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北海道音楽大行進 - その3

北海道音楽大行進 - その3

 「国立国会図書館デジタルコレクション」で公開されている『北海道護国神社慰霊音楽大行進史 : 昭和4年~昭和23年』の内容を『北海道音楽大行進の誕生と展開 ― 軍楽から都市祝祭へ(1929–1953)』(北海道音楽大行進 - その2)として整理・公開しました。
 続く本稿では、手元の『旭川吹奏楽連盟五十年史』に基づき、音楽大行進が復活した昭和28年(1953年)の第21回から、昭和54年(1979年)の第47回までの歩みを整理して紹介します。


音楽行進の中断(昭和24年〜27年)

 1929年(昭和4年)の第1回から1948年(昭和23年)の第20回まで継続して開催されていた音楽行進は、戦時中および終戦直後も途絶えることはありませんでしたが、その後4年間の中断を余儀なくされました。
 この背景には、教育制度の刷新や社会経済の不安定化、連合国軍(GHQ)による占領政策、さらには主催者側の諸事情など、複合的な要因があったと推察されます。
 1952年(昭和27年)、サンフランシスコ平和条約の発効により日本が主権を回復し、経済復興の基盤が整うとともに、音楽行進再開への機運が高まっていきました。

第21回音楽行進 (復活第1回)

 1949年(昭和24年)からの中断を経て、旭川市の吹奏楽・音楽関係者の間で行事再開を望む声が高まりました。これに応える形で、1915年(大正4年)創業の「旭川新聞」の系譜を継ぐ「北海日日新聞社」が主催を引き受けることとなりました。
 こうして1953年(昭和28年)6月5日、音楽行進はふたたび開催の日を迎え、新たな歩みを踏み出しました。

主催 : 北海日日新聞社
日時 : 1953年(昭和28)6月5日(金) 午後1時
経路 : 旭川駅前-平和通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 :  8団体 (総勢約178名)
 保安隊喇叭らっぱ * 1、上富良野中学校 * 2、旭川北高等学校 * 3、室蘭富士製鉄 * 4、旭川市消防音楽隊 * 5、国家地方警察旭川方面隊 * 6、旭川商業高等学校 * 7、保安隊音楽隊 * 8

 午後3時からは神社境内特設舞台にて、旭川商業高等学校、室蘭富士製鉄、保安隊音楽隊による演奏会が開催されました。

参加8団体

* 1 保安隊は、1950年(昭和25年)発足の警察予備隊を前身とし、1952年(昭和27年)10月の改組を経て、のちの自衛隊(1954年発足)へとつながる組織。
* 2 上富良野中学校は、学制改革に伴い1947年(昭和22年)に開校した上富良野町立の新制中学校。
* 3 旭川北高等学校は、1940年(昭和15年)に「旭川市立中学校」として開校。1948年(昭和23年)の学制改革により「旭川市立高等学校」と改称、1950年(昭和25年)の道立移管に伴い現在の校名となった。
* 4 室蘭富士製鉄は、1909年(明治42年)に北海道炭礦汽船株式会社が溶鉱炉を建設・操業したことに始まる。その後、輪西製鐵、日本製鐵を経て、1950年(昭和25年)の財閥解体・会社分割に伴い、富士製鐵の製作所(室蘭製鐵所)となった。
* 5 旭川市消防音楽隊は、1952年(昭和27年)10月、消防職員の士気高揚と諸式典の充実に加え、市民への火災予防の普及啓発を目的として創設された。
* 6 国家地方警察旭川方面隊は、旧警察法(1948年〜1954年)に基づき、国家地方警察北海道本部が旭川地区を管轄するために設置した組織。1954年(昭和29年)の警察法全面改正に伴い、現在の北海道警察旭川方面本部へと改組された。
* 7 北海道旭川商業高等学校は、1922年(大正11年)に「北海道旭川区商業学校」として開校。「北海道庁立旭川商業学校」への改称を経て、戦時中の1944年(昭和19年)には工業学校(旭川第二工業学校)への転換を余儀なくされた。戦後の学制改革等を経て、1950年(昭和25年)に現在の校名となった。
* 8 保安隊音楽隊は、1952年(昭和27年)の保安隊発足に伴い編成された部隊。現在の陸上自衛隊第2音楽隊(旭川駐屯地)の前身にあたる。

