日欧読書の歴史についてリンク
読書の歴史を簡単に。
解説note
読書の歴史
西洋学問における古典書のクリティック
本書が掲げる「クリティック」は、ふつう「批評」や「批判」という日本語に訳されます。しかし、それらの語では十分に表されない意味が「クリティック」には含まれていることを日本の知的世界は気づかずにきました。その状況を憂える碩学が、これまでの仕事を総括するとともに、将来の知の土台を提供するべく、本書を書き上げました。「クリティック」とは「物事を判断する場合に何か前提的な吟味を行う」という考え方です。その系譜をたどる道程はホメーロスから開始されます。そこからヘーロドトスとトゥーキュディデースを経てソークラテース、プラトーンに至る古代ギリシャの流れは、キケローやウァッローの古代ローマを経由する形で、一四世紀イタリアのペトラルカ、ヴァッラに至って「人文主義」として開花しました。この流れの根幹にある態度――それは、あるテクストを読み、解釈する前に、それは「正しいテクスト」なのか、そして自分がしているのは「正しい解釈」なのかを問う、というものです。こうした知的態度は古代ギリシャ以来のものであり、のちの者たちはその古代ギリシャ以来の態度に基づいて古代ギリシャのテクストを読み、解釈してきました。そして、それこそがヨーロッパの知的伝統を形作ってきた営みにほかなりません。
近世以前の読書
読書は少数の人びとだけにゆるされた特権で、私たちのようなふつうの人間の社会では読書はむしろ悪徳とみなされ、「だれにとっても本を読むのはいいことだ」どころか、「本なんか読んでいないで働け」というほうが世間の常識だったのです。
西洋の読書
中世の読書家の記録
Carlo Ginzburg
Le fromage et les vers : l'univers d'un meunier du XVIe siècle
Il formaggio e i vermi : il cosmo di un mugnaio del'500
https://t.co/wlueLnREXx
— えそてりか (@Esoterica_GIKO) July 24, 2025
『チーズとウジ虫』は、16世紀末のイタリアの片田舎で、一人の粉屋が異端審問にかけられた記録から始まります。
その粉屋メノッキオは、教会の目から見れば危険な思想の持ち主でした。彼の残した言葉を読んでいくと、そこには当時の知的世界の意外な広がりが見えてきます。
メノッキオは『マンデヴィルの旅行記』『デカメロン』『コーラン要約』など、様々な本を読んでいました。
— えそてりか (@Esoterica_GIKO) July 24, 2025
彼はラテン語こそ読めませんでしたが、俗語で書かれた本なら手当たり次第に読み漁っていたようです。そし、てその読書から得た知識を、粉屋としての経験や村での暮らしと結びつけて、独自の
世界観を紡ぎ出していきました。
— えそてりか (@Esoterica_GIKO) July 24, 2025
たとえば彼は、世界の始まりをチーズ作りになぞらえて説明します。
最初にカオスがあり、そこから物質が凝固して天使が生まれた―これは、チーズが凝固する過程から着想を得た世界創成論でした。
また彼は、神を「自然」と同一視し、教会の権威を相対化するような
発言もしています。「すべての宗教に救いの可能性がある」という彼の言葉には、当時としては驚くべき寛容さが垣間見えます。
— えそてりか (@Esoterica_GIKO) July 24, 2025
この本の面白さは、そうしたメノッキオの思考の跡をたどることで、私たちが思い描く「16世紀の民衆」のイメージが大きく揺らぐところにあります。
彼は確かに正規の教育は
受けていません。
— えそてりか (@Esoterica_GIKO) July 24, 2025
しかし彼の発言からは、書物から得た知識を自分なりに解釈し、批判的に考える力を持っていたことが分かります。
「民衆文化」と「エリート文化」は、実際にはもっと複雑に交わり合っていたのかもしれません。
とりわけ印象的なのは、異端審問官との対話の場面です。メノッキオは、
自分の考えを決して曲げようとしません。「私は自分の頭で考えたことしか言っていない」―この言葉には、近代的な意味での「個人」の芽生えのようなものすら感じられます。
— えそてりか (@Esoterica_GIKO) July 24, 2025
結局彼は処刑されてしまいますが、その最期まで自分の信念を守り通しました。
ギンズブルグは、
こうした一人の人物の記録を丹念に読み解くことで、歴史の「底」に沈んでいた世界を浮かび上がらせます。
— えそてりか (@Esoterica_GIKO) July 24, 2025
それは私たちが思い描く「中世」や「民衆」についての固定観念を、静かに、しかし確実に揺るがしているように思えます。#チーズとうじ虫
18世紀のブーム
「フーコーよりも19歳ほど年下のアメリカの歴史学者リン・ハント は、別の見解を示しています。『監獄の誕生』から33年後の2007年に彼女が著した『人権を創造する』によれば、18世紀半ばに起きた「書簡体小説」のブームと、その後の読書習慣、とくに小説を読む習慣の普及が、人々の共感能力を伸ばして「人権」の意識を根付かせた、結果として残虐な身体刑は廃止されるようになった、というのです。
