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成人発達理論の「その先」へ──「欲求マネジメント」を捨て、「変態的DIY」に誘う

はじめに:なぜ、これまでの「育成」は効かなくなるのか

前回のNote『「視座が高い」のは能力か、段階か。』では、「視座を上げる」という言葉が、実は第3段階(社会化された自己)の高度化を指しているに過ぎないケースが多いことを指摘しました。

つまり、多くの場合それは「今の意味づけ構造のまま、より上手に振る舞えるようになること」であって、成人発達理論が扱ってきた内的構造の変容とは別物だ、という話です。

今回はさらに踏み込みます。
第3段階をほぼ完了し、第4段階、あるいは第5段階へと向かう兆しを見せている人に対し、上司や対人支援者は何ができるのか。

結論から言えば、一般的な意味での「育成」は、ここではほとんど無力です。
なぜなら彼らに必要なのは、何かを教えられることではなく、自分自身のOSを書き換えるための、「変態的DIY」への誘いだからです。



1. 「マズローの罠」:欲求を満たしても発達はしない

成人発達理論を語る際、マズローの欲求段階説を安易に紐づける言説が後を絶ちません。

  • 社会的欲求=第3段階

  • 承認欲求=第4段階

  • 自己実現欲求=第5段階

しかしこの整理は、決定的な誤解を含んでいます。

もちろん、マズローの欲求段階説そのものが無意味だと言いたいわけではありません。
それは人の動機づけや環境設計を考えるうえで、今なお有効なフレームです。

ただし、両者が扱っているレイヤーは根本的に異なります。

マズローが扱っているのは「何を欲しているか」。
一方、成人発達理論が扱っているのは、「欲求そのものを生み出している意味づけの構造」です。

第3段階(環境適応型)の人が「自分らしいキャリア」や「自己実現」を追い求めることは、現代においてごく自然なことです。
しかしそれは多くの場合、「他者から評価される枠組みの中での、自分らしさの最適化」に留まっています。

今の認知構造のまま、どれだけ欲求を満たし続けても、それは今の認知構造を強化する方向にしか働きません。
発達とは、「欲求が満たされる」ことではなく、むしろそれまで追いかけていた欲求そのものが意味を失う(脱神話化される)という、ある種の地殻変動を伴う体験なのです。


2. 発達段階は「正義」でも「幸福度」でもない

ここで、あらかじめ強調しておきたいことがあります。

成人発達理論を探求していくと、「安易なラベリング」に使うことの危うさはもちろん、他のステージモデルと安易に接続してしまうことへの警戒心が、自然と強くなります。

第三段階に至らないまま一生涯を終える人もいます。
一方で、極めて稀ですが第五段階に至る人もいるとされています。

しかし、どちらが幸せな人生を歩んだかどうかとは、まったく関係がありません。

発達段階を「上げること」が正義でもなければ、
複雑な認知構造を持つことが、より良い人生を保証するわけでもない。

これは、成人発達理論を扱ううえで、最も大切な前提の一つです。
私の持論と言うよりも、この種の警告をしている研究者は多く存在します。

ただ同時に、「世の中には多様な多様性がある」という事実も否定できません。
そしてその中に、認知構造の多様性が確かに存在していることもまた、事実なのです。

重要なのは、そこから分断に向かうのではなく、いかに包摂に向かえるか
この問いに向き合い続け、自らの理解を更新し続けることこそ、特に対人支援者に求められている姿勢なのだと思います。


3. 「変態」への飛躍:ROI(投資対効果)からの解脱

第3段階から第4段階(自己主導型)への移行期に求められるのは、外部の評価経済からの脱却です。
ここでキーワードとなるのが、私の言う「変態」です。

ここで言う変態とは、奇抜さや反社会性を意味するものではありません。
既存の評価軸や物差しから一度自由になり、自分なりの問いと実践を引き受けている人、という意味です。

  • リターン(ROI)ではなく、自分の興味関心や大義を行動原理とし

  • できない理由より「どうすれば前に進めるか」を考え

  • 必要なリソースを自分で集めることを厭わず

  • そのプロセス自体に、なぜか快感を覚えてしまう人

発達の契機となる活動は、たいていの場合、他人から見れば「非効率で、評価されにくく、再現性もない」ものです。
だからこそ、その行為を支えている構造そのものが、静かに揺さぶられていきます。


4. DIYメソッド:OSを更新する「でろ・いけ・やれ」

この変態性を、現実の行動に落とすためのフレームが、私の言うDIYです。

  • でろ(D):安全圏から出ろ

  • いけ(I):課題の現場に行け

  • やれ(Y):小さくてもやれ

この「でろ・いけ・やれ」の循環は、内省ではなく、環境との関係性の組み替えを通じて、Subject-Objectの移行を身体的に引き起こします。

頭の中で視座を上げ下げするだけでは、人は変わりません。
環境をずらし、現場に身を置き、手触りのある実践を繰り返すことで初めて、「自分がどんな前提の檻の中にいたのか」を客体化できるのです。

※変態・DIYについてはこちらもご参照ください


5. 支援者の役割:「育てる」から「構造で回収する」へ

もしあなたが、組織のマネージャーや対人支援者であるなら、「育てる」という発想そのものを、一度疑ってみる必要があります。

第4段階以降への移行は、研修や制度設計でコントロールできるものではありません。

私自身が組織運営で成人発達理論を活かしてきたとすれば、それは、

  • 人をラベリングしないことを大前提としつつ

  • 「どの段階からの発言が多いか」にアンテナを立て

  • 異なる認知構造同士の対立が起きたとき、それをパーソナリティや善悪の問題にせず

  • 構造の違いとして回収する

という使い方でした。

直前の段階に対して否定的になりがちな構造的特徴を理解していれば、どちらかの肩を持つ必要はなくなります。
むしろ、「両立可能な設計は何か?」を探ることができるようになる。

目指すのは、「全員が複雑な認知構造を持て」という世界ではありません。
さまざまな認知構造の人が存在することを前提にした文化や制度を、一緒に作っていくことです。


おわりに:包摂のための理論として

成人発達理論が本来示しているのは、成長の序列ではありません。
それは、人間理解を単純化せず、違いを違いのまま扱うためのレンズです。

「視座」や「欲求」という言葉で成長をパッケージ化するのをやめ、
安易なラベリングや紐づけを避けながら、構造の違いに耐え続ける。

その先にだけ、分断ではなく包摂へと向かう実践が、静かに立ち上がってくるのだと思います。

最後までお読みい頂きありがとうございました☆

◆◆続編となる記事が公開されました

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