北海道音楽大行進の誕生と展開 ― 軍楽から都市祝祭へ(1929–1953)
北海道音楽大行進 - その2
1941年(昭和16)発行の『吹奏楽年鑑 紀元2601年版』に基づき、2023年3月に「北海道音楽大行進」という記事を公開しました。この度、国立国会図書館デジタルコレクションにて『北海道護国神社慰霊音楽大行進史 : 昭和4年~昭和23年』が公開されていることが判明しました。
そこで、改めてその内容を確認し、本稿にて情報を整理・追記したいと思います。
稲本正勝 [編]『北海道護国神社慰霊音楽大行進史 : 昭和4年~昭和23年』,稲本正勝,1991.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/
今に繋ぐ『音楽大行進』、その創生の端緒
吹奏楽団が隊列を揃え、音楽を奏でながら行進する姿は、実に魅力的で心が躍るものです。かつて、その後を子どもたちが追いかけていく光景を目にしたことがあります。――いえ、何を隠そう筆者自分も、その中の一人です。
そんな胸の高鳴りを、1924年(大正13)、旭川出身のある立教大学生もまた、東京・渋谷で経験したといいます。
陸軍戸山学校軍楽隊
軍楽隊員の教育・育成を担い、日本における洋楽文化、そして吹奏楽の発展に極めて重要な役割を果たしたのが、陸軍戸山学校軍楽隊です。
同隊は、軍の公式行事・式典での演奏にとどまらず、日比谷公園などの野外音楽堂において一般向けの公開演奏も行い、当時の市民にとって西洋音楽に触れる貴重な機会を提供していました。
その源流は、1869年(明治2)、フェントンの指導によって結成された薩摩軍楽伝習生にあるといえます。その後1871年(明治4)には陸海軍に軍楽隊が創設され、このとき発足した兵学寮教導隊軍楽隊が、のちの陸軍戸山学校軍楽隊へと発展しました。
赤いズボンの軍楽隊
「赤いズボンをまとった、明るく華やかな軍楽隊の行進」。この光景を目にした吉本孝義氏は、郷里・旭川でも同様の華やかな行進を実現したいと願うようになります。
やがて大学を卒業し、旭川商業学校の教諭となった1926年(大正15)、吉本氏は町井楽器店主・町井八郎氏に対し、そのときの感動と、旭川での開催への夢を語りました。
そして、その夢が実現するのは、それから3年後のことでした。

