鹿屋市と大隅半島のご紹介
都心へ向かう電車の車窓に目を向けると、心に映るのは、懐かしい鹿屋の田園風景 …

《鹿児島県鹿屋市野里》
(Photo by ISSA)
前任地の鹿屋では、公私ともに、日々、様々な課題に取り組み、苦労や試練がある一方で、沢山の学びや成長の機会にもなりました。
今になって、鹿屋で過ごした2年半ほど、自分を高めてくれた場所は無かったように思います。
という訳で、今回は、この思い出深い鹿屋市と大隅半島についてご紹介したいと思います。

《鹿児島県鹿屋市天神町》
(Photo by ISSA)
鹿屋市の概要
大隅半島の中央に位置する鹿屋市は、鹿児島県下では第3の都市で、この地域の行政・経済・産業の重要な役割を担っています。
南九州は歴史の宝庫
人前で話をする機会があるときは、いつも「南九州は歴史の宝庫なので、是非、鹿屋で過ごす時間を大事になさってください」と語ってきました。
南九州は、巨大噴火が繰り返された地であったことは、以前、こちらの記事でご紹介したとおりですが、
3万年前の姶良カルデラの噴火によって、

《Google Earth》
大隅半島一帯に広大なシラス台地が形成され、

《鹿児島県垂水市新城付近》
(Photo by ISSA)
1万年前(縄文時代早期)には、人々がこの地で暮らしていたようですが、
7,300年前の鬼界カルデラの大噴火で、縄文人たちは壊滅的な打撃を受けました。

《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)
その後、人々が戻ってきて、初代・神武天皇のご両親である鵜草葺不合命と玉依姫の陵墓や、当地でのお妃であった吾平津媛ゆかりの地、
神武東征の準備をした史跡が散在するほか、

(Photo by ISSA)
弥生時代の集落などが見つかっています。

《鹿児島県鹿屋市北田町・王子遺跡資料館》
(Photo by ISSA)
7世紀頃には隼人が最盛期を迎え、ヤマト王権との対立が深まる中、大隅隼人は独立を保ち続けました。
713年に大隅国が設置されてもなお、ヤマト王権に服属せず、720年に隼人の乱を起こしますが、やがてヤマト王権によって制圧されました。

《霧島市隼人町・隼人塚史跡館》
(Photo by ISSA)
鎌倉時代になると、島津忠久が大隅・薩摩・日向の守護に任命され、その後の島津氏による支配の礎が築かれます。
その後、戦国時代を通して島津氏が南九州全土を統一する過程で、大隅半島もその配下に組み込まれました。

(新歴史紀行・Discover Japan)
江戸時代になると、薩摩藩独自の行政制度である外城制度が敷かれ、主要な集落には麓と呼ばれる武士団の居住地が設けられました。
同じく薩摩藩独自の郷中教育で育てられた幕末の偉人・西郷隆盛も、しばしば、大隅半島を訪れていたようです。

下:南洲翁最後之宿泊地《鹿屋市高須》
(Photo by ISSA)
それにしても、あっちこっちで西郷さんのゆるキャラを見かけました。西郷さんは、本当に鹿児島県民に愛されていますね👏

(Photo by ISSA)
海軍の一大拠点へ
その後、広大で平坦な土地を確保しやすく、南方の作戦地域に近い特性から、
1936年、鹿屋に海軍航空隊が置かれ、大戦後期には特攻隊を指揮する第五航空艦隊司令部が置かれるなど、

2015年まで海上自衛隊が使っていた
(鹿屋航空基地史料館)
終戦まで海軍航空隊の一大拠点でした。

現在も、現代版・海軍航空隊とも言うべき海上自衛隊・航空部隊の一大拠点となっています。

《鹿児島県鹿屋市野里町》
(Photo by ISSA)


《鹿屋航空基地史料館》
(Photo by ISSA)
海軍/海上航空発祥の地
このように、旧海軍から現海軍(海上自衛隊)に至るまで、一貫して「海軍航空兵としてのスピリット」を育んできた場所は、日本全国、鹿屋をおいて他になく、
それ故、史料館には「海軍航空発祥記念碑銘板」(注1) が、また、基地内には「海上航空発祥之地碑」が置かれています。

《鹿屋航空基地史料館》
下:海上航空発祥之地碑
《海上自衛隊・鹿屋航空基地》
(Photo by ISSA)
(注1) 厳密には、1912年に海軍航空術研究委員会の河野三吉・海軍大尉が、カーチス式水上機の初飛行に成功させ、後に横須賀海軍航空隊が置かれた横須賀の追浜が、海軍航空隊が発祥した場所であり、貝山緑地にある「海軍航空発祥之地碑」が、その始まりを伝えている

《鹿屋航空基地史料館》
(Photo by ISSA)
鹿屋航空基地は、海上自衛隊発足当初から、絶え間なく周辺海域の警戒監視を担ってきた、いわば最前線の航空部隊となっています。
毎年4月に「エアーメモリアル in かのや」が開催され、多くの来場者で賑わっています。
宇宙開発発祥の地
更に、大隅半島は「宇宙開発発祥の地」でもあります。

