アジアにおける近代化は西洋化ってことになっているけど、18世紀中頃に書かれた中国の長編小説『紅楼夢』はすでにめちゃくちゃ近代的である! そこに西洋化ではないオルタナティブな近代を見出せるかも - 現代日本で『紅楼夢』をどう読むか、かつての日本で『紅楼夢』はどう読まれてきたか①
7月にスタートしたメンバーシップ用の記事も5ヶ月目に突入! いつもありがとうございます!
◆7月「自己啓発本の変遷に見るわたしたちのリアリティ」
◆8月「シェイクスピアと陰謀論」
◆9月「柚木麻子『BUTTER』と王谷晶『ババヤガの夜』をきっかけに女性作家の活躍を考える」
◆10月「宮野真生子・磯野真穂 『急に具合が悪くなる』と偶然性と必然性と」
今日から第5弾「現代日本で『紅楼夢』をどう読むか、かつての日本で『紅楼夢』はどう読まれてきたか」をお送りします。と言っても、無料部分もけっこうあるので、みなさん、途中までお楽しみください。
(よかったら、ぜひ、メンバーシップに!)
さて、早速、本題に入っていきましょう。
コロナ禍以降、ロシアによるウクライナ侵攻やガザ戦争をきっかけに現代は未だに近代の延長線上にあり、多くの問題を解決できないままであったことを痛感しています。そのため、わたしは改めて近代とはなんであるのか、ちゃんと把握しておかなくてはいけないという危機感に駆られ、個人的に、探求を続けています。その成果をnoteで発信したり、リアルイベントで講義を行い、参加者の皆さまと意見交換を二年以上続けてきました。
ただ、わたし自身が大学の仏文科を卒業していることもあり、ついヨーロッパの話に偏りがち。特に近代化は西洋化の側面が強いので、アジアにおける近代化ってことを考える機会があまりありませんでした。例えば、日本は列強の進出をきっかけに明治維新が進んだことで近代化したとか、中国はアヘン戦争をきっかけに近代化したとか、教科書で習った通りの認識しかなかったのです。
ところが、アジア文学に親しもうと18世紀中頃に書かれた『紅楼夢』という中国の長編小説を読んでみると、明治維新やアヘン戦争の百年近く前であるにもかかわらず、すでに近代的な物語が描かれていたので驚きました。
ひょっとしたら一般的な理解とは異なる近代をアジアに見出せるような予感があり、その考察を重ねることにしました。今回のメンバーシップ限定記事は『紅楼夢』に関する講義をした際の資料を中心にまとめていきます。
☆そもそも近代は国ごと、分野ごと、語り手ごとに定義が違う!
まず、前提として「近代」という言葉は漠然としてるので、文脈によって意味が変わりがちです。とは言え、ほとんどの場合で共通しているのはポスト封建制度という点。
もう少し詳しく説明すると、封建制度とは土地を媒介とした主従関係に基づいて成り立つ社会の仕組み。たいていは王様が国全体を支配し、臣下に各地の土地を貸与していきます。そして、各臣下はそれぞれの裁量で地域の政治を行うのです。いわゆる地方自治ですね。基本的に土地の貸与で支配関係が決まるため、世代を超えて身分が固定化する傾向にあります。
近代化はそれを打破するものなので、科学技術や合理的な考え方を重視し、身分にしばられない社会の到来を呼ぶことが多く、職業選択や移動の自由がわかりやすい特徴。封建制度の支配体系に組み込まれていた宗教からの独立もセットになりやすく、ヨーロッパではキリスト教、中国では儒教、日本では仏教などが否定する対象となりました。
一般的に近代化の始まりは19世紀のヨーロッパ。
ベースにあるのは16世紀、ルネサンス・大航海時代・ルターの宗教改革などで、この辺りから個人主義の傾向が高まり始めていました。それを反映するように17世紀、シェイクスピア『ハムレット』、セルバンテス『ドン・キホーテ』、デフォー『ロビンソン・クルーソー』が書かれています。近代の先駆けだったわけです。
その後、18世紀に啓蒙思想の広がりからフランス革命やアメリカ独立宣言が起き、科学技術の発展による産業革命で、近代的な国民国家が次々と誕生。経済圏の拡大と政治的優位性を確保するため、植民地支配が始まっていきます。
アジアでは清朝だった中国がアヘン戦争(1840-1842)を欧米列強に仕掛けられ、その敗北から近代化(欧米化)を推し進めるも、大打撃を受けながらなので大変に苦労します。少なからず日本は中国の陥った状況に衝撃を受けたはずで、1853年のペリー来航にビビったことは想像に難くありません。植民地支配される前に対抗すべく、19世紀後半、明治維新で慌てて近代化を進めた結果、逆に、植民地支配をする側に回っていきます。
☆欧米→日本→中国の順で文学の近代化も進んだは本当?