北海タイムス旭川支局
1929年(昭和4)、陸軍戸山学校軍楽隊の銀座行進を報じた新聞記事をきっかけに、北海タイムス旭川支局次長・竹内武夫氏は、旭川においても同様の行進が実施できないかと町井八郎氏に打診しました。さらに、旭川の文化活動の中心的存在であった荒滝実氏 の賛同も得て、北海道招魂社例大祭(6月5日)における開催が決定されました。
こうして、北海タイムス旭川支局が主催による催しは、やがて北海道を代表する、ひいては日本を代表する行事へと発展していきました。
これは、都市で生まれた軍楽文化が地方へと移植され、新たな地域文化として定着していく過程を示す象徴的な出来事であったといえるでしょう。
《*1》荒滝実は1条9丁目の荒滝病院(婦人科・皮膚科・性病科)院長。昭和27年度旭川市文化賞受賞
第1回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1929年(昭和4)6月5日(水) 午後1時30分
経路 : 北海タイムス社-旭川駅前-師団道路(平和通買物公園)-招魂社(北海道護國神社)
『北海道護国神社慰霊音楽大行進史 : 昭和4年~昭和23年』に記載された第1回音楽行進に関する記録は、複数回の新聞記事(北海タイムス)を再編集したものです。本稿では、その記載内容について検討・確認いたします。
1929年(昭和4)6月5日(水)午後1時半、旭川駅から北海道招魂社(現・北海道護国神社)までのおよそ4kmの道のりを総勢200名あまりが行進しました。その沿道には、当時の旭川市の人口の過半数に匹敵する5万人が詰めかけたとされています。
総勢200余名
a) 合同バンド
当日の合同バンドは、以下の団体および個人によって構成されていました。
【市内団体】
・鐵道ダイヤ音楽団(旭川鉄道管理局機関区職員のバンド)
・旭川師範学校音楽部
・朝日小学校音楽部
・合同酒精音楽隊
・旭川市民管弦楽協会
・北斗写真館音楽部
・旭川商業学校
【個人】
・町井八郎
・根上義雄
(以上 計36名)
【ラッパ隊】
27聯隊のうち20名が参加し、中ラッパ・大ラッパを使用したとされます。
b) 近隣地域
b-1)東川音楽会員
篠原管雄氏ほか19名(昭和7年の記事によると、最後尾で「君が代行進曲」を演奏)
b-2)東神楽音楽会員 (東神楽軍楽隊)
山崎浅一氏ほか9名
なお、北海タイムス旭川支局前で「愛国心」マーチを演奏しました。
b-3)明治屋北海ハーモニー協会吹奏楽団
約50名
*明治屋は当時、旭川において百貨店的役割を担っていた商店です。
c) 軍関係
・第7師団喇叭隊 (第26聯隊、27聯隊、28聯隊、特科隊) 計74名
以上の参加人員は総勢200余名にのぼり、軍隊・教育機関・民間団体・企業が一体となった、当時としては極めて大規模かつ多層的な音楽活動であったことがうかがえます。これは、軍楽を核としながらも、市民社会全体を巻き込んだ音楽文化の形成過程を示すものといえるでしょう。
《*2》町井八郎 : 東京音楽学校(東京藝術大学)卒、旭川師範学校教諭、町井楽器店主。昭和36年度旭川市文化賞受賞
《*3》根上義雄 : 当時、旭川師範学校教諭。後に函館の音楽文化発展に寄与し第5回(昭和29年)函館市文化賞受賞
合同バンド演奏曲
根上義雄氏の回想によれば、「第1回で演奏された行進曲は、モルネー作曲の『聯隊行進曲』であった」とされています。楽譜は陸軍戸山学校軍楽隊から借用したと伝えられています。
作曲者モルネー(P. Mornay)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したベルギーの作曲家とされていますが、生没年や詳細な経歴については定かではありません。一方、同氏の『聯隊行進曲(Marche du Régiment)』は、明治から昭和初期にかけて広く親しまれ、当時のレコード録音も現存しています。また、1964年の東京オリンピック開会式において、選手団入場時の行進曲の一つとして演奏されたことでも知られています。
5万人
観客数5万人という数字は、この催しが大成功であったことを示す象徴的なものと考えられます。実際には、街頭がそれに匹敵するほどの人々で埋め尽くされていた状況を示す表現といえるでしょう。
参考までに、当時の旭川市の人口は約8万3,000人前後(神居・神楽・東旭川・永山などを編入する以前)でした。さらに当日は鉄道の増結輸送も行われ、旭川駅の午前中の降車人員は前年比で500名以上の増加が見込まれていました。
参加者約200名、観客約5万人という規模は、当時の地方都市における音楽行事としては特筆すべきものであり、その社会的影響の大きさを物語っています。
記念バッジ
第1回から参加記念バッジがパレード参加者に配布さており、この取り組みは現在まで継続しています。


昭和4年の旭川

陸軍戸山学校軍楽隊
『目で見る吹奏楽百年史』(山口常光 編、P.45)には、陸軍戸山学校軍楽隊が昭和4年6月5日の行進に参加したとの記述があります。しかし、『北海道護国神社慰霊音楽大行進史 : 昭和4年~昭和23年』に収録された第1回音楽行進に関する記録には、その名称は確認できません。
両資料に同一と見られる写真が用いられていることから、陸軍戸山学校軍楽隊が第1回音楽行進に参加していた可能性は高いと考えられます。一方で、北海タイムスの記事中にその記載が見られない点については、当時の報道上あるいは軍事上の制約が影響していた可能性も考えられます。


