文字を持たなかった昭和402 介護(21) 姑⑮食事
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。
最近はミヨ子が嫁として仕え最期を看取った舅と姑の介護の様子を、「介護」というタイトルで書きいてきた。 昭和40~50年代のできごとである。介護という概念すらなかった当時の状況(①、②)、舅・吉太郎(祖父)のお世話(①、②)に続き、姑・ハル(祖母)について。「徘徊」や粗相から、やがてほとんど寝たままの状態になった。
介護用品など市販されておらず、各家庭が手探りでお世話をしてた時代。布おむつを手縫いしできる限りのお世話をしたが、おむつを外して動き回ることもあったし、お風呂にはほとんど入れてあげられなかった。
食事はどうだっただろうか。
二三四(わたし)はハルに食事を運んだ様子をあまりはっきりと思い出せない。思い出そうとすると、やはり寝たきりだった母方の祖父・直次の情景〈174〉と重なってしまう。直次はいわゆる「中風」を患い、4,5年も寝たきりだった。二三四は同じ集落にあったミヨ子の実家にはちょくちょく足を運び、母方の祖母・ハツノを手伝って直次にごはんを食べさせたりもしていたから、その印象が深いのかもしれない。
もちろんハルの三度の食事はきちんと用意された。いまでいう「認知機能の低下」がまだ緩やかだった頃は食卓で家族と同じものを食べた。寝込んだ直後あたりでも、体を起こして食べさせてあげれば、ふつうのごはんを食べられた。
が、やがて起き上がるのは難しくなり、咀嚼力も弱くなっていく。ハルは総入れ歯だった。ふつうのごはんを食べられる頃までは入れていた入れ歯も外してしまい、やわらかめに炊いたごはんとみそ汁、やわらかいおかずを用意するぐらいになっていった。ハルはそれらを上あごに押し付けて潰してから飲み下すのだ。
食べさせるときは、一回ごと口に運ぶ量も気をつけた。ときどき吸い飲みからお茶やお湯を飲ませて、のどに詰まらせないようにした。
――といったことのほとんどは、ミヨ子がやっていたはずだ。二三四は、ミヨ子が手を離せないときに手伝うくらいだった。ただ、直次のご飯のお世話の経験から要領はそこそこわかっていた。
一方、実の息子の二夫(つぎお。父)や、ハルにとって初孫の和明(兄)が食事のお世話をすることはなかった。もちろん、「男だから」である。
〈174〉直次が寝たきりになっていたことについては、「姑⑫床ずれ」で少し触れている。