第22回音楽行進 (復活第2回)

主催 : 北海日日新聞社
日時 : 1954年昭和29年6月5日(土) 午後1時
経路 : 旭川駅前-平和通り-旭橋-護国神社
参加団体 : 17団体 (総勢約350名)
 日赤看護学院 * 9、保安隊駐屯部隊喇叭隊、上富良野中学校、東川中学校 * 10、剣淵中学校 * 11、旭川工業高等学校 * 12、合同酒精 * 13、国策パルプ * 14、旭川北高等学校、旭川東高等学校 * 15、国警旭川方面隊、旭川西高等学校 * 16、旭川消防署、旭川鉄道工場 * 17、旭川商業高等学校、青函鉄道管理局 * 18、保安隊音楽隊 

 神社境内にて、旭川北高等学校、国警旭川方面隊、旭川消防署、旭川鉄道工場、旭川商業高等学校、苫小牧製紙、青函鉄道管理局、保安隊音楽隊の8団体が演奏が行われました。

新たな参加団体

*9 日赤看護学院は、旭川赤十字病院が運営していた看護師養成機関。2003年(平成15年)3月に閉校した。当時は楽器演奏ではなく、旗を掲げての行進などの役割を担っていたと推測される。
*10 東川中学校は、学制改革に伴い1947年(昭和22年)に開校した上川郡東川町立の新制中学校。
*11 剣淵中学校は、学制改革に伴い1947年(昭和22年)に開校した上川郡剣淵町立の新制中学校。
*12 北海道旭川工業高等学校は、1941年(昭和16年)に「北海道庁立旭川工業学校」として開校。1948年(昭和23年)の学制改革による改称を経て、1950年(昭和25年)に現在の校名となった。
*13 合同酒精は、1924年(大正13年)に旭川市で設立された酒類メーカー。焼酎を中心とした国内有数の出荷量を誇る、地域の基幹産業のひとつ。
*14 国策パルプは、1938年(昭和13年)に国策に基づき設立された製紙会社。のちの日本製紙旭川工場へとつながる。
*15 北海道旭川東高等学校は、1903年(明治36年)に「北海道庁立上川中学校」として開校。1948年(昭和23年)の学制改革を経て、1950年(昭和25年)の高等学校再編により現在の校名となった。
*16 北海道旭川西高等学校は、1907年(明治40年)に「北海道庁立上川高等女学校」として開校。1948年(昭和23年)の学制改革を経て、1950年(昭和25年)の男女共学化に伴い現在の校名となった。
*17 旭川鉄道工場は、1898年(明治31年)に設置された鉄道車両の製造・修理施設。当時のレンガ造りの建物(旧鍛冶工場等)は、現在「旭川市市民活動交流センター(CoCoDe)」として再活用されている。
*18 青函鉄道管理局は、青函連絡船の運航管理および関連施設を運営した国鉄の組織。当時は函館に本局が置かれていた。

第23回音楽行進 (復活第3回)

主催 : 北海日日新聞社
日時 : 1955年昭和30年6月5日(日)  午後1時45分
経路 : 旭川駅前-平和通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 18団体 (総勢約400名)
 日赤看護学院、名寄南小学校 *19、東川中学校、名寄中学校 *20、上富良野中学校、士別高等学校 *21、剣淵中学校、旭川東高等学校、旭川西高等学校、旭川北高等学校、旭川工業高等学校、永山農業高等学校 *22、合同酒精、旭川商業高等学校、国策パルプ、道警旭川方面本部、旭川消防署、旭川鉄道工場、苫小牧王子製紙 *23、室蘭駅 *24、富士製鉄、旭川自衛隊音楽隊

北海道吹奏楽連盟結成記念野外大演奏会

主催 : 北海道吹奏楽連盟
協賛 : 北海日日新聞社
参加団体 : 上富良野中学校、旭川商業高等学校、旭川鉄道工場、苫小牧王子製紙、室蘭駅、富士製鉄、旭川自衛隊音楽隊

