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文字を持たなかった昭和 終末期51 3月25日① 告別式

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)は、入院先の病院で3月23日午前1時9分に死亡が確認された。翌24日に通夜が営まれ、喪主で長男のカズアキさん(兄)とともにわたしは寝ずの番に当たった。

 一晩明けた3月25日(月)。寝ずの番を終えたわたしたち兄妹に、葬儀会社のスタッフが朝食を運んでくれた。なんでも社長の奥さん手作りだそうで、小さな土鍋で炊いたご飯とお味噌汁、焼き魚などが温かいまま運ばれてきた。

 わたしはふだん朝食を摂らない。なにより、ミヨ子さんに飲食物のお供えがないままなのに――だから昨晩は自分のお酒とおつまみを「ごいっしょ」してもらったのだが――、できたてのご飯をわたしたちだけ食べるのは憚られた。

 わたしはお味噌汁だけいただいて、斎場の台所のお茶碗に少しご飯をよそって、お茶とともにミヨ子さんの前にお供えした。残りのごはんは冥途の旅のお弁当にしてあげたかった。スタッフに相談した結果、ラップに包んだあとで半紙で包んでもらうことになった。おにぎりは、わたしが心をこめて握った。

 いよいよ告別式だ。葬儀としてはこちらが正式なはずだが、平日の日中とあって参列者はほぼ身内のみ、まさに家族葬である。

 ではあるが、式次第や役割分担など斎場の進行係と主な親族との意識合わせはやはり必須だ。わたしはなにぶん喪主の次のキーパーソン(?)なので一生懸命に聞く。

 告別式が始まった。幾通りかの読経のあとに焼香、ご住職の説法と続く。その中でミヨ子さんの法名(戒名)の由来についてお話があった。

 ミヨ子さんの法名は「釋尼涼珠」。お釈迦様の女弟子である涼珠さんといったところだろうが、後ろの二文字に込められた意味を知りたいと思っていた。

 じつはこの日の打合せ前、進行係の女性が出勤しご霊前に焼香してくれているのを見かけた。お礼がてらの雑談の中で、「お母さまの法名はすてきですね」と言ってもらったので、ご住職が着かれて斎場側と打合せするとき、読経のあとの説法で法名の由来について触れてもらえるようお願いしておいたのだ。

 ご住職は、法名はどうやってつけるか、その際のエピソードなどを少し話したあと、こう仰った。
「ミヨ子さんの場合、俗名を前にしたとき、涼という字がふっと浮かびました。涼やか、涼しげというよい文字です。下の珠は、玉の美しさ、丸く収まる、というところからつけました」。

 珠はよい字だし、全体としてはきれいな、かつあまり見かけない法名だと思う。昨晩の弔問客も親族の何人かも「女性らしいきれいな法名」だと言っていた。しかしわたし自身は、ミヨ子さんのイメージと「涼」の字はあまり結びつかない。どうせならもっと温かみのある文字のほうが相応しい気がしたし、できることならほかのご先祖の法名、とくに亡夫・二夫さん(つぎお。父)との関係も考えてほしかった。

 でも、お釈迦様がその名前で可愛がってくれるなら、どうぞよろしくお願いします、という気持ちだ。どのみちわたし(たち遺族)は、ミヨ子さんを法名で思い返すことはあり得ない。法名もまた形式、儀式でしかないと思う。

 祭壇のミヨ子さんはにこやかに会場を見渡している。実家で営んだ数々の法事のとき――葬儀もあれば、年忌法要もあった――、ミヨ子さんが、お経の意味はわからないながらもまじめにお念仏を唱えていた姿を思い出す。読経の間わたしも同じように心をこめてお念仏を唱えた。(「3月25日②」へ続く)

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