書簡体小説とは、その名の通り手紙の形式で進む小説で、18世紀のヨーロッパで大流行しました。そのブームの先駆けとなったのが、1740年に出版されたサミュエル・リチャードソンの『パミラ、あるいは淑徳の報い』です。」
「18世紀の読者には、この小説は衝撃を持って迎えられました。
出版から約2ヶ月後の1741年1月には早くも重版がかかり、3月に第3版が、5月に第4版、9月に第5版が発売されました。瞬く間に多言語に翻訳され、1744年にはフランス語版がローマ・カトリックの禁書目録に載るまでになりました[23]。膨大な数の批評、パロディ、海賊版が執筆され、今でいう「パミラグッズ」のようなものが制作・販売されました。ある村では、B氏とパミラがついに結婚したという噂を聞いて、村人たちが教会の鐘を鳴らしたという逸話まで残っています。
『パミラ』の成功を受けて、ヨーロッパでは小説の刊行数が激増しました。
イギリスでは1770年代には毎年約30点、1780年代には毎年約40点、1790年代には毎年約70点の新作小説が世に出ました。これは18世紀の最初の10年間に比べて6倍の増加でした。フランスでは1701年にはわずか8点だった小説が、1750年には52点、1789年には112点が出版されました[24]。
リチャードソンが1747年から刊行を開始した『クラリッサ』は、再びベストセラーになりました。また、ジャン=ジャック・ルソーも『ジュリ または新エロイーズ』という書簡体小説を1761年に出版しており、こちらも一世を風靡しました。
人権意識が芽生えるためには、共感能力が欠かせません。他人――とくに自分とは違う社会階層に属していたり、奴隷だったりする人間――にも、自分と同じような思考・感情があり、痛みを感じるのだという理解が不可欠です。
また、他人に人権を認めるためには「道徳上の自律性」が前提になると、ハントは指摘しています[25]。他の人間も自分と同様に、善悪の区別を自らの頭で考えることができるという前提です。この前提がなければ、奴隷は言葉で言い聞かせても理解できないから拷問して分からせるしかないんだ――という発想から抜け出せません。
そして小説には、こうした共感能力や前提を読者に植え付ける力があるというのです。」
https://rootport.hateblo.jp/entry/20240406
Inventing human rights : a history
いまや小説は、あらゆる階級の女性の読み物の大きな部分を占めつつあり…彼らはしばしば小説のたぐいを異常に欲し、それも教養小説ではなく感傷的な恋愛小説を読みたがる。
…怪奇小説や、ぞっとする推理小説などの恐怖までもが患者の想像のなかになまなましく浮かび出て、知らぬ間にしのび寄り、ついには眠りを妨げるほど制御できないものになってしまう
1859) フローレンス・ナイチンゲール
『大英帝国 最盛期イギリスの社会史』長島伸一P6
江戸時代
近世になり江戸などの庶民も、寺子屋などで四書五経などの素読(音読)ができるようになり、貸本屋の草紙などを読むようになりました。
寺子屋は四書五経の素読程度は全員を対象に行われ、生徒の家の生業に応じて職業専門教育も行われていた。教科書は各種の往来物(書簡形式で綴られた教材)が使われ、大工の倅なら「番匠作事往来」というような個別指導で卒業後から就く職業の基礎知識を学んだ。
— 六衛府 (@yukin_done) February 17, 2017
※番匠作事往来 国文学研究資料館 蔵 pic.twitter.com/XhVlT9fGQs
江戸の読書文化
— 笹井さゆり/Sayuri Sasai (@chiyochiyo_syr) December 29, 2024
「貸本屋」が大人気でした(再掲) pic.twitter.com/VJGiRXTkx9
近代~現代
novel 小説
小説という語もまた、明治期に作られた翻訳語である。坪 内逍遙が、英語の「novel(ノベル)」に「小説」という漢字を当てたのだ。さ らに、この「ノベル(novel)」という英単語は、ラテン語の「novella narratio」 に由来する。前半の「novella」が、省略語的に「novel(ノベル)」の語源とな ったのである。なお、「novella」は、映画のヌーベル・バーグの「ヌーベル」 と同じく「新しい」という意味で、後半の「narratio」は「ナレーション」の 語源である。だから、敢えて由来を辿った逐語訳を試みれば、「ノベル」は「新 話」とでもなろうか。 あるいは、フランス語やドイツ語では、いわゆる「小説」のことを「ロマン (roman/Roman)」と言う。英語でも、フランス語の「ロマン」を借用して、長 編小説のことを「roman」と表現することもある。いずれの場合も、「ロマン」 は「ノベル」とは異なり、「新しい」という意味を持つ語ではない。この「ロ マン」は、ロマン語(ロマンス語)に由来する。ロマン語とは、大雑把に言え ば、文語であるラテン語に対する俗語のようなものである。つまり、独仏語の 世界における「ロマン(小説)」は、元来、高尚な文語であるラテン語ではなく、 通俗的な言葉で表現された作品だということになろう。なお、漢語の「小説」 は、取るに足りない議論といった意味である。
