金曜日の知らんけど_愛おしさ
ヤスさん主催の「放課後ライティング倶楽」で幽霊部員の私が、ここのところの金曜日、何度となく倶楽部纏わりの記事を書いている。
もうこれで事は終わると思ったのだ。これで、ジ・エンドだと。
だが、このヤスさんの「土曜日の知らんけど」は、まだまだ続いているようで……。
幽霊部員だけに、何度か参加を飛ばしながらなのだが、ちょっぴり参画したりしている……。
ただ、私は、書くとすれば金曜日に記事を書くので。タイトルは、「金曜日の知らんけど_○○」である。
今日もまた、悪ガキ幽霊部員のkojuroがクラブハウスの屋上で機嫌よくサボタージュ昼寝をしてるところへ、なんだか妨げるものがある。
雨が降ってきた?
いやいや、ヤスさんから投げられたボールだ。
どっかから、スカッシュボールのレッドドットのボールが投げ込まれて、屋上のコンクリートに跳ね、まずまず良くぽんぽん跳ねて。最後にはコロコロとこっちに転がってきた。
頭んところに転がってきた、今日は黒に赤ドットのボールを拾い上げると、白い文字でなんか書いてある。
出た出た。
で、今回は、何?

心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
コジは、人の心を動かす文章、書いてないよね……。
うむ。
幽霊部員の俺には、「人の心を動かす」とかって高尚なことやれてないから、あんまり適切には言えないんだよなぁ。
しゃあないなぁ、ちょびっとだけよ。昼寝を切り上げるのは。
重い重い、ブラックホールより重い腰を上げて。白色のボールを拾い上げ、ヒョイと放り投げる。

感動して涙するとか、それを読んで勇気が出る。
そういう文章、あるには、ある。確かに、ある。そういう文章を書ける人が、いるには、いる。
このnoteの世界でも、今まで出会った中で、私が泣いた、あるいは感動した文章は、いくつもあげることができる。
しかしそもそも、私の涙腺は、歳とともに緩みっぱなしだし。それが崩壊するポイントは、ちょっと人とは違う、なんのことはないタイミングだったりする。
思うに。
私に限って言えば、読んで感動したり勇気づけられる文章というのは、どれも見かけ上は淡々としているのである。
だがその淡々とした中に、素直さとか純粋さとか愛おしさとか、そういう抱きしめたいようななんとも言えない慈愛の元があるように思うのである。
人が心を動かすタイミングをコントロールしようというのは、ちょっと烏滸がましいのではなかろうかと、いつも私は、思っている。
なぜなら、文章というのは、放ち手(書き手)から一度放たれると、受け手(読み手)に、全て委ねられる運命なのだから。
ヤスさんの記事では、「知らんけど」と言いつつ、毎回、かなり明確なことを述べられている。ひとつの、ヤスさん的な明晰な解が書かれているのである。これはきちんと参考になる。
例えば今回は。
ヤスさんは、感情は技術では書けない、動かせないとしている。そして、感動させようとしない、伝えようとしない文章こそ、人の心を動かすのだとしている。
つまり、わざとらしくなくて。そのかわり、自分がその時どう思ったかを、ていねいに、ていねいに書くことだ、と書かれているのである。
たぶん、これ以上の、正解に限りなく近い返答は無いだろう。
私の文章は、まず、下心がある。そして何より、丁寧さに書ける。人からすると参考にするには程遠い。なぜならば私は、きかん坊の悪ガキの、幽霊部員だから。
これは抗えず。なかなか人って直らないので、致し方ない。

ここまで来て思い返すに。こんな私の拙ない記事にでも読みに来てくれる有り難い方々がいらっしゃる。
本当に有り難い。有り難いのである。ほんとうに、心の底から感謝を申し上げたい。
あれ?
なんのはなしですか。

そんなこんなを家内に語ろうとしてソファーをみると、家内が脚を指さして笑って言った。
コジくん、また他人様に向けて偉そうなこと書いてるの?罰として今夜も倍マッサー(注1)ね!
うっ……。
マッサージをすると、家内は上機嫌である。
家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。

知らんけど。
(注1)マッサーとは、マッサージのことである。家内のさっちゃんがそうやって、略して言うのである。さっちゃんへのマッサーは私の最重要の日課である。