北海道吹奏楽連盟結成

 929年(昭和4年)6月5日に開始された音楽行進は、実質的な「旭川吹奏楽連盟」の創始とされています。その後、1939年(昭和14年)に全国組織「大日本吹奏楽連盟」が結成されたことを受け、同年7月15日、札幌時計台にて「第一次北海道吹奏楽連盟」が組織されました。しかし、これは太平洋戦争の終結とともに自然解散の形となりました。
 戦後の1955年(昭和30年)6月5日、第23回北海道護國神社慰霊音楽大行進の実施に合わせ、同神社境内において北海道吹奏楽連盟の結成式(理事長:高橋沢五郎)が執り行われました。函館・旭川の両地区が推進力となり、現在の連盟組織へとつながる新たな歩みがここから始まりました。

新たな参加団体

*19 名寄南小学校は、1924年(大正13年)に「名寄南尋常小学校」として開校。1941年(昭和16年)の国民学校令による改称を経て、1947年(昭和22年)に現在の校名となった。
*20 名寄中学校は、学制改革に伴い1947年(昭和22年)に開校した名寄町立の新制中学校。1956年(昭和31年)の市制施行により「名寄市立名寄中学校」となった。
*21 北海道士別高等学校は、1941年(昭和16年)に「士別実科高等女学校」として開校。1948年(昭和23年)の道立移管・男女共学化を経て、1950年(昭和25年)に「北海道士別高等学校」となった。2007年(平成19年)に士別商業高校と統合し、現在は「北海道士別翔雲高等学校」となっている。
*22 北海道永山農業高等学校は、1923年(大正12年)に「北海道庁立永山農業学校」として開校。1948年(昭和23年)の学制改革を経て、1950年(昭和25年)に「北海道永山農業高等学校」となった。1961年(昭和36年)に、現在の「北海道旭川農業高等学校」へと改称された。
*23 苫小牧王子製紙は、1910年(明治43年)に操業を開始した王子製紙の主力工場。当時の苫小牧における基幹産業の中核を担っていた。
*24 室蘭駅は、1892年(明治25年)に開業した北海道炭礦鉄道の終着駅。当時は石炭積み出しや工業都市・室蘭の玄関口として重要な役割を果たしていた。

第24回音楽行進 (復活第4回)

主催 : 北海日日新聞社
日時 : 1956年昭和31年6月5日(火) 午後1時
経路 : 旭川駅前-平和通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 29団体 (総勢約700名)
 日赤看護学院、旭川新町小学校 *25、名寄南小学校、自衛隊第二管区音楽隊、名寄中学校、美瑛明徳中学校 *26、名寄農業高校 *27、紋別中学校 *28、上富良野中学校、志まや *29、美瑛中学校 *30、剣渕中学校、富良野機関区 *31、旭川北高校、道警旭川方面本部、永山農業高校、士別高校、富士製鉄、旭川工業高校、国策パルプ、旭川西高校、旭川消防署、名寄高校 *32、国鉄旭川工場、旭川商業高校、東洋高圧 *33、旭川東高校、東川中学校、自衛隊北部方面音楽隊 *34

野外演奏会(午後3時より開催)