第2回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1930年(昭和5)6月5日(木) 午後1時30分
経路 : 北海タイムス社旭川支局前-旭川駅前-師団通り-旭橋-招魂社
参加団体 :
ダイヤ・クラブ
第1回行進にも参加したダイヤ・クラブは、昭和初期に旭川鉄道管理局(運輸事務所)機関区職員で構成されたバンドです。編成はサキソホン、トランペット、トロンボーン、クラリネットなどで、主としてジャズを演奏していました。
中心人物の一人である山本信晴氏は、後に芦別三井工業所吹奏楽団を指導し、昭和19年の音楽行進にも参加しています。また、昭和25年からは旭川市消防団音楽隊を指導にもあたりました。
第3回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1931年(昭和6)6月5日(金) 午後1時30分
経路 : 旭川市役所-北海タイムス社旭川支局前-旭川駅前-師団通り-旭橋-招魂社
参加団体 : 10団体 総勢約250名
・第7師団軍楽隊、歩兵第27聯隊喇叭鼓隊、歩兵第28聯隊喇叭鼓隊
・旭川吹奏楽団
・旭川師範学校音楽部
・旭川商業学校音楽部
・朝日小学校ラッパ鼓隊
・合同酒精音楽部 他
朝日小学校ラッパ鼓隊
同隊は1929年(昭和4)に活動を開始し、隊員は21名でした。毎年3月に新学期からの隊員を募集し、約2週間にわたってラッパ鼓隊の訓練を実施したとされています。

第4回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 :1932年(昭和7)6月5日(日) 午後1時30分
経路 : 旭川市役所-旭川駅前-師団通り-旭橋-招魂社
参加団体 : 10団体 総勢約250名
・歩兵第28聯隊喇叭鼓隊
・名寄町警護音楽部
・東川村音楽団
・朝日小学校喇叭鼓隊
・旭川吹奏楽団
・旭川師範学校音楽部
・旭川商業学校音楽部
・歩兵第27聯隊喇叭鼓隊
東川音楽会
同会は大正12年に創立され、大太鼓、小太鼓、コルネット、バリトン、クラリネットの5人編成でした。音楽行進の際には、音楽会を離れた人々や東旭川や東神楽などへ移住した人も、それぞれ楽器を借りて参加したとされます。
旭川商業学校音楽部
同部は大正5年にハーモニカバンドが創部とれ、昭和3年に吹奏楽編成へと移行しました。。昭和7年当時の編成は、コルネット2名、トランペット1名、クラリネット2名、ピッコロ1名、アルト1名、バリトン1名、バス1名、トロンボーン1名、小太鼓1名、大太鼓1名の12人です。

第5回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1933年(昭和8)6月5日(月) 午後1時30分
経路 : 旭川市役所-旭川駅前-師団通り(平和通り買い物公園)-旭橋-招魂社(北海道護國神社)
参加団体 : 10団体 総勢約250名
・第7師団各隊喇叭隊
・旭川商業学校、鉄道ダイヤクラブ合同
・名寄町警護音楽隊
他
旭川商業学校
昭和8年当時の編成は、コルネット2名、トランペット2名、クラリネット2名、ピッコロ1名、アルト1名、バリトン1名、小バス1名、コントラバス1名、トロンボーン2名、小太鼓1名、大太鼓1名、シンバル1名、チューブホーン1名、 の17名でした。
*1 チューブホーンについては、その具体的な楽器の形状や種別については不明です。
北海タイムス社機
本社機と音楽大行進
招魂社上空にて弔意を表し、更に師団各兵営の上空を旋回し、午前11時輕重兵第7大隊前の練兵場に着陸した。かくて午後1時半再び離陸、旭川駅上空にいたるや直ちに引返し折柄、市民の大歓声を浴び師団道路を北進中の本江支局主催音楽大行進と空中地上相呼応して5色のテープを投げ、満都市民を熱狂させつつ1時50分札幌に向かい半面山の彼方へ機影を没した。
午後2時の気温 25度2分 天気晴れ驟雨
第6回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1934年(昭和9)6月7日(木) 午後1時30分
当初予定の6月5日は東郷元帥の国葬のため延期されました。
経路 : 旭川市役所-旭川駅前-師団通り-旭橋-招魂社
参加団体 : 12団体 総勢約260名
・第7師団各隊喇叭隊
・旭川郷軍中央分会音楽隊
・旭川機関区部来バンド
・合同酒精ブラスバンド
・旭川師範学校ブラスバンド
・旭川市立朝日小学校ラッパ鼓隊
・上士別小学校ラッパ鼓隊
・和寒小学校ラッパ鼓隊
・名寄町警護音楽隊
・旭川商業学校
他
列車増結
北海道招魂祭祭典には、近郊町村からの人手が相当多い見込まれていました。そのため、6日・7日・8日の3日間、旭川を中心として各方面からの列車の増結が行われました。
具体的には、函館本線(岩見沢方面)、宗谷線(名寄方面)、石北線(上川方面)、富良野線(下富良野方面)の各駅からの列車に、2輌ないし3輌の客車が増結されたとされます。