以上の流れを受けて、一般的に、欧米→日本→中国の順で近代化が進んだとされています。文学史においても、欧米の近代小説に影響を受け、日本や中国の近代小説は作られたというのが一般的な考え方です。
日本の場合、明治時代に二葉亭四迷が言文一致体を完成させ、森鴎外・樋口一葉がロマン主義を、国木田独歩・島崎藤村・田山花袋が自然主義を、それらを夏目漱石がひっくり返し、大正時代にかけて谷崎潤一郎・芥川龍之介らがそれぞれ西洋の近代文学をもとに日本の近代小説を作ったとされていますね。
一方、中国では1905年に科挙の廃止、1911-12年に辛亥革命があり、儒教からの解放が目指されるも、まだまだ甘いということで、1910年代後半に上海の雑誌『新青年』を舞台に文学革命が進められたと言われています。
背景には、欧米列強によって中国が細かく分割されたこと(瓜分:カブン)、袁世凱政権が1915年に日本の「21ヶ条の要求」を受け入れたことなどに危機感が募り、魯迅や胡適が白話(庶民の言葉)でリアルタイムの問題を描くことに注力したことが大きいと考えられます。ゆえに、その手法は西洋の近代文学の影響下にあると一般的に理解されているわけです。
でも、本当にそんな単純な話なのか? という疑問をわたしは個人的に持っています。
近代小説の特徴として、 主に以下3つの特徴が挙げられます。
①批評性がある
②ストーリーに統一感がある
③主人公が迷っている
ヨーロッパを見たとき、たしかにそれは近代化を反映しているけれど、
他の地域だと、近代化以前から、これらの特徴を備えた有名小説は普通に存在しているんですよね。日本で言えば、『源氏物語』(11世紀初頭)がこれに当たり、湯淺幸代先生(明治大学准教授)は『伊勢物語』との類似性を挙げながら、これを復権物語として解釈可能であると分析しています。
主人公の光源氏はときの帝に寵愛された更衣の息子。容姿と才能に恵まれながら、先に生まれた皇子が東宮(皇太子のこと)になったことで、光源氏が天皇になる可能性はほぼほぼなくなり、権力から阻害されてしまう。当時の宮廷政治を反映した理不尽なストーリーの中で、光源氏は常に迷い続け(恋愛)、でも、源氏は後に父親である帝の后となる藤壺(母親に似ている)と密通し、冷泉帝が生まれることで、源氏はその後見人として権力を取り戻す。
こうやって整理し直してみるとシェイクスピアだったり、スタンダールだったりを彷彿とさせる展開に見えてきますね。
源氏物語は多様な読み方ができるけど、基本、このように近代小説的な読み筋をとることでき、当然、時代的に西洋文学の影響は受けていないと思われます。
これと、同じように、中国にもいわゆる近代化が進む前から、西洋文学の影響と無関係に近代小説と言うべき内容を備えた作品があり、それこそ曹雪芹『紅楼夢』がそうなのです。
☆曹雪芹ってどんな人? 『紅楼夢』ってどんな小説?