《鹿児島県肝属郡肝付町南方》
(Photo by ISSA)
1970年に内之浦から打ち上げられた日本初の人工衛星には、「おおすみ」と名づけられました。

(JAXAホームページ)
大隅海峡を隔てた種子島には、日本最大の宇宙ロケット打ち上げ場が所在し、
平安前期の824年には「多禰国」(種子島)が大隅国に編入されたという歴史的な繋がりもあります。
実際、鹿屋は星空が大変、美しく、旧輝北町は、1991年から4期連続で「星空日本一」に選ばれています。

《鹿児島県鹿屋市輝北町市成・輝北天球館》
(Photo by ISSA)
2024年に地球に接近したアトラス彗星も、スマホで綺麗に撮影することができました。

《鹿児島県垂水市新城》
(Photo by ISSA)
鹿屋は「陸の孤島」
話は戻りますが、最前線の部隊というものは、得てして「陸の孤島」と呼ばれる場所にあることが多く、鹿屋も例外ではありません。
昔は、国鉄・大隅線が走っていましたが、1987年に廃線となり、以降、鉄道と名の付くものは走っておらず、

《鹿児島県鹿屋市共栄町》
(Photo by ISSA)
最寄りの空港(鹿児島空港)でも、車で1時間半はかかります。「空港で見送った人の方が先に帰宅した」なんて話も聞きました😄
海路は充実
空港も鉄道もない不便な鹿屋ですが、その分、海路は割と充実していて、志布志港からは、「さんふらわあ」で大阪方面に直行できます。

(Photo by ISSA)
こちらは、鹿児島市方面を往来する垂水フェリーです。海を見てると、「再就職するなら、やっぱ海に関わる仕事に就きたい」と思ったりしもます。

《鹿児島県垂水市潮彩町・垂水港》
(Photo by ISSA)

《鹿児島県垂水市潮彩町・垂水港》
(Photo by ISSA)
風光明媚で自然が豊か
そんな「陸の孤島」だからこそ、自然が豊かで、海も山も、どちらも楽しめます。
県央に位置する桜島の降灰予報は、まるでルーレットのようです😆

降灰があると、洗濯物は外に干せないし、車に灰が降り積もって大変なことになるので、北西風でなければ、「今日は、こっちではないな」と、胸をなでおろしたりもします😅

(Photo by ISSA)
災害派遣を担う私共としては、活発な噴火を繰り返す桜島は「防災上のリスク」と捉えがちなのですが、
地域にとっては観光、農業、漁業に大きな恩恵をもたらす存在でもあります。

(Photo by ISSA)
九州最南端の佐多岬からは、国際海峡である大隅海峡を一望に見渡すことが出来ます。

《鹿児島県肝属郡南大隅町佐多馬籠》
(Photo by ISSA)
こちらは、錦江湾と薩摩富士。

《鹿児島県肝属郡錦江町神川》
(Photo by ISSA)
海に面した見晴らしの良いカフェもあります。カフェもビーチも貸し切り状態になるときもあり、都会では考えられない贅沢ですね🎈

《鹿児島県垂水市新城》
(Photo by ISSA)
夏になると、鹿児島市内の花火大会を観ることができます。大隅半島から見ると、夜景と花火が海に映って、とても幻想的でした。

《鹿児島市桜島横山町・溶岩なぎさ遊歩道》
(Photo by ISSA)
鹿屋は薔薇の花で有名です。毎年5月と11月に、「かのやばらまつり」が開催されています。

《鹿児島県鹿屋市浜田町》
(Photo by ISSA)
少し北に上がれば、千本イチョウの名所があり、

《鹿児島県垂水市新御堂》
(Photo by ISSA)
東に行けば、ルーピン畑。

《鹿児島県東串良町》
(Photo by ISSA)
特攻隊の滑走路があった場所には、毎年、千本桜が咲き誇り、未だ、特攻機の帰還を待ち望んでいるかのようです。

《鹿児島県鹿屋市串良町有里》
(Photo by ISSA)
郊外には、一面のコスモス畑が広がり、

《鹿児島県志布志市有明町野井倉》
(Photo by ISSA)
田畑に広がるひまわり畑や、

《鹿児島県鹿屋市野里町》
(Photo by ISSA)
見渡す限りの菜の花畑、

《鹿児島県肝属郡肝付町新富》
(Photo by ISSA)
ネモフィラやポピーが咲き誇る観光庭園など、

《鹿児島県鹿屋市小薄町》
(Photo by ISSA)
年中、どこかしらで美しい花々を観賞することが出来ます。(日本は本当に美しい国ですね🌷)
また、グルメも充実しています。

十八番ラーメン、吹上庵
(Photo by ISSA)

観光協会レストラン、さかな館
(Photo by ISSA)
滅多に行かないですが、料亭の炊き込み御飯は最高に美味かったです。

(Photo by ISSA)
おしゃれなケーキ屋さんも。

(Photo by ISSA)
当地では、「コガネセンガン」という白いサツマイモが栽培されています。
包丁で切るとちょっと硬くて粘り気がありますが、こちらのお店では、モンブランにこのコガネセンガンが使われていました。

(Photo by ISSA)
シラス台地が、水はけの良いやせた土地(注2) であることが、大隅半島を全国有数のさつまいも生産地となっています。
(注2) 栄養の少ない厳しい環境下だと、さつまいもは根っこに栄養を蓄えようとするので、甘くて大きな芋が育ちやすくなる
シラス台地は天然の巨大なフィルターであり、質の高い湧き水を生み出す重要な役割を果たしています。
財寶温泉という企業が販売する「天然アルカリ温泉水」が、地元では親しまれています。

(Photo by ISSA)
定番のみやげは「いもけんぴ」。

(Photo by ISSA)
九州人には馴染み深い、デーリィ牛乳、ヨーグルッペ、スコールのほか、

(Photo by ISSA)
かるかん、ボンタンあめ、しろくまなど、今でも定番のみやげが充実しています。

(Photo by ISSA)

(Photo by ISSA)
鹿屋ゆかりの有名人
鹿屋ゆかりの有名人と言えば、最近では保護猫活動でも有名なサンシャイン池崎さんとか、森山・前自民党幹事長。


池崎さんは、2018年に、鹿屋郊外の崩壊寸前だった空前絶後ハウスを建て替え、ご両親に新築の一軒家をプレゼントしたそうです😄
あと、お父様が海上自衛官だった国生さゆりさん。
2020年から連載した小説が注目を集め、2025年、「国守の愛~群青の人・イエーガー~」が電子コミック化されました。
かつての父のように、国のために頑張っている人がいることを知ってほしいという願いを込めたそうです。
それから、哀川翔さん。翔さんのお父様も、やはり海上自衛官でした。

翔さんのお父様は、哨戒ヘリのパイロットだったのですが、1967年、四国沖で発生した航空事故で亡くなられました。
当時5歳だった翔さん。出産間近だった母の代わりに、ひとり、父上のご遺体と対面されたそうです。
そんな翔さんの名には、「哀しみを川に流して翔びたて」という想いが込められています。

天皇皇后両陛下の来鹿
2023年10月、降りしきる雨の中、天皇皇后両陛下を敬礼でお出迎えしたときは、全身が震えるほどの感動を覚えました。
万世一系の天皇を国家元首とするこの国の守りに就けることを、心から誇りに思います🌈

天皇皇后両陛下の車列☆☆☆☆
(Photo by ISSA's Friend)
おわりに
鹿屋在任中は、熊本の実家で一人暮らししていた母がすい臓がんに罹り、闘病生活の末に亡くなりました。
週末の度に、熊本まで車で帰省し、気が利かない兄弟との確執が深まる中、
母を介護し、実家を引き払い、休暇は取っても身体は休めていない状態が続き、
誰にも悩みを聞いてもらえない立場が苦しさを助長し、心身ともに疲れきって、本当に辛かったことが、今でも思い出されます。
だからこそ、なおさら、昔、諸先輩方から教わった「行く先々の土地や人を好きになれ」という言葉を胸に、
神武天皇や幕末の志士が生まれ育ち、特攻隊が最後の時を過ごしたこの地で、出来るだけ多くのことを学び、好きになろうと努力しました。

《鹿児島県鹿屋市浜田町》
(Photo by ISSA)
私は、人生の酸いも甘いも、
色んなことが分かるようになった
この歳に、鹿屋で勤務できたのは、
何か特別な「導き」であった
と、そう思っています。
鹿屋で、より一層、深まった両親・祖父母への尊崇の念、そして愛国心を、私は生涯、忘れることはないでしょう。

初めて「空中に浮いた場所」であり、
初めて「四輪車で走った場所」でした
(Photo by ISSA)
最後になりますが、当地には、
「後に続くを信ず」
という言葉があります。
特攻隊の隊員の間で語り継がれた、
後進に、よりよい未来の創建を託す
という意味の言葉です。
私は、海軍航空隊の末裔として
特攻隊から託された
このスピリットを大切にして
生きていこうと思います。

右上:特攻隊戦没者慰霊塔《串良平和公園》☆
右下:特攻隊戦没者慰霊塔《小塚公園》☆☆☆
回想を終えて
ふと電車の中に視線を戻せば
皆、日々を生きることで精一杯で
誰もが功利的に生きている
これからも、この国では
利他の心を極めた
特攻隊のことなど
微塵も意識することなく
疾走する電車の如く
毎日が過ぎ行くのだろうか…

(Photo by ISSA)
歴史の宝庫に身を置くことで
自ずと生きるべき「道」が
見えてくるような気がします🍀