昭和9年の旭川

第7回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1935年(昭和10)6月5日(水) 午後1時
経路 : 旭川市役所-旭川駅前-師団通り-旭橋-招魂社
参加団体 : 14団体 総勢約300名
・歩兵26・27、野砲、騎兵聯隊、工兵、輕重大隊喇叭隊
・東鷹栖村近文第一小学校音楽隊
・旭川市立朝日小学校喇叭隊
・旭川郷軍中央分会音楽隊
・旭川師範学校
・旭川中学校
・旭川商業学校
・合同酒精会社
・旭川機関庫
他
演奏曲
「聯隊行進曲」「軍艦マーチ」「君が代」「国の鎮め」等が演奏されたとのことです。

第8回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1936年(昭和11)6月5日(金) 午後1時
経路 : 旭川市役所-旭川駅前-師団通り-ロータリー -旭橋-招魂社
参加団体 : 9団体 総勢約300名 観客数およそ3万人とされています。
辺別仏華健児ブラスバンド
初出場となる辺別仏華健児ブラスバンドは、指揮者を含め8名編成で「双頭の鷲の旗の下に」を演奏しました。
本バンドは昭和9年に西神楽勝竜寺の大林弘(不詳 - 1937)により結成されました。小学校3年生から高等科2年生までの生徒約40名から選抜された8名が、行進の約1ヶ月前から、毎日放課後に練習を積み重ねていたとされます。
《注 1》旭川市にある「旭川常盤ロータリー」は、1936年5月に運用が開始されました。かつてこの場所には大きく蛇行して流れる牛朱別川(うしゅべつがわ)があり、氾濫を繰り返していました。その対策として1930年から行われた川の直線化工事により、旧流路が埋め立てられたことで現在のロータリーの基礎となる土地が生まれました。
この埋め立ての結果、6本もの主要道路が1点に集中することになりました。当時はまだ信号機が普及していなかったため、多方向からの車を安全かつスムーズに交差させる解決策として、中央に円形地を配置してその周囲を車が回る「ロータリー構造」が採用されました。
第9回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1937年(昭和12)6月5日(土) 午後1時
経路 : 旭川市役所-旭川駅前-師団通り-旭橋-招魂社
参加団体 : 9団体 総勢約300名
旭川放送局による全道中継放送の実施
NHKラジオによる生中継放送が行われ、8条師団通りにマイクが設置されました。各団体の吹奏する勇壮な音楽行進の様子は、全道に向けて放送されたとされています。

明治屋ブラスバンド
同バンドは、昭和11年〜昭和17年にかけて、出征兵士の壮行会や駅での見送りの場で活動していました。しかし、メンバーの軍隊への徴兵が増加し、人員の維持が困難となったことから、活動が停止したとされています。

第10回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1938年(昭和13)6月5日(日) 午後1時
経路 : 旭川市役所-旭川駅前-師団通り(平和通り買い物公園)-旭橋-北海道招魂社(北海道護國神社)
参加団体 : 16団体 総勢約300名
・歩兵26・27、野砲、騎兵聯隊、工兵、輕重大隊喇叭隊
・郷軍旭川中央分会軍楽隊
・鷹栖村中央青年学校音楽隊
・旭川市第一高等小学校喇叭隊
・旭川吹奏楽団80余名(旭師、旭中、旭商、旭川機関区、朝日小学校、合同酒精)
NHKラジオ放送
午後1時から1時20分まで、2条師団通りより音楽行進の中継放送が実施されました。