 東川中学校、旭川商業高校、自衛隊第二管区音楽隊、国鉄旭川工場、富士製鉄、自衛隊北部方面音楽隊

*2 上富良野中学校は、1947年(昭和22年)に開校した上富良野町立の新制中学校。
*25 旭川新町小学校は、1954年(昭和29年)に開校した小学校。
*26 美瑛明徳中学校は、1947年(昭和22年)に「美瑛第二中学校」として開校した美瑛町立の新制中学校。1952年(昭和27年)に「明徳中学校」と改称。1980年(昭和55年)より小中併置校となるも、2017年(平成29年)に閉校。
*27 名寄農業高校は、1941年(昭和16年)に「北海道庁立名寄農業学校」として開校。1948年(昭和23年)に北海道立名寄農業高等学校、1950年(昭和25年)に北海道名寄農業高等学校と改称。2011年に閉校。
*28 紋別中学校は、学制改革に伴い1947年(昭和22年)に開校。
*29 志まやは、現在の志ま屋海産株式会社(旭川市)の前身である「志ま屋商店」が編成していた「志ま屋商店吹奏楽団」と思われる。
*30 美瑛中学校は、学制改革に伴い1947年(昭和22年)に開校。
*31 富良野機関区は、1914年の下富良野機関庫発足に始まり、1942年より富良野機関区として周辺の貨物輸送や車両点検の拠点を担った。1986年(昭和61年)に廃止。
*32 名寄高校は、1922年(大正11年)に「北海道庁立名寄中学校」として開校。1950年(昭和25年)に「北海道名寄高等学校」と改称。
*33 東洋高圧は、化学メーカー「東洋高圧工業」。三井東圧化学を経て、現在は北海道三井化学株式会社。
*34 自衛隊北部方面音楽隊は、札幌市に所在する方面総監直轄の音楽隊。

第24回音楽行進 (復活第4回)参加記念バックル

第25回音楽行進 (復活第5回)

主催 : 北海道吹奏楽連盟、旭川市、北海道護国神社協賛会、北海日日新聞社
日時 : 1957年昭和32年6月5日(水) 午後1時
経路 : 旭川駅前-平和通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 34団体 (総勢約1,026名)
経路 : 旭川駅前広場-平和通り-旭橋-護国神社

野外合同演奏会

日時 : 6月5日 午後3時40分
会場 : 常磐公園(天文台付近)
演奏団体 :
 旭川高校合同演奏、名寄合同演奏、国鉄旭川工場、道警旭川方面、旭川消防合同演奏、富土製鉄、王子製紙合同演奏、自衛隊北部方面・第二管区合同

第25回音楽行進 (復活第5回)参加記念バッジ

第26回音楽行進 (復活第6回)

主催 : 北海タイムス(北海日日新聞合併)社、北海道護国神社奉賛会、旭川市、旭川吹奏楽連盟
日時 : 1958年昭和33年6月5日(木) 午後1時
経路 : 旭川駅前広場-平和通り-旭橋-護国神社
参加団体 :  44団体 (総勢約1,500名)
 赤十字看護学院、新町小学校、名寄南小学校、朝日糸魚中学校 *34、東神楽東聖小学校、美瑛明徳中学校、東旭川旭川中学校 *35、浜頓別中学校 *36、上川町公民館 *37、旭川南高等学校 *38、紋別高等学校 *39、富良野機関区、留萌東光小学校 *40、学大附属中学校、旭川志まや商店、永山中学校 *41、深川東高等学校 *42、美瑛中学校、上富良野中学校、旭川西高等学校、竜谷学園旭川高等学校 *43、永山農業高等学校、砂川中学校 *44、名寄東中学校、東洋高圧、当麻中学校 *45、名寄農業高等学校、士别高等学校、旭川工業高校(定時制)、旭川常盤中学校 *45、旭川北高等学校、名寄高等学校、旭川市消防署、下川中学校 *46、旭川東高等学校、旭川明星中学校 *47、名寄家政高等女学校、旭川工業高等学校、紋別中学校、国鉄旭川工場、士別中学校、剣渕中学校、王子製紙、旭川商業高等学校、道本部 *48、陸上自衛隊第二管区旭川駐とん地部隊。

