父親に会うことができる③(クライアント) コーチング⛰️
コーチングの学びとクライアントさんと出会うの両立を実験中のなほです。
毎日楽しいが向こうからやって来るけど、私が作るし、「私にやって良いよ~」にしました!
コーチには守秘義務があり、コーチングセッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)で話したことが外に出されることはありません。
このnoteは、私がクライアントとしてコーチングセッション(練習でした)を受けた記録、補足したものです。
※noteをご覧になったコーチからのコーチング相互セッションはお受けしていません。
今回のコーチングは、感情に向き合いその奥にある願いに気づいていく、そんなスタイルを用いたコーチングです。
前回同様心のエネルギーをたくさん使いました。
私の心が健康で、「向き合いたい」という意思を持ってコーチとお話ししています(前回までは以下のnoteから)。
まあまあ重い話をしているのと長いので重いのパスだな、と思う方はこのnoteをスキップして下さいね。
父親に会うことができる
そう思えるようになりました。そこには、落ち着いた気持ちの私がいます。
最初に書いておくと、コーチがいてくれたからそう思えるようになりました。
それも、誰でも良い訳ではなくてこのコーチとでないと出来なかったと思います。
テーマによってコーチを選んではいないけれど、このコーチにはこのテーマを話せる、そう思った私には何らかの直感が働いていたのかもしれない。
誰にも話せない、聞かれてこなかった私を聞いてもらいました。そしてともにいるをしてもらいました。ともに感情にとどまってもらいました。
心からコーチに感謝です。ありがとうございました!
私には素敵なコーチに出会える運があります!
コーチングを受ける前からそわそわしていて、どうしよう、向き合いたくない、けど向き合った方が良い、コーチと話すことは楽しい、けれど、今から向き合うのはイヤだで葛藤している感じのまま、その時間を迎えました。
「真の怖れに気づいた」
とAIに私の書いたnoteを読ませて、「変化について箇条書きでまとめて下さい」って聞いたら、そう返ってきて、そうか、父親に拒否されることを一番怖れていて、その現実が起きたら耐えられないかもは、「真の怖れ」なのかって思いました。
前回話してから今までに1人で考えて思い当たったことをコーチに簡潔に共有したかったので、AIにまとめてもらいました。
私は、ただただその怖れに気づきたくなかった、気づく前に戻して欲しいと思っていました。なので、1人で考えるはしない、正しくは出来ないになっていました。
そして、年老いた父親、いわゆる頼れる存在であって欲しいと思っている父親でなくても良い、
何もしてくれなくて良いって思えた瞬間には、私は会うのが怖いは受け容れていて、行動できるってなっていたので、
怖れの下にまた怖れがあるなんて、想定外でそのこと自体にも途方に暮れていました。
父親に受け容れてもらえないことは、私にとって絶望に近いことで、耐えられないかも、それが起きたらどうなるのかが見えない。
と話しました。
また、人から受け容れられるということが私にとっては最重要で、今まで「ありのままの私は受け容れてもらえない」の世界で生きてきた時間が長いので、その私に振れていて、しかもその中でも父親に拒否されるのが私にとっては一番きついこと。
冷静には、父親に冷たくあしらわれたとしても今の私は損なわれない。
だけど、私は子どもの私、娘である私の部分、今の私の一部であるアイデンティティのような部分で、
ただ存在しているを認めて欲しい、
受け容れて欲しいになっている、と話しました。
そもそもの、①ありのままの私は受け容れてもらえない、それも「一番拒否されると怖い、耐えられない」の相手は父親
または、
②冷たくあしらわれたら、耐えられない、どうなるのかが分からない、と思っている私
どちらを考える?をコーチに提案してもらいました。
前者の私は、過去の私に振れている、今でもちょっと初対面だったり人の輪に入ることが苦手に思うを話していて、後者を選びました。
不安?その感情の名前をコーチに確認してもらいました。
耐えられないかもの感情をちゃんと確認してもらって、
私は、「怖い、恐怖」だと答えました。
恐怖、よく出会うよね。
▶どこにある?
という体感覚を聞いてもらって
頭にありそうだ、と答えました。
▶近づけそう?