第11回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1939年(昭和14)6月5日(月) 午後1時10分
経路 : 旭川市役所-旭川駅前-師団通り-旭橋-北海道護国神社
参加団体 : 20団体 総勢約1000名
・日赤看護婦大国旗棒持隊
・第7師団各隊喇叭鼓隊
・中央小学校ブラスバンド
・和寒小学校喇叭鼓隊
・旭川市第一高等小学校喇叭隊
・鷹栖中央青年学校音楽隊
・富良野小学校ブラスバンド
・留萌海洋少年団合唱隊
・旭川実科高女斉唱団 (130名)
・辺別仏華健児ブラスバンド
・庁立旭川高女斉唱団
・近文第1小学校ブラスバンド
・旭川中学、旭川師範、旭川商業
・市立旭川高女斉唱団
他
斉唱団の参加
留萌海洋少年団合唱隊、旭川実科高女斉唱団、庁立旭川高女斉唱団、市立旭川高女斉唱団の4団体が参加しました。これにより、団体数および参加人数は増加したものと思われます。
なお、市立旭川高女斉唱団は、数坂幸雄教諭の指導のもと、第11回から第16回まで参加しました。演奏形態としては、先頭と中央にそれぞれ4台、合計8台のアコーディオンによる伴奏で歌唱が行われました。
NHK放送と北海タイムス社機
午前11時から広告仮装行進が実施され、旭川見本市や興業界も満員のにぎわいを見せる中、音楽行進はNHKラジオにより35分間の全道実況放送が行われました。また、北海タイムス社機からは五色のテープと花吹雪が投下され、行進に華を添えたとされています。
昭和14年の旭川

第12回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1940年(昭和15)6月5日(水) 午後12時4分
経路 : 旭川駅前-師団通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 30団体 総勢約1500名
・一特科、三歩兵聯隊 (計4隊)
「戦捷行進」「曠野行進」「昭和行進」「東洋行進」
・旭川吹奏楽団(旭師、旭中、旭商、永農)
「我等の軍隊」「紀元二千六百年」 (永山農業学校初出場15名)
・旭川市立高女斉唱団
「護国神社祭の歌」 野村吉郎作詞 数坂幸雄作曲
・実科高女斉唱団
国民歌「大日本の歌」
・旭川第一高等小学校喇叭隊
「分列行進」「戦捷行進」「曠野行進」 高橋勇吉訓導指導 14名
・旭川第一高等小学校ブラスバンド
「婦人従軍歌」「日本陸軍」 水口訓導指導 8名
・旭川中央校ブラスバンド
「軍艦マーチ」
・近文第一小学校ブラスバンド
「日の丸行進曲」「愛国行進曲」「七師団行進曲」三浦訓導指導11名
・深川海洋少年団斉唱団
「団歌」「海はふるさと」「太平洋行進曲」 餘合利信訓導指導50名
・和寒小学校ラッパ鼓隊
「建国行進曲」「陸軍マーチ」
・系魚小学校旋律ラッパ鼓隊
「元気な行進」「日の出島」 奥士別 内田訓導指導
・当麻宇園別青年団ブラスバンド
「祖国の柱」 前田利男部長 11名
・辺別仏華健児ブラスバンド
「人形の兵隊さん」鈴木哲夫作曲 指導廣澤氏 (8人)
・上川青年団ブラスバンド
「二千六百年奉祝歌」 吉田喜三郎指導
・富良野小学校喇叭鼓隊
「少年兵」「舊友行進曲」「君が代マーチ」
・大日本飛行少年団斉唱団
「国歌」
・士別小学校、士別青年学校合同喇叭鼓隊
「愛国行進曲」「二千六百年奉祝歌」 豊田政信・高橋春雄訓導指導34名
・上士別喇叭鼓隊
未定 増上訓導指導 小ラッパ8、中喇叭8、小太鼓8、大太鼓1
・鷹栖中央青年団音楽隊
未定
・神楽青年団音楽部
「太平洋行進曲」「君が代マーチ」 13名
・日本赤十字救護看護婦大日章旗棒持隊
実科高等女学校斉唱団
2回目出場となる本団の編成は、アコーディオン4台、大太鼓1台、小太鼓5台、シンバル1台、タンブルドバスク1台、そしてミハルスを持つ160人というものでした。
なお、タンブルドバスク(tambour de basque)はタンバリンを指します。また、ミハルスは、日本の舞踊家である千葉躬春氏が1930年代に考案した、打楽器です。