*34 朝日糸魚中学校:1947年(昭和22年)に「糸魚中学校」として開校した上士別村立の新制中学校。1949年(昭和24年)の分村により「朝日村立糸魚中学校」と改称。現在の士別市立朝日中学校。
*35 東旭川旭川中学校:1947年(昭和22年)に「東旭川村立旭川中学校」として開校。1963年(昭和38年)の合併に伴い「旭川市立旭川中学校」に改称。
*36 浜頓別中学校:1947年(昭和22年)に「浜頓別村立浜頓別中学校」として開校。
*37 上川町公民館:どのような形態(市民バンド等)で参加したかについては詳細は不明。
*38 旭川南高等学校:1956年(昭和31年)に私立校として開校。1974年(昭和49年)に市立、1980年(昭和55年)に道立へ移管。
*39 紋別高等学校:1943年(昭和18年)開校。2007年(平成19年)に紋別北・紋別南の両校が統合し、現在の「北海道紋別高等学校」が新設された。
*40 留萌東光小学校:1944年(昭和19年)に「留萌町立東光国民学校」として開校。
*41 永山中学校:1947年(昭和22年)に「永山村立永山中学校」として開校。
*42 深川東高等学校:1929年(昭和4年)に「深川町立深川高等女学校」として開校。1953年(昭和28年)より現校名。
*43 竜谷学園旭川高等学校:1958年(昭和33年)に「旭川高等学校」として開校。1963年(昭和38年)に「旭川竜谷高等学校」と改称。
*44 砂川中学校:1947年(昭和22年)に開校。2026年(令和8年)に義務教育学校「砂川市立砂川学園」へ統合予定。
*45 当麻中学校:1947年(昭和22年)に「当麻村立当麻中学校」として開校。
*46 旭川常盤中学校:1947年(昭和22年)開校。2015年(平成27年)に統合により「旭川市立中央中学校」となり閉校。*47 下川中学校:1947年(昭和22年)に開校。
*48 旭川明星中学校:1948年(昭和23年)に旭川市立第3・第8中学校が統合して発足。
*49 道本部:原文の「道本部」は、前年の記録等から「北海道警察旭川方面本部」を指すものと推察される。

第26回音楽行進 (復活第6回)参加バッジ

第27回音楽大行進 (復活第7回)

主催 : 北海タイムス、旭川吹奏楽連盟、北海道護国神社奉賛会、旭川市、
日時 : 1959年昭和34年6月5日(金) 午後1時
経路 : 旭川駅前広場-平和通り-旭橋-護国神社
参加団体 : 56団体(総勢約2300名)

第27回音楽大行進 (復活第7回)参加バッジ

第28回音楽大行進 (復活第8回)

主催 : 北海タイムス、旭川吹奏楽連盟、北海道護国神社奉賛会、旭川市
日時 : 1960年昭和35年6月5日(日) 午後1時
経路 : 旭川駅前広場-平和通り-ロータリー-旭橋-護国神社
参加団体 : 57団体 (総勢約2,656名)

当日の様子

沿道には17万人の観衆が詰めかけ、手にする小旗を振り、デパート前では薬玉が割られ七色の花吹雪が舞い散るなか、途切れることのない拍手が鳴り響きました。

第28回音楽大行進 (復活第8回)参加バッジ

第29回音楽大行進 (復活第9回)

主催 : 旭川吹奏楽連盟、北海道護国神社奉賛会、旭川市、北海タイムス社
日時 : 1961年(昭和36年)6月5日(月) 午後1時
経路 : 旭川駅前広場-緑橋通り-ロータリー-旭橋-護国神社
参加団体 :  70団体 総勢約4000名

第29回音楽大行進 (復活第9回)

行進経路の変更

 これまで行進ルートとして使用されていた平和通りに一方通行規制が導入されたため、1条から8条にかけてのルートを「平和通り」から「緑橋通り」へと変更して実施されました。

第30回音楽大行進 (復活第10回)

主催 : 旭川吹奏楽連盟、北海道護国神社奉賛会、旭川市、北海タイムス社
日時 : 1962年昭和37年6月5日(火) 午後1時
参加団体 : 87団体  (総勢約5,600名)
経路 : 旭川駅前広場-緑橋通り-ロータリー-旭橋-護国神社

当日の様子

沿道には約20万人もの観衆が繰り出し、これに伴う交通整理や雑踏警備のため、旭川署からは警察官300人が出動し、行進が行われました。

第30回音楽大行進 (復活第10回)参加バッジ

第31回音楽大行進 (復活第11回)

主催 : 旭川吹奏楽連盟、旭川市、北海道護国神社奉賛会、北海タイムス社日日時 : 1963年昭和38年6月5日(水) 午後1時
経路 : 旭川駅前広場-緑橋通り-ロータリー-旭橋-護国神社
参加団体 : 113団体 (総勢約7,000名)