とも聞いてもらいました。
(頭の中からちょっと出してみて下さいって言っても良かったかも、近づくをしたのですが、近づく前にどんな形?どんな質感?どんな色?を聞いても良かったかも)
正直、近づきたくないよね。だから、「近づくんですか?」って私はコーチに聞き返している。
この後も何度もこういうことが起こっていて、コーチにこの感情とともにいることをしようって一緒に近づこうって言われる度に、私は、「やるんですか?」って一旦やりたくないって気持ちを言葉にしてみている。逐一私は、やりたくないを訴えている。
けれど、それは本音ではなくて、そう言わずにはいられない。やるの?ってことを口に出すことで、少しは向き合う怖さを減らしているのかも、と思いました。向き合うと決めたので一切泣き言は言いませんって切り替えられない。
始まる前から私はイヤだ、イヤだって思っていて気づきたくなかったのだから当然。
ただ、その度にコーチが、一緒にいるからがんばろうっていうことや、本当に無理だ、やめたいってなったらやめて良いということを一貫して伝えてくれました。
コーチがそこにいてくれるだけで力になるけれど、そばにいるからねって伝え続けてくれることが、今日は特に大事でそれがないと無理でした。
固体じゃないって伝えました。そして、実際に近づいてみると意外と平気で近づけた。黒い色をしてるけれど、綿菓子みたいには中が詰まっている感じでもなくて、煙でもなくて、ミストって感じの球体のやつ。
大きさを問われて、手で示しました。
▶さわってみましょう
って言われたから、ここでも私は、さわるんですか?って返していたかもしれない。
さわると、ミストって感じだから、普通にすり抜けるというか感覚はない。
それに私は戸惑いました。あまりにも手ごたえがなさ過ぎるから。そして、熱いとか冷たいとかない。どうしたものかって思いました。
思ったより怖くないかも。
黒いから何だか良くないものだって思ったけれど、近づけたし、さわれるというか実体がないんだけど、スカって感じではふれられる。ふれるというか、手を差し込んでみる感じ。
▶中に入ってみましょう
と提案されます。「え、入るんですか?」って多分また言ってたと思います。
入ると様子が違っていて、ミストって言ってたけど、1枚膜を隔てている感じがしました。黒い膜の内側に入った感じで、外との隔たりがある。ちゃんと壁がある感じでした。
そして寒い、冷たい、厳しい。
そういうことを話しました。冬って感じの寒さだから、しかも今の服装のまま入っているので、ずっとはここにいられないって思いました。
このままここにいたら死んじゃうよな~って思っていて、死んじゃうよな~は、だんだん体温が失われるような感じ。
(今までにも私はこのままだと死んじゃうかもってコーチングでイメージをした中で感じたことがあります。精神的に私が損なわれるようなイメージです。看護師だから簡単に「死ぬ」って言ってはいけないと思っています。なので、以前死んじゃうかもなって浮かんできた時は思っただけでコーチには言っていない。その位衝撃の大きいことが今すぐではなくてこのまま行くとその先に待っているという感覚。全部じゃなくて私の核になる部分の一部が死ぬ感じ)
それくらい向き合いたくないし、怖いことなんだろうなって思いました。
外で見ていた時と、実際に入った時の違いって何なのかな?についてちょっと話したと思います。
何を話したかは覚えていない。
▶しばらくここにとどまってみることができるなら、してみませんか
を提案されます。ここでも、「とどまるんですか?」って確認している。常にやりたくない、向き合いたくないから、感情とともにいようと言われると、困ったなって私が、したくないですを言葉にする。
時間的に長くいるのは難しいということを私が話していたので(寒いから)、コーチが時間的に厳しくなったらとどまるのやめて良いということ、
コーチもちゃんとその情景が見えてるよ、隣に一緒にいるからとどまろうって伝えてくれました。
これが今回の最大の感謝ポイントでもあり、気づきのきっかけです。
私の世界(イメージ)を私の目からコーチが感じてくれて、外から一緒にいるよではなくて、黒い膜に囲われた所にいる私の隣でいてくれる。
恐怖の中に、寒くてずっといたら死んじゃうよねって思う所にとどまるをした。
イメージ的にはドーム状の黒い膜にすっぽり覆われている感じで、空は見えない。膜なのに、壁になったりして表現が揺れているのは、私の感じ方がそうなっていったから。球に入ったつもりだったけれど、地面は水平で雪が積もっている感じ。