さて、そんな曹雪芹がどんな人であるかというと、いろいろ不明な部分が多いんですね。

曹雪芹(1715?-1763?)の家系は漢民族ながら、清に早く降伏したことで、
皇帝の奴隷を意味する「包衣」として、他の漢民族を束ねる役割として厚遇されてきたと伝えれています。曽祖母が清の第4皇帝康熙帝の乳母になったことで、祖父は乳兄弟として優遇され、江南で織物と塩の商売で莫大な富を得たそうです。
しかし、祖父が亡くなり、康熙帝も亡くなり、雍正帝の時代になると緊縮財政が進められる中、贅沢三昧をしていた曹家は摘発されてしまいます。全財産を没収されたというから、相当、辛かったに違いありません。
幼かった曹雪芹の生活も一変。北京に移り、貧困生活に喘ぎながら『紅楼夢』を書き続けました。その後、子どもが夭折し、その悲しみのうちに曹雪芹も亡くなったと言われています。なので、実は『紅楼夢』は未完のままでした。
そんな『紅楼夢』は清朝中期、乾隆帝の時代(18世紀中頃)に書かれた中国の長篇白話小説です。白話小説というのは庶民が普通に使っている言葉で書かれたものという意味。要するに言文一致体ですね。
なお、清朝は文字の獄で反満反清的記述は厳しく取り締まるも、それ以外の民間の出版に対する規制はゆるく、エンタメ系の出版業が盛り上がったとされています。そのため、清朝前期(ざっくり17世紀)、当時の出版社が販促用のキャッチコピーとして「四大奇書」というくくりを創作。元から明にかけての白話小説を積極的に売り出し、ベストセラーを演出しました。
この「四大奇書」の内訳は『三国志演義』(14世紀中頃?)、『水滸伝』(14世紀中頃?)、『西遊記』(16世紀中頃?)、『金瓶梅』(16世紀末頃)でいずれも作者が不明もしくは不確定。清朝中期(ざっくり18世紀)になると、「四大奇書」は「四大名著」に呼び方が変わり、『金瓶梅』が『紅楼夢』に取って代わられていることが資料から明らかになったそうです。このことから『紅楼夢』は刊行当初から大衆に人気だったと推測できます。
※しかし、このことを講座で紹介したとき、中国出身の方から「四大奇書」というくくりに違和感があるとご指摘を受けました。調べたところ、「四大奇書」のくくりは日本の歴史教科書用語の可能性もあるようなので、要検討との言葉みたいです。
ちなみに奇書とは「世に稀なほど卓越した書物」という意味だったらしいけど、日本では「変な本」と誤解し、ミステリーの世界で「三大奇書」というオマージュが行われました。小栗虫太郎『黒死館殺人事件』(豆知識ウザイ)、夢野久作『ドグラ・マグラ』(ひたすら意味不明)、中井英夫『虚無への供物』(ミステリーおたくたちの見当はずれな推理合戦)の三作品を指していて、どれも読書好きが一度は通るイロモノ小説ですね。
まあ、『虚無への供物』だけは読みやすいし、事件もトリックもオチもちゃんとしていますが。というか、わたしは『虚無への供物』が大好きで、江戸府内五色不動めぐりを決行したぐらいなので贔屓せざるを得ません。世の中的には『ドグラ・マグラ』派が多いと知りつつ、ここだけは譲れないのです。
閑話休題。
他の名著同様、『紅楼夢』はシリーズもの(全120回)で書かれています。なので、出来上がり次第、小出しに出版。読者に続きを読みたいと思わせていたんじゃないかと推測されます。
親族とされる脂硯斎が曹雪芹の原稿を整理し、解説をつけたものが出版されたということです。この脂硯斎は謎な人物で、編集者的な役割も果たし、『紅楼夢』における女性心理がやたらリアルであることから、女友だちだった説も出ています。
なお、全120回が出版され、長いことすべてを曹雪芹が手がけたと多くの人がそう信じてきましたが、実は曹雪芹が手がけているのは80回まで。残り40回は別の人間が補足したものとされています。
魯迅と共に文学革命を率いた胡適は高鶚という官僚が、科挙の受験生時代、書店に頼まれ、続きを創作したものと主張したが、不完全な形で残っていたものを整理・増補しただけという説がかつては有力でしたが、最近はそうじゃないかもと、「無名氏」が後40回は手がけたものとして表記されることが増えてきました。
平凡社版の翻訳者・伊藤漱平先生(東京大学名誉教授・二松學舍大学名誉教授)曰く、勉強が苦手な主人公がラスト、なぜか科挙でトップレベルの成績を取り、引くてあまたにもかかわらず、官僚にならず出家するシーンがあり、それまでの反儒教スタイルに反しているので謎な終わり方とされていたが、科挙の受験勉強でノイローゼになっていた高鶚の妄想だったのでは?という説もあるそうです。
いずれにせよ。曹雪芹は自らの構想を最後まで形にできなかったという読み方が一般的で、実際、明らかな伏線(主人公のドッペルゲンガーみたいな存在の処理)が回収されていません。また、前80回に関しても、修正ができた章とできていない章が渾然一体となっていて、キャラクターの性格や出来事に矛盾がたびたび生じています。
さらに胡適は『紅楼夢』を没落貴族だった曹雪芹の自伝と捉え、その後の研究の道を開き、最近だとクイアの文脈から、『紅楼夢』を性的マイノリティ小説として読む人も出てきているなど、現在も精力的に研究が続けられている小説なのです。
次回はそんな『紅楼夢』のストーリーを詳しく見ていきます。
ここからは有料部分で、それほど重要な文学作品『紅楼夢』がどうして日本であまり読まれてこなかったのか、銭鍾書『結婚狂詩曲(囲城)』の解説に書いてあったことを踏まえて考察を進めます。
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