第31回音楽大行進 (復活第11回)参加バッジ

当日の様子

 降雨に見舞われたが、沿道の観衆は約15万人に達した。市内交通機関の利用者も急増し、国鉄旭川駅は平日の2倍(4万人)、旭川バスは4割増(6万人)、旭川電気軌道は2倍(2万3,000人)を記録。公共交通機関が大規模な集客を支えた。

第32回音楽行進 (復活第12回)

主催 : 旭川吹奏楽連盟、旭川市、北海道護国神社奉賛会、北海タイムス社、タイムス協力会
日時 : 1964年昭和39年6月5日(金) 午後1時
経路 : 旭川駅前-緑橋通り-ロータリー-旭橋-護国神社
参加団体 :  102団体 総勢約8000名

第32回音楽大行進 (復活第12回)参加バッジ

第33回音楽大行進 (復活第13回)

主催 : 旭川吹奏楽連盟、旭川市、北海道護国神社奉賛会、北海タイムス社、タイムス協力会
日時 : 1965年昭和40年6月5日(土) 午後1時
経路 : 旭川駅前-緑橋通り-ロータリー-旭橋-護国神社
参加団体 :  103団体 総勢約8000名

第33回音楽大行進 (復活第13回)参加バッジ

第34回音楽大行進 (復活第14回)

主催 : 旭川吹奏楽連盟、旭川市、北海道護国神社奉賛会、北海タイムス社、タイムス協力会
日時 : 1966年昭和41年6月5日(日) 午後1時
経路 : 旭川駅前-緑橋通り-ロータリー-旭橋-護国神社
参加団体 :  115団体 総勢約8500名

 吹奏楽指導講習会講師として来旭中のアメリカ合衆国の作曲家、編曲家、指揮者として著名なハロルド・ワルターズ(Harold Laurence Walters 1918 - 1984)氏が音楽行進を観覧し、特に小学生鼓笛隊に関心を寄せたとのことです。

第34回音楽大行進 (復活第14回)参加バッジ

第35回音楽大行進 (復活第15回)

主催 : 旭川吹奏楽連盟、旭川市、北海道護国神社奉賛会、北海タイムス社、タイムス協力会
日時 : 1967年昭和42年6月5日(月) 午後1時
経路 : 旭川駅前-緑橋通り-ロータリー-旭橋-護国神社
参加団体 :  105団体 総勢約8000名

35回音楽大行進 (復活第15回)参加バッジ

第36回音楽大行進 (復活第16回)

主催 : 旭川吹奏楽連盟、旭川市、北海道護国神社奉賛会、北海タイムス社、タイムス協力会
日時 : 1968年昭和43年6月5日(水) 午後1時
経路 : 旭川陸上競技場-護国神社-旭橋-平和通り-旭川駅
参加団体 :  110団体 総勢約10000名

 護国神社から旭川駅へと、これまでとは逆のルートを進んだことで、平和通を行進することとなりました。なお、旭橋の通過時は演奏を一時中止し、旭川駅前で演奏を完全に終了。その後、緑橋通を通って日新小学校へ移動し、湯茶の接待を受けたあとに解散となりました。

慰霊音楽大演奏会

日時 : 1968年昭和43年6月4日(火) 午後6時
会場 : 旭川市公会堂
出演団体 : 陸上自衛隊北部方面、第2師団、第7師団、第11師団、 第1特科団、海上自衛隊大湊音楽隊  

第36回音楽大行進 (復活第16回)参加バッジ

第37回音楽大行進 (復活第17回)

主催 : 北海タイムス社
日時 : 1969年昭和44年6月5日(木) 午後1時
経路 : (旭川市営球場)-護国神社-旭橋-ロータリー-平和通り-旭川駅前
参加団体 :  109団体 総勢約10200名

STV(札幌テレビ)放送

12日(午前11時20分-)に30分番組として放送されました。

慰霊音楽大演奏会

日時 : 1968年昭和44年6月4日(水) 午後6時
会場 : 旭川市公会堂
出演団体 : 陸上自衛隊北部方面、第2師団、第5師団、第7師団、第11師団、 第1特科団、海上自衛隊大湊音楽隊