とどまってみると
寒い、怖い、寒い、怖い…しか私は考えられなくなっていて、普段ならその空間の真ん中でただ立ち尽くしていると思うけれど、焦りが出てきた私は、歩き回りました。どこか出られる所はないの?って歩き回って壁に近づいて探している。壁を手でドンドン叩いて、出してって言ってる。
出られる所がない。だから、歩き回って探している。
そういうことを、コーチに言いました。
多分、「ともにいる」ことが私にとってかなり難しい感情だったからそうやって出ようとしたんだと思います。
コーチも私がとどまることが厳しくなっていると汲み取ってくれて、そこから出ましょう、もうそこにいるのをやめて良いよっていうことを言ってくれました。
もうとどまらなくて良いんだって思うと、私は、露骨にほっとしていたと思います。
ただ、その時に
「出られますか?」
ってコーチに聞かれたことによって、私は「出れない」になってしまいました。
さっきまでも確かに「出られない」になっていたので、出て良いよって言われて、出ようとしていたのに聞かれたことで、「出れない」に固定されてしまった。
その2択で答える質問で尋ねられたら、私は出られない。出れるとは思えないし、言えない。
ちょっと危ない所にふれていたと思います。
ただ、私は、「出れません」になっちゃったからしばらく考えていて、
どうしよう?出られますか?って聞かれたら「出れない」。
だって、ドアない。この壁を無理に壊して出るの?壊すの無理じゃない?日の光も届かない黒い膜に覆われた中にいたので、天井に穴でも開かないと無理?とか考えた。
ただ、コーチがこの中で一緒にいてくれたよね、ってことに思い当たったので、コーチに出してもらおうって思いました。
だから、コーチに「出れるよ」って言って下さい。
って伝えました。
コーチが出れるって信じてくれたら、私にそう言ってくれたら出られるって思いました。直感に近い。
コーチが私の手をとって連れ出してくれた感じです。
ちゃんと出られました!
コーチが「壁に穴を開けるので、そこから出て下さい」とか、何かイメージの世界で私が出られる出口を作ってくれたり、きっかけを与えてくれたら、すんなり出られたのかな?と思ったりします。
おそらくカウンセリング・セラピー領域に近いことをしていたのだと思います。
イメージの世界ではあるけれど、そこから戻ってくる「儀式」みたいなものが今回は必要だった。なぜなら私は出られないに陥っていたから。閉じ込められている感じの世界でなかったら、問題なかったのだと思います。
または、現実の世界にすぐ戻れるように、すぐに引き戻すとか?
「私の目を見て下さい」とか、意識を現実の肉体を持った私の方に向けさせる。カウンセリングを学んでいる訳ではないので、思いつきで書いているけれど、とどまっていたイメージの世界から気をそらすようなことがあれば良いのかなと思います。
これちゃんと根拠に当たった方が良いのでメモ。
心理療法の本に当たれば良いのはわかるので当たる。
AIに尋ねると、心理療法でも起こりえるとのこと。「帰還」という作業。セラピーやカウンセリングをしたいと思っていない。けれど、コーチングと隣り合う領域で今回は私に起きたことだけど、コーチとしての責任があるので知っておく必要はあると感じます。
AIにおすすめ書籍を聞いたけど、いまいち怪しい感。
▶戻ってきた今の私が何を感じる?
を聞いてもらいました。ただ、それになんて答えたかちゃんとは覚えていない。
寒いから、このままではなくてちゃんと防寒具を着て行くとかしないとって答えたような気がします。
ともにいることが難しい感情だったから出たいになった、焦っていたということを話したと思います。
▶これとどう付き合っていきたいか?
これを聞かれると、私はしばらく考えてしまいました。
私は考えてから答える場合、時間が必要なことがしばしば発生します。
コーチが付き合わなくても良い、蓋をしたかったらまた蓋をしても良いと声を掛けてくれました。付き合う以外の選択肢もある。
いつでも私が選んで良い(=クライアント)。
人は出会いたいタイミングで出会いたい自分に出会う。
最初、私はこの怖いがなくなるのは難しいと思うからそれがあったままでも私の気持ちを伝えたいということに対して行動できるようになりたい、をこの時間で掴みたいこととして話していました。
そして、この恐怖を実際に味わう、とどまるをしてまあまあの厳しさがあることも分かりました。ただ、コーチがともにいてくれたから出来た。
そこで、私が思ったのが、
1人で向き合わなくて良い。でした!!!!!