人出20万人
北海道護國神社の大祭は、4日の宵宮祭から6日までの3日間にわたり開催され、全道各地から多くの人々集まりました。5日に音楽行進が行われる頃には、約20万人の人出があったとされています。
6丁目通りには見せ物小屋が立ち並び、映画街も満員となるなど、そのにぎわいは近年にない記録的なものでした。
第13回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1941年(昭和16)6月5日(木) 午後1時
経路 : 旭川駅前-師団通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 30団体 総勢約1500名
・旭川実科高女
・旭川師団第2,3,4特科各ラッパ部隊
・西神楽健児(辺別仏華健児)ブラスバンド
・糸魚国民学校旋律喇叭鼓隊
・当麻宇園別青年団ブラスバンド
・旭川実科高女斉唱団
・深川海洋少年団斉唱団
・永山農業
・永山・近文第一国民学校合同ブラスバンド
・上士別喇叭鼓隊
・当麻宇園別青少年団ブラスバンド
・庁立旭川高女斉唱団
・富良野国民学校ブラスバンド
・旭中旭商合同ブラスバンド
・留萌海洋少年団斉唱隊
・東旭川第二青年学校ブラスバンド
・旭川市立高女斉唱団
・和寒国民学校
・旭川師範・永山農業・鉄道工場合同
他
NHK放送と北海タイムス社機
北海タイムス社機は、機尾に「慰霊飛行」と記した吹き流しを付けて低空飛行を行いました。また、NHKラジオにより、音楽行進の様子が全道および樺太に向けて実況放送されました。
第14回音楽行進
主催 : 北海タイムス社旭川支局
日時 : 1942年(昭和17)6月4日(木) 午後0時30分
経路 : 旭川駅前-師団通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 32団体 総勢約1500名
・旭川師団第1班ラッパ隊 (行進曲「東洋」)
・旭川師団3班ラッパ隊
・旭川警防団第1分団ラッパ隊
・名寄保線事務所吹奏楽団 (23名)
・深川海洋少年団(吹奏楽団、喇叭鼓隊合唱団 : 80名)
・旭川実科高女 (200余名) 「英霊に捧ぐ」
・糸魚ラッパ隊 「君が代行進曲」(19名)
・美唄沼東国民学校喇叭鼓隊 (28名)「青年行進曲」「必勝」「光は日本から」「輝く皇軍」
・国民学校合同吹奏楽団(富良野24、永山、西神楽12、中央、養生 : 80名)
「護れ太平洋」「敷島行進曲」
・和寒国民学校喇叭鼓隊 (30名)
・旭川庁立高女合唱団 (200余名) 「国民進軍歌」
・上士別国民学校喇叭鼓隊 (27名)
・士別国民学校ブラスバンド (17名)
・旭川合同吹奏楽団(旭川鉄道工場18、旭川師範17、旭川庁立中学校16、旭川市立中学校18、旭川商業16、永山農業15: 100名)
・鷹栖中央青年団喇叭隊
・旭川市立高女合唱団 (約250名)
・日鋼室蘭吹奏楽団
・日鐡輪西吹奏楽団 (行進曲「大海軍」)
上士別国民学校
編成は、大太鼓1台、小太鼓8台、小ラッパ8台、中ラッパ6台、大ラッパ2台でした。
士別国民学校
編成は大太鼓1台、シンバル1台、小太鼓2台、ピッコロ1台、クラリネット1台、トランペット1台、コルネット3台、トロンボーン2台、バリトン1台、小バス1台、アルト2台でした。
行進後の吹奏楽団演奏会開催
音楽行進終了後、各地において吹奏楽団による演奏会が開催されました。
・旭川陸軍病院(15時)
日鐡輪西吹奏楽団
・旭川市常磐公演千鳥池(17時)
日鋼室蘭吹奏楽団 行進曲「戦陣訓」他
日鐡輪西吹奏楽団 行進曲「皇軍の精華」他、
合同演奏 「愛国行進曲」「太平洋行進曲」
・旭川中央国民学校(19時)
日鐡輪西吹奏楽団
「詩人と農夫」「ベートーベンの想い出」「軍艦行進曲」等10数曲
第15回音楽行進
