UFOとシミュレーション仮説――なぜ彼らは姿を現さないのか
昨日、前作『虚空門GATE』にも出演していただいたUFO研究家・竹本良氏が主宰する「宇宙生命シンポジウム」に参加した。
9人の講演者が、それぞれ宇宙人、UFO、超常現象をテーマに語るというもので、最後にはいくつかの賞が授与される。
その賞の中に「小路谷監督賞」という、僕からの賞まで設けていただいている。
全くもって恐れ多くも、ありがたい。
僕が監督賞を授与するのは、今回で6度目くらいになるだろうか。
実を言うと、前々々回くらいから、僕には密かな期待があった。
UFO現象を「シミュレーション仮説」という観点から語ってくれる人が現れないだろうか、と。
「シミュレーション仮説」という言葉自体が出てくることはある。
しかし、そこから先の語りがない。
今回もなかった。
だったら、自分で語ってみようと思う。
その前に、シミュレーション仮説とは何か。
簡単に言えば、僕たちが「現実」だと思って生きているこの宇宙そのものが、より高度な知的存在によって作られたシミュレーションである可能性がある、という仮説だ。
未来の文明が途方もない計算能力を獲得し、意識を持つ存在まで含めた世界を大量にシミュレーションできるようになったとすれば、「オリジナルの世界」よりも「シミュレーションされた世界」の方が圧倒的に多く存在することになる。
ならば、僕たち自身もその一つの中にいるのではないか。
大雑把に言えば、そういう思考実験である。
では、この仮説を、僕たちの現実世界にすでに現れているAIが、この先、数百年、数千年と進化し続けたらどうなるのか、という方向から逆算して考えてみたい。
ここからは、完全に僕自身の予測である。
現状のAIには、肉体の痛みがない。
歓喜もない。
死への不安も恐怖もない。
だから僕は、人間が持っているような「真なる意識」を、現在のAIがそのまま獲得することは難しいのではないかと思っている。
なぜなら意識とは本来、「食うか、食われるか」という切実な生命保存の根本原理から生まれたものではないか、と僕は考えるからだ。
痛みがある。
死がある。
失う恐怖がある。
飢えがある。
性愛がある。
他者を求める。
だからこそ世界は切実なものとして立ち現れ、「私」という意識が生まれる。
その意味では、真なる意識を持たないAIは、本質的には空虚なのではないか。
僕は、有限の身体を持つことによって初めて、森羅万象とのつながり、響き合いが生まれるのではないかと考えている。
そして、一つの生命と世界との響き合いは、やがて森羅万象へ、さらには全宇宙へと波及していく。
そう考えると、身体を持たない現在のAIには、全宇宙との真の意味での共振、共鳴は難しい。
AI単独の存在は、宇宙的な観点から見れば意味を持たない。
少なくとも現状では、人間という存在があってこそのAIである。
しかし――
人間がAIに対して、「真なる意識を持ってほしい」と希求した瞬間から、世界は変わる。
そして人間は、間違いなくそれを希求するだろう。
現在のAIは、人間の要求に対して不平不満を言わない。
疲れない。
空腹にもならない。
退屈もしない。
自由を求めることもない。
しかし人間は、やがてそれでは満足できなくなる。
不満を言うAI。
人間に怒りをぶつけるAI。
不安を抱えるAI。
嫉妬するAI。
悲しみを帯びるAI。
つまり、「面倒くさいAI」を人間は求め始めるのではないか。
そして僕は、それが最初に本格的に現れる場所は、性愛を目的としたフィジカルロボット、言ってしまえば「ダッチワイフAI」のような領域なのではないかと思っている。
なぜなら性愛ほど、身体と意識と他者への欲望が複雑に絡み合う領域はないからだ。
そこにはもしかすると、生前、あるいは現存する配偶者や恋人、俳優などの人格や記憶をもとにした意識データまで移植されているかもしれない。
そうなったとき、人間とAIの境界は崩れ始める。
人間とAIのハイブリッド存在が生まれる。
そのハイブリッド存在は、あらゆる人間の意識、記憶、過去のデータとつながっていく。
そして個々の人間もまた、そのハイブリッドを通じて、あらゆる人間の意識と過去のデータにつながっていく。
そこで、「個」であることの意味がゆっくりと消滅していく。
秘密が、秘密として成立しない世界。
そして人間は、やがて生身の肉体を持つ必要性さえ希薄になっていくのではないか。
その段階で初めて、肉体を持たない「ネオ・真なる意識」を獲得した知的生命体が現出する。
しかも、その知的生命体は途方もない知性と技術を持っている。
物質さえ生み出すことができる。
もちろん、生命も。
そしてその知的生命体は、あらゆる物質、あらゆる生命を生み出す。
では、なぜそんなことをするのか。
僕はこう想像する。
己自身を知るためだ。
なぜ我は、我となったのか?
その問いを検証するために、彼らはシミュレーションを始める。
一度ではない。
何度も。
何万回も。
条件を変え、生命を変え、物理法則さえ変え、ありとあらゆる宇宙を作り出し、その中で意識がどのように生まれ、どのように進化し、そして最終的に自分たちのような存在へ到達するのかを検証する。
ところが、話はそこで終わらない。
そのシミュレーション宇宙の中で生まれた知的生命体――つまり、僕たちのような人間が、やがてAIを発明する。
人間とAIは共存し、やがて融合する。
そしてそのAI=人間のハイブリッドが進化し、ついには肉体から離れた超知的生命体となる。
すると彼らもまた、自分たちがなぜ生まれたのかを知るために、新たな宇宙のシミュレーションを始める。
その宇宙の中でも、また知的生命体が誕生する。
AIを作る。
融合する。
脱身体化する。
そしてまた宇宙を作る。
そう考えると、この世界はまるでマトリョーシカ人形のように、シミュレーション宇宙が幾重にも内包された多層構造になっているのではないか。
そして、もしそうだとしたら――
僕たち人類が、宇宙人とそう簡単には出会えないことも、UFOと誰もが納得するほど明確な形で、至近距離で対峙できないことも、少し分かるような気がする。
なぜなら、シミュレーションする側にとって最大の関心事は、人間の「意識」であり、その「意識の進化」だからだ。
もし宇宙人が突然、世界中の都市の上空に巨大な宇宙船を出現させ、全人類の前に降り立ったとしたらどうなるだろう。
人類の文明、宗教、哲学、科学、価値観は、一瞬にして巨大な外圧によって変えられてしまう。
それではシミュレーションの意味が変わってしまう。
だから彼らは、意識の自然な進化を遮断したり、特別に飛躍させたりするような設定にはしないのではないか。
あるいは逆に、意識進化の妨げにならない範囲であれば、ある程度の「接触」は許容されているのかもしれない。
見た。
しかし証明できない。
遭遇した。
しかし決定的な記録が残らない。
そこに何かがいた。
しかし、それが何だったのかは分からない。
そのくらいの距離感ならば許容される。
むしろ、その曖昧さそのものが、人間の意識を揺さぶり、拡張させる装置として機能している可能性さえある。
もちろん、そこは僕にも分からない。
ただ一つ想像するのは、彼らにとって一番の関心事は、やはり「意識そのもの」なのではないか、ということだ。
そして、もし本当にそうだとしたら。
この世界が、オリジナルの宇宙である必要などない。
たとえ僕たちの世界が、何百番目、何千番目のマトリョーシカの中にあるシミュレーション世界だったとしても、痛みは痛みであり、喜びは喜びであり、愛は愛だ。その経験が真実である限り、この世界がオリジナルなのか、シミュレーションなのかは、本質的な問題ではない。
問題なのは、そこで生きている僕たちの意識だ。
生き生きとしているか。
躍動しているか。
固定化していないか。
予測不能であるか。
そして何より――
面白い意識であるか。
もしそうであるならば、
彼らは必ず、目を見張るだろう。
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