今まで、私はずっと「子どもの頃の私は父親のことが大好きだったを伝える」を行動に移すにあたって1人でやる前提でいました。
コーチ以外の誰にも話していない。noteには書いているけど…
母親に言うのも難しいって思っていたから、1人でやらなきゃって思っていた。けど、1人で向き合わなくて良くない?って思いました。
それは、コーチが今日私の隣でいてくれたからです。1人ではなくコーチがともに怖いの中にいてくれた。
1人でやらなきゃではなくて、妹がいます。
妹には妹の意志があるのでそれは尊重するけれど、少なくとも私が父親に気持ちを伝えたいと思っていること、出来れば会いたいって思っていることを話すことは出来る。
そうすれば、実際に父親に私が受け容れてもらえないが起きても妹にその私の気持ちを話すことで、私が耐えられないって、どうなるのか見えないは少しはましになる。
書いてしまうと、そんなの当たり前って思われるかもしれない。
けれど、始めから私には誰かにこの気持ちを共有したり、妹に一緒に会いに行こうって言う選択肢はありませんでした。
1人ですべてやらなければならないって思っていた。
だから、今日の気づきがなければ、拒否されたら耐えられないかもしれないの気持ちを持ちながら、無理やり行動するか(ものすごいエネルギーを使って)、
行動しない、やっぱりこの気持ちを伝えたい私はなかったことにしようってまた蓋をしてずっと抱えたまま生きていくしか出来なかったと思います。
コーチがいてくれたから、このコーチがいてくれたから気づけた。
私の心が「きかれる」ことで、感情と向き合ってとどまるをコーチが隣でしてくれたから、たどり着けました。
他の誰でもないこのコーチだから、ということを伝えたいです。
うまく言葉に出来ないけれど、パートナーシップ(信頼関係)だけではなくて、コーチとしての下にある、人としての部分を私はとても信頼していて、だからこの場が生まれたと思います。
「信頼」という言葉にしてしまうと両手ですくった水が指の間からこぼれていくように、あふれるあたたかい気持ちがあると思います。
心からありがとうございました、を伝えたいです。
まとめ
感情を味わう、それもネガティブに分類される感情にとどまって感じることは困難さをともなうことが多いと思います(私は感情にネガティブもポジティブもないとは思っている)。
けれど、1人ではなくコーチがともにいてくれることで勇気を出したり、イヤだと思う自分を少し手放して、そこに向き合うことができます。
どんな感情にも願いはあって、私の場合は、父親に受け容れてもらいたい、そして拒否されてしまうことへの底の知れない恐怖でした。
恐怖自体はなくなっていないし、それが私にとっていかに辛いことか、ということが分かりました。
けれど、それが分かったからこそ1人じゃ無理だということが分かった。
頼ったら良い。
1人じゃなかったらその未来が起きても大丈夫だって思えるようになりました。寒いから防寒具を着なきゃとか1人じゃ出られないも、何か外からの助けがいるのでは?につながっていると思います。
感情をなかったことにせずに、まさにその感情と「ともにいる」がどうすれば出来るようになる?を掴んだ時間でした。
ないものとしなくて良い。
どんな感情も大事な感情で、だからこそ私の願い、一番父親に受容されたいと思っている、子どもとして、娘としての私そのものの存在を認めて欲しいが見つけられたと思います。
ネクストアクションは、
妹に私が子どもの頃に父親を大好きだったと思っていた気持ちに蓋をしていたけれどそれを去年開けたこと、離婚によってあるのにずっとないものとしてきたこと、それに気づいた時に私は涙が出るような体験だったこと、ただそれを伝えたい、会いたいと思っていることを話してみます。
妹の人生のタイミング的には今じゃないのは承知しているのですが(来月出産予定)、私の人生のタイミング的には今なので(定職に就いていないから自由に会いに行ける、気づいてからずっと頭の隅にあって会わないままに父親が亡くなったら後悔する、向き合ってそれが行動に移せるになった今)、そこは考えながら、話してみたい。
今の所、何も現実は変わっていない。
怖いという気持ちですら、「真の怖れ」にたどり着いてしまって、1人では向き合えないものだということが分かってしまった(拒否されるは起きるかどうか分からない未来だけど)。