黙読革命
黙読革命──鉄道が変えた日本の読書文化【トリビア雑学・豆知識】
— セイスケくん (@futen_seisuke) February 12, 2025
日本人の黙読は近代の鉄道普及と共に生まれた。それまでは読書=音読が常識。電車内で本を読む習慣が定着し、黙読が広がった。今ではスマホ読書が主流に。読書の形は時代と共に変わり続ける。https://t.co/FbdfShNwUd
音読から黙読への変遷と鉄道の影響
かつての日本では、本を読むことは音読することを意味していた。江戸時代においても、読書といえば声に出して読む行為だった。(素読そどく)そのため、当時の外国人が宿に泊まった際、隣の部屋から音読の声が聞こえて眠れなかったという記録も残っているほどだ。
しかし、明治時代になり鉄道が普及すると、読書のあり方が変化した。人々は車内で本を読むようになったが、周囲への配慮から音読を避け、次第に黙読するようになった。この変化により、音読は公共の場で「無知の象徴」と見なされるようになり、黙読が一般的になっていった。
さらに、鉄道内での読書習慣が家庭にも影響を与え、それまで家では音読が主流だったのが、黙読へと逆輸入される形で定着していった。こうした流れを考えると、黙読は近代における公共空間の発展とともに生まれた文化であることがわかる。
読書国民の誕生 近代日本の活字メディアと読書文化 (講談社学術文庫) Kindle版
https://amzn.asia/d/eo5e4t5
国民国家と文学
近代の国民国家では共通語である国語の創設とその文芸小説などが広く読まれるのようなりました。
https://note.com/mototchen/n/n2cedd2d53196
西洋学問の移入
日本における西洋学問の移入は、書物の翻訳によってなされました。そこでは日本語になっていない翻訳本を読むことが学問とされました。
教養主義
ヘーゲルの読書によるBildung (ビルドゥング 教養)で、パーソナリテイを陶冶(人格を陶冶)し、絶対精神へ至るという方法論に基づく教養主義が日本にパラダイムとして広まりました。
日本ではエリート文化の中核となる教養主義が,大衆文化の中核となる修養主義に包含された形で明治末期に成立してきました(第一章).その教養主義は大正初期から中期にかけて修養主義から分離してエリート文化として自立してきます.大正期に岩波書店を中核とした教養主義文化圏が成立した時,その担い手となったのは旧制高校生に代表される学歴エリートでした.その後,マルクス主義とモダニズムが台頭する中で学歴エリートは昭和を迎えます.旧制高校での読書調査を検証すると,満州事変以降の軍国主義化の流れの中で,マルクス主義,モダニズムの影響力は徐々に後退していくのですが,軍国主義が旧制高校生文化を捉えたわけではなく,昭和十年代には教養主義の復権の時代が訪れます.敗戦によってもこの傾向は変わらず,新制大学教養部と新制高校の学生・生徒間にマニュアル化された教養主義文化は継承され,昭和40年代に至るまで日本の青年学生文化の主潮流として機能し続けるのです(第二章).第三章では,第二章の時期において担い手たちの意識の変遷をたどりながら,時代と大衆文化との緊張関係の中で教養主義がいかに変容したか否かを考察します.第四章では企業経営者たちのエートスに光を当てます.付論では立身出世主義と修養主義の緊張関係を考察しています.第五章では,現代における教養が(1)専門に対する基礎としての教養,(2)幅広い知識としての教養,(3)文化の習得による人格の完成という意味での教養という三つのカテゴリーによって構成
歴史社会学的考察
https://www.iwanami.co.jp/book/b255862.html
日本の教養主義に生きた人たちは、カントやヘーゲル などの啓蒙主義哲学を知識習得のみならず、生き方のモデルとして採用した。したがって、教養としてのビルドゥングという理解はおおむね1970年代までの 大学カルチャーの中では標準的な考え方となった。
関連書
読書感想文は人格陶冶の効果判定
文科省によれば「読書と作文は「豊かな人間性」を育むためにある」ということなので読書による人格陶冶=教養主義の立場であるということなのでしょう。
読書効果の科学
現代においては遺伝の影響、パーソナリティの変化、などについて研究により読書の効果が検証されているようです。
読書と共感
小説で脳を鍛えよう!読書量が多いと他者を理解する能力が高まる!https://t.co/3STGI5jj69
— ナゾロジー@科学ニュースメディア (@NazologyInfo) May 7, 2024
独JMUは読書をよくする人ほど他者の視点を理解する共感力など認知機能が向上していることを発見。フィクション作品の読書で特に効果が大きかった。映像作品の視聴ではこの効果は確認できなかったという。 pic.twitter.com/RizOpAlwQx