第37回音楽大行進 (復活第17回)参加バッジ

第38回音楽大行進 (復活第18回)

主催 : 旭川吹奏楽連盟、旭川市、北海道護国神社奉賛会、北海タイムス社、タイムス協力会
日時 : 1970年昭和45年6月5日(金) 午後1時
経路 : (旭川市営球場)-護国神社-旭橋-ロータリー-平和通り-旭川駅前参加団体 :  108団体 総勢約8600名

ヤマハ吹奏楽団特別演奏会

日時 : 1970年昭和45年6月5日(金) 午後6時
会場 : 旭川市公会堂

第38回音楽大行進 (復活第18回)参加バッジ

第39回音楽大行進 (復活第19回)

主催 : 旭川吹奏楽連盟、旭川市、北海道護国神社奉賛会、北海タイムス社、タイムス協力会
日時 : 1971年昭和46年6月5日(土) 正午
経路 : (旭川市営球場)-護国神社-旭橋-ロータリー-平和通り-旭川駅前-緑橋通り解散
参加団体 :  105団体 総勢約8500名

初参加団体

 美深小学校、上砂川若生小学校、砂川北光小学校、札幌消防局音楽隊、マチイ金管バンド

NNN(日本テレビ)全国放送

 スタート地点(神社横)の様子がNNNワイドニュース全国36局ネットワークで生放送されました。

慰霊音楽大演奏会

日時 : 1971年昭和46年6月4日(金) 午後6時
会場 : 旭川市公会堂
出演団体 : 陸上自衛隊北部方面、第2師団、第5師団、第7師団、第11師団、 第1特科団、海上自衛隊大湊音楽隊

第39回音楽大行進 (復活第19回)参加バッジ

第40回音楽大行進 (復活第20回)

主催 : 旭川市、旭川吹奏楽連盟、北海道護国神社奉賛会、旭川地区小学校スクールバンド連盟、北海タイムス社
日時 : 1972年昭和47年6月5日(月) 正午
経路 : (旭川市営球場)-護国神社-旭橋-ロータリー-平和通り買い物公園-旭川駅前-宮下9丁目解散
参加団体 :  108団体 総勢約8500名

第1回マーチングバンドフェスティバル

日時 : 1972年昭和47年6月4日(日) 午後3時半開演
会場 : 旭川市立体育館
出演団体 : 旭川正和小学校、近文小学校。常盤中学校、旭川大学高校、旭川商業高校、旭川市青少年吹奏楽団、東京サンマーチングスクール

慰霊音楽大演奏会

日時 : : 1972年昭和47年6月4日(日) 午後6時
会場 : 旭川市公会堂
出演団体 : 陸上自衛隊北部方面、第2師団、第5師団、第7師団、第11師団、 第1特科団

第40回音楽大行進 (復活第20回)参加バッジ


HIRAIDE HISASHI


関連項目

北海道音楽大行進 その1
 
なぜ旭川に“音楽大行進”が生まれたのか
 吹奏楽年鑑 紀元2601年版」より

北海道音楽大行進 その2
 北海道音楽行進の誕生と展開 ― 軍楽から都市祝祭へ(1929–1953)

 
「北海道護国神社慰霊音楽大行進史 : 昭和4年~昭和23年」より

北海道音楽大行進 その3
 
『旭川吹奏楽連盟五十年史』に基づき、音楽大行進が復活した昭和28年(1953年)の第21回から、第40回音楽行進 (復活第20回)昭和47年(1972年)の第40回までの歩みを整理して紹介します。

北海道音楽大行進 その4
 
『旭川吹奏楽連盟五十年史』に基づき、昭和47年(1972年)の第40回音楽行進 (復活第20回)から 昭和54年(1979年)の第47回音楽行進 (復活第27回)までを紹介します。

北海道音楽大行進 その5
 旭川地区吹奏楽連盟ウェブ・アーカイブに基づき、昭和55年(1980年)の第48回音楽行進 (復活第27回)から、平成26年(2014年)の第82回北海道音楽大行進までを紹介します。

北海道音楽大行進 - その6
 
行進経路の変遷を紹介します。

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