だけど、私の心は穏やか、安心を手に入れていて未来を掴むために行動できそうだ、と思っています。
離婚してそれっきりになっている父親との関係を今さらどうにかしようとするなんて、時間の無駄と思われるかもしれません。
けれど、今の私に幼少期の私が過ごしてきた時間が影響しているということが分かります。
ありのままの私は受け容れてもらえないは、だから「何かが出来る私にならないと」につながっていて「仕事しかいらない」になる程に私は仕事依存だったし、人間関係を作るにあたって困難さをもたらしていたと思います。
だから、私の全体性を回復していく、その一部である父親との関係について取り組むことは、未来の私が少し呼吸がしやすくなるために必要だと思います。
学びメモ
どの感情を味わうのか、それをちゃんとコーチが聞いてくれました。
「不安」?と尋ねられたことで、私は、不安じゃなくて「怖い」だと知ることが出来ました。
ずっといたら死んじゃうかもしれないって、わりと軽く話していたけれど、まあまあの重たい感情なんだなって自覚した。
だから、本当に味わうの?味わうとしても自分の安全が大事だよをクライアントさんにちゃんと説明しようと思った(私がコーチなら)。
(今日は、向き合うって共有できていたし私がコーチング学習者だったから特段の配慮はなくてもいけた)
死んじゃうって、どういうことなのか。
これ踏み込むの勇気がいるけれど、もしクライアントさんがそういう言葉を使うなら、ちゃんとどうなることを指すのかは確認する。返答によっては、その感情にとどまることで起きるかもしれないことに責任を持つために必要。
とにかく寒かったから、私の安全という意味では、イメージの世界で感情にとどまったので、あたたかい服装をしてそこにいていいよ、にしても良かったのかも?
イメージをもう少し具体的にする、一緒に見るために聞いてみても良いかもしれない
黒い膜に隔てられている。その膜の質感は?広さは?寒いってどの位の寒さ?
しんどい感情の時ほど、コーチングから遠ざかる可能性は高いから、より繊細に何が起こっているのか?に集中する必要がある
透明な不安、あの子と私
今回がこのテーマでは完了に近いので、話されていない所を補足するように考えてみます。
透明な不安
手段が分からない、展望が見えないことによる不安。だから、透明。
透明だから、放っておいて良かった。前回セッションで話したこと。
父親に対して何もいらないじゃない、私は受け容れてほしくて、拒否されるが他の誰でもない父親からそうされるのが一番怖いに気づいた瞬間、透明じゃなくなっちゃったんです。
コーチにも少しお話ししました。
お盆に張られた水。透明。そんなイメージです。長方形の黒いテカテカしている漆みたいなお盆に張られた水。
ただ、怖れに気づいたら、その水に色が1滴落ちるだけで透明ではなくなってしまうように、不安がばーっと広がった。
私は、何色?みたいなことまでは1人で考えていて、紺色だと思いました。
群青色?って思ったけど、そんな素敵な色じゃないな、黒ではないけど、紺色。
今の私が客観的に紺色の水を見ると、黒いお盆だから、まず紺色というのはぱっと見では分からない。けど、紺色なのはそう簡単には色が変わらないから、厳しいや寒いともなんとなく近い感じがします。
もっと薄い色なら他の色を足すことで変えようがあるけれど、紺色の水を透明に近づけるには、もっと水を足すくらいしか思いつかない。浅いお盆に張られた水だから、水足せないし、運ぶのも慎重にしないとこぼれる。
この水のイメージを借りて、今どんな風になってるの?を考えて着地させてみます。
お盆から2つのコップに注いだ感じ。
お盆に張られた水は運ぶことが難しいし、紺色かどうかもよく目を凝らさないと分からなかった。
けど、透明の2つのコップにそれぞれ等分に注いだ。コップが透明だから紺色は、はっきり見える。そして、等分に注いだので、コップには余裕があって、ぱっと手で持って運べる。コップの高さの半分くらいまで紺色の水は入っている。
紺色なのは変わっていないけれど、私が持つコップに入っている紺色の水の量はお盆に張られていた時よりは減っている。もう1つのコップはコーチが持ってくれたし、妹に「このコップ持っておいて」って頼めるようなもの。