これまで音楽行進を主催していた「北海タイムス社」は、1942年(昭和17年)11月1日、内務省の新聞統合(いわゆる「一県一紙」政策)により、道内他10社と合併して「北海道新聞」が創刊されたことに伴い、その歴史を閉じました。
これを受け、音楽行進の主催も「北海道新聞社」へと引き継がれることとなりました。
主催 : 北海道新聞社
日時 : 1943年(昭和18)6月5日(土) 午後12時30分
経路 : 旭川駅前-師団通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 36団体 総勢約2000名
・旭川師団喇叭鼓隊
・庁立旭川高女
・深川海洋少年団
・旭川養生、永山、上士別、糸魚、和寒 国民学校
・函館大谷高女、函館大妻高女鼓笛隊 (95名)
「大東亜陸軍の歌」「大東亜海軍の歌」「軍艦行進曲」「大政翼賛の歌」「分列行進曲」
・旭川市立高女
・旭川共立高女
・富良野、東神楽合同楽団
・美唄沼東国民学校
・三井鉱業旭川警防分団
・札幌光星商業
・旭川商工分団本部
・静狩鉱山
・旭川北辰中学
・旭川吹奏楽連盟
・室蘭日鐡輪西製鉄所
函館・札幌・室蘭・静狩から参加
主催が北海道新聞社となり、函館から函館大谷高等女学校と大妻高等女学校による合同鼓笛隊が招聘されました。
また、札幌から札幌光星商業、静狩鉱山(長万部)、さらに前年度に引き続き室蘭日鐡輪西製鉄所の参加もみられます。
第16回音楽行進
主催 : 北海道新聞社
日時 : 1944年(昭和19)6月5日(月) 午後1時
経路 : 旭川駅前-師団通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 28団体 総勢約1200名
・旭川師団諸部隊喇叭隊
・タンニン(日本タンニン工業株式会社)
・上士別国民学校
・稚内鉄道管理部吹奏楽団 15人
・庁立旭川高女
・和寒国民学校
・士別国民学校
・糸魚国民学校
・合同酒精 (20余名)
・旭川共立高女
・深川海洋少年団
・旭川北辰中学
・旭川校機部
・旭川市立高女
・旭川駅女子青年部 「愛国行進曲」
大太鼓1、小太鼓4、横笛20
・札幌高等経理学校 27名
「大東亜戦争海軍の歌」
・美唄沼東国民学校
・旭川鉄道管理部、食料営団、日通
・三井鉱業所
・旭川中学連盟
・日鉄輪西製鉄所
稚内鉄道管理部吹奏楽団
編成はトランペット、トロンボーン、チューバ、ドラム、シンバル、アルト、クラリネット、ピッコロで、「君が代行進曲」「軍艦マーチ」を演奏しました。奏者は16歳から20歳までの女性15名で構成されていました。
第17回音楽行進
主催 : 北海道新聞社
日時 : 1945年(昭和20)6月5日(火) 午後12時30分
経路 : 旭川駅前-師団通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 24団体 総勢約1000名
・旭川中学校吹奏楽団
・旭川師範吹奏楽団
・庁立北辰中学校喇叭隊 (夜間中学)
・市立中学吹奏楽団
・永山農業吹奏楽団
・庁立商業学校吹奏楽団
・庁立高等女学校合唱隊
・市立高等女学校合唱隊
・共立高等女学校合唱隊
・養生国民学校吹奏楽団
・旭川管理部吹奏楽団
・札鉄旭川工機部吹奏楽団
・合同酒精会社吹奏楽団
・旭川警防団喇叭鼓隊
・札幌光星商業吹奏楽団
・上士別糸魚国民学校少年団旋律喇叭鼓隊
・上士別国民学校喇叭鼓隊
・静狩鉱山吹奏楽団
・和寒国民学校吹奏楽団
・永山国民学校吹奏楽団
・美唄沼東国民学校喇叭鼓隊
・深川海洋少年団喇叭鼓隊
・庁立名寄農業学校喇叭隊
・室蘭日鉄輪西製鉄所吹奏楽団
・室蘭日本製鋼室蘭製作所吹奏楽団
・函館市大谷女学校鼓笛隊
・函館市大妻女学校鼓笛隊
・士別国民学校吹奏楽団
・富良野国民学校吹奏楽団
モンペ姿
女学生の音楽行進参加は、1939年(昭和14)からで、従来はそれぞれの制服姿での参加でしたが、この年はモンペ姿での参加となりました。
旭川共立高等女学校(旭川実科高等女学校)の編成は、笛、太鼓、アコーディオンと合唱によるものでした。他の女学校が主にアコーディオン中心の編成であったのに対し、より多様な編成であったとされています。
第18回音楽行進
主催 : 北海道新聞社
日時 : 1946年(昭和21)6月5日(水) 午後1時
経路 : 旭川駅前-平和通り -旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 18団体 総勢約750名
・旭川鉄道工機部
・名寄鉄道管理部
・上士別朝日糸魚若人吹奏楽団
・みどり
・黎明
・日鉄輪西
他
上士別朝日糸魚若人吹奏楽団
白シャツ、白ズボン、白の上靴という統一された装いに、手製の進駐軍型帽子を合わせた姿で、「君が代行進曲」を演奏しました。その演奏に対し、進駐軍兵士からは「ワンダフル」との声援が繰り返し送られたとされています。
《注2》 昭和20年10月11日付の『北海道新聞』に「師団通」が「平和通」に改称との記事
第19回音楽行進
主催 : 北海道新聞社
日時 : 1947年(昭和22)6月5日(木) 午後1時
経路 : 旭川駅前-平和通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 15団体 総勢約600名
・旭川鉄道工機部吹奏楽団
・緑吹奏楽団
・上士別朝日糸魚若人吹奏楽団
・名寄管理部吹奏楽団
・黎明吹奏楽団
・日鉄輪西製鉄所吹奏楽団
日鉄輪西製鉄所吹奏楽団
同団は、音楽行進にあわせて各地で演奏活動を行いました。
6月4日には岩見沢の映画館において、幾春別火災義援金募集のための演奏会を2回開催しました。5日には音楽行進に参加し、招魂社において演奏を行いました。さらに6日には、町井楽器店前において演奏会を開催しています。
第20回音楽行進
主催 : 北海道新聞社
日時 : 1948年(昭和23)6月5日(土) 午後1時
経路 : 旭川駅前-平和通り-旭橋-北海道護國神社
参加団体 : 14団体 総勢約350名
・旭川鉄道工機部吹奏楽団
・緑吹奏楽団
・朝日糸魚合同吹奏楽団
・名寄管理部吹奏楽団
・黎明吹奏楽団
・日鉄輪西製鉄所吹奏楽団
朝日糸魚合同吹奏楽団
同団は、糸魚小学校、糸魚中学校の児童・生徒20名によって構成された吹奏楽団です。
行進の中断(昭和24年〜27年)
1929年(昭和4年)の第1回から、1948年(昭和23年)の第20回まで継続して開催されていた音楽行進は、その後いったん中断されました。
その再開が実現したのは、1953年(昭和28年)6月5日(金)のことです。

HIRAIDE HISASHI
関連項目
・北海道音楽大行進 その1
なぜ旭川に“音楽大行進”が生まれたのか
「吹奏楽年鑑 紀元2601年版」より
・北海道音楽大行進 その2
北海道音楽行進の誕生と展開 ― 軍楽から都市祝祭へ(1929–1953)
「北海道護国神社慰霊音楽大行進史 : 昭和4年~昭和23年」より
・北海道音楽大行進 その3
『旭川吹奏楽連盟五十年史』に基づき、音楽大行進が復活した昭和28年(1953年)の第21回から、第40回音楽行進 (復活第20回)昭和47年(1972年)の第40回までの歩みを整理して紹介します。
・北海道音楽大行進 その4
『旭川吹奏楽連盟五十年史』に基づき、昭和47年(1972年)の第40回音楽行進 (復活第20回)から 昭和54年(1979年)の第47回音楽行進 (復活第27回)までを紹介します。
・北海道音楽大行進 その5
旭川地区吹奏楽連盟ウェブ・アーカイブに基づき、昭和55年(1980年)の第48回音楽行進 (復活第27回)から、平成26年(2014年)の第82回北海道音楽大行進までを紹介します。
・北海道音楽大行進 - その6
行進経路の変遷を紹介します。
