文字を持たなかった昭和348 梅の実のある風景(9)番外、ゆかり
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。
最近では、保存食品として毎年手作りしていた梅干しをテーマに書いた(「梅干し(1)梅の木~(11)保存、おまけ」)。ついでに梅の実にまつわるエピソードをしばらく綴ることにして、日の丸弁当、砂糖梅、梅干しの食べ方、梅干しの「仁」、そして梅酒にまつわる光景などを述べている。
梅の実そのものではないが、梅(干し)と言えばこれは外せないというものもある。それは「ゆかり」だ。番外としてゆかりについて書き、梅関連のテーマの一区切りとしたい。
ゆかりはふりかけとして市販もされており、日本料理の風味づけとしても登場する。梅干しを本漬けするときに使う紫蘇の塩もみを、梅の実とともに梅酢に漬け込んだあとに取り出して乾燥させ、細かくすり潰したものだ。ミヨ子たちが現役主婦だった頃なら擂り鉢で擂っただろうが、いまならフードプロセッサーに数十秒かければできあがるだろう。
ミヨ子や姑のハル(祖母)は、梅を漬けるときの赤紫蘇を全部取り出してしまうことは少なく、しょっぱい味と梅の風味が十分に浸みた赤紫蘇を少しだけ取り分けて、漬け物代わりにすることはあった。
準備した紫蘇が何かの加減で多すぎたりしたときは、梅干しを寝かせる前に赤紫蘇を取り出すことがないでもなかった。取り出した紫蘇の塩分は強烈で、そのまま置いておいても腐ったりはしないのだが、保存しやすいようにということだろう、ザルに乗せて乾かし、乾いたら細かくして――少量なら擂り鉢を使わず包丁で刻むこともあった――瓶などに入れて保存した。
二三四(わたし)は、母親や祖母が梅干しを漬ける一連の作業を見ていて、ときに自分も手伝うなかで、赤紫蘇は変わった使い方ができることを知ってはいた。が、スーパーなどのふりかけコーナーに女の子みたいな名前で並んでいるものが、実家にもあった「乾燥して砕いた赤紫蘇」であると気づいたのは、郷里を離れた大学進学後か就職してからだった。そのとき、「ゆかり」はてっきり商品名だと思ったほどだ。
ミヨ子を含む地域の女たちは、ゆかりという名称も知らなかったし、赤紫蘇を頻繁に料理に使っていたわけではなさそうだ。それでも梅干しづくりの過程で出る赤紫蘇の使い方については、それぞれノウハウがあったと思う。