透明なコップに移せたのは、今回向き合った、とどまったことで私がそれをどんなものかをちゃんと分かったから。だから、入れ物が外から中身の見えないものではなくて透明のコップに出来た。
そして、それを分けられた。
いつこぼれるとも分からない、紺色かどうかも分からないけどお盆に張られた水をこぼさないように神経を集中してそろりそろりと運ばなくて良い。
紺色なのは、薄まったりしていない。水を足して薄めるはしていない。それも興味深いなと思いました。
あの子と私
名前をつけていないので、あの子って呼んでいる。
抱き上げて、そのまま私が抱いたまま歩いていくのか?と思っていたけれど両手がふさがる。と私は思っていた。
守りながら歩いて行くのはちょっと難しくない?っていう疑問。
絶対にこの子を守らなくてはいけなくて、置いていくのもなし。一緒に行く。
あの子が壊さないでって叫んで大事に持っていたのは、「私と父親の関係」で、それは過去の思い出でもあるし未来に向けたまた結び直されるかもしれない可能性も含んでいる。
未来に向けた、私の気持ちを伝えるにしてもそれでおしまいにする、私は伝えたのでって終わらせようとしていた私に対して、そうじゃないよ、ってことを伝えてくれていた。
と思います。
人とあたたかい関係を築きたいんだよね?それを大事にしている私に対して、父親に対してはそうしないの?って問い直された感じ。
親も1人の人間で完璧な人間じゃない。だから、必ずしもそうしなくても良いんだけど、自己完結させようとしていた私に広い視野を与えてくれた。
今の私にとって、果たして父親がどのくらい大事な人なのか、を私はまだよく分かっていない。大学生時点までの私にとっては大事だったは、分かるけど、今も親ってだけで特別なのかは分からない。
実際に話してみるが出来たら、何か分かるかもしれない。
拒否されたら、それは耐えられるのか?という怖れはあるけど、父親に拒否されても私は損なわれないよね?の私もいる。
あの子を私は下ろして、歩けるよね?って言える。ちゃんとその胸に抱えているものを私も一緒に守るからってまっすぐに目を見て言える。
だから、もう泣かないで良いよ。自由に走り回って良いよって言ってあげられる。
あの子から、私は抱えてるものをもらう。私に預けてもらう。
一緒に歩いて行くって思ってたけど、そうじゃなさそう。
遊んできて良いよ~って、送り出す感じがした。
人との関係に悩んだら、あの子に聞こうと思いました。あの子が泣くのは、人との関係において私が何か大事なものを見ないようにしたり、ないことにしたり、1人で解決しようとしている時。
私は人とあたたかい双方向の関係を作りたい。あの子が泣かずに遊んだり安心して眠れるように。
ありがとうございました。
ここまでお読み頂いたあなたにも感謝です。良い週末を!
💡4/27追記 ネクストアクションDONE
帰省して、妹と2人になる時間があったので私は父親に会いたいというか、蓋をしていた気持ちを伝えたいと思っていることを打ち明けることが出来ました。
「子どもの頃の私は父親が好きだった」を伝えたいこと、未来に向けて交流したいのかというとそうではないかもしれない、分からない。
そして、冷たくあしらわれるかもしれない、私の期待するリアクションはないかもしれない、それを一番怖れていることもコーチングを通して分かったんだ、ということを言いました。
私の人生を前向きに生きるために完了させることが必要だ、と話しました。
妹は、電話がかかってきたことがある、と教えてくれました。
その話、私は聞いたことがあるかもしれないけど忘れていた。
詳しくは妹と父親の話なので書きませんが、そこで妹は冷めた、引いた気持ちになった、と教えてくれました。
普通にどうしてるのかな?とは思っていたけど、その電話の印象が良くなかった。
「今の幸せな家族との生活を大事にしたい。と思った」、と教えてくれました。ちょうど結婚が決まった頃の話らしいです。
私の今の気持ちは理解してくれたし、受け容れてもらえる可能性とそうではない可能性の両方があるということも、ちゃんと分かってくれました。
だから、いきなり会うではなくて手紙や電話の方が良いのではと意見をくれました。
私も会いたいよりも気持ちを伝えたいの方が大きