
「今は理解されなくても、未来には意味があるかもしれない。」
そう思えるようになった。
これは、私にとって大きな財産になりました。
■あの頃は、「希望リテラシー」なんて知らなかった
ここまで書いてきたことを、今の自分から振り返ると、あの頃の私は、まだ「希望リテラシー」なんて言葉を知りませんでした。
ただ、「このままでは嫌だ」と思った。
そして、会社の外へ出た。
他の人がつくった秘密基地に混ざった。
自分でも秘密基地をつくった。
そこで、これまでとは違う人や世界に触れた。
そして、元いた会社に戻った。
そこで、今までの自分をそのまま再現するのではなく、
「別の自分を、ちょっと試してみよう」と思った。
その最初の一歩が、「○○さん」だった。
振り返ってみると、これはまさに、
希望リテラシーの実践
だったのだと思います。
■変わるために、「大きな決断」はいらない
ここまでの話をすると、「いや、それは宮木さんだからできたんですよ」と思われるかもしれません。
でも、私はむしろ逆だと思っています。私がやったことの最初の一歩は、「○○さん」と呼ぶこと。それだけでした。
大きな改革でもありません。
人事制度を変えたわけでもない。
会社を辞めたわけでもない。
たった一つ、関わり方を変えただけです。
だから、もし「さん付けすら難しい」と感じるなら、それでも構いません。
例えば、
挨拶のトーンを少し変えてみる。
メールに絵文字を一つ入れてみる。
メールではなく、チャットで話しかけてみる。
プロフィールのアイコンを、少しにこやかな写真に変えてみる。
いつもより一つ多く質問してみる。
相手の話を、最後まで遮らずに聞いてみる。
そんなことからでいいと思います。
重要なのは、
「自分の関わり方を、自分の意思で少しだけ変えてみる」
ことだからです。
■希望リテラシーは、「未来を変える力」だけではない
私はこれまで、「希望リテラシー」というものについて考えてきました。
簡単に言えば、
自分と世界との関わり方を捉え直し、まだ見えていない可能性に向かって、自ら選択し、行動していく力
です。
希望リテラシーの根底には、
があります。
世界を他人事にせず、「この世界と、どう関わっていきたいのか」を考える。そしてそこに、私が変態EQと呼んでいる感情を指針とする考え方がある。
「なぜ、自分はそちらへ行きたいのか?」
「何が自分にとっての楽しみなのか?」
これらをを感じ取りながら、自分の方向を確かめる。
そして、四つのリテラシー(構造リテラシー、不在リテラシー、変容リテラシー・実践リテラシー)を行き来しながら、世界を探索し、実際に動いていく。
そうして動き続けていると、やがて仲間が生まれる。
そして、人が集まり始めると、
「この場は、何を必要としているんだろう?」
という問いが生まれる。
そこで必要になるのが、
場のリテラシー、あるいは場のリーダーシップ
なのだと思います。
■希望は、「私」から「私たち」へ、そして「場」へ広がっていく
最初の希望は、「自分にも、まだ何かできるかもしれない」というものかもしれません。
でも、仲間ができると、「自分たちにも、まだ何かできるかもしれない」になる。
さらに場ができると、「この場から、まだ見えていない何かが生まれるかもしれない」になる。
つまり、希望は、個人の中だけに留まるものではない。
関係性を通じて広がり、やがて「場」の性質そのものになっていく。
だから私は、
場の声を聞く力としての場のリテラシーや、それを能動的に行動に変換していく場のリーダーシップが、希望リテラシーをスケールさせる
のではないかと思っています。
私が出戻りした会社で経験したことも、まさにその小さな実践だったのだと思います。
■「変態」とは、自分の在り方を更新すること
私は「変態」という言葉を、かなりポジティブに使っています。
変態とは、変わった人のことではありません。
自分の在り方を、自分自身で更新していく人。だと思っています。
昔の自分が、「正しいことを言う営業」だったとしても、そこから、「人と人をつなぐ人」へ変わる、つまり変態することができる。
「鬼軍曹」というキャラクターを、永遠に演じ続ける必要はない。
周囲からそう見られている自分も、
自分自身がそう思い込んでいる自分も、
いつだって更新できる。
その最初の一歩は、ものすごく小さくてもいい。
私の場合は、
人の呼び方を変えること。ただそれだけでした。
おわりに──「でろ」は、そんなに大げさじゃない
私は「DIY:でろ、いけ、やれ。」という言葉を大切にしています。
でも、「でろ」と言われても、
「いきなり外の世界に飛び出すなんて無理だよ」と思う人もいるでしょう。
だから、まずは本当に小さな「でろ」でいい。
いつもと違う人に話しかけてみる。
いつもと違う場所に行ってみる。
いつもと違う呼び方をしてみる。
いつもと違うトーンで挨拶してみる。
いつもの自分なら送らないようなメッセージを送ってみる。
その小さな違いが、
「なんだ、ちょっと変えても大丈夫なんだ」
という感覚を生みます。
そして、その小さな変化を繰り返しているうちに、
自分の見える世界が変わる。
関係性が変わる。
仲間ができる。
場が生まれる。
そして気がつけば、自分自身が変わっている。
私は、それを「変態」と呼びたい。
変わりたいと思ったとき、まず自分を否定しなくていい。
長年やってきた自分を捨てなくてもいい。
「変わる」とは、昨日までの自分を否定することではない。
昨日までの自分にも感謝しながら、
今日の自分に、別の可能性を一つ試してみること。
ただ、「今の自分の関わり方を、ほんの少しだけ変えてみる。」そこから始めればいい。
人はいつだって、関係性を創り直せる。
そして、その最初の一歩は、驚くほど小さくていい。
もしかすると、明日の朝、誰かをいつもと違う呼び方で呼んでみる。
それだけでいいのかもしれません。
最後までお読み頂きありがとうございました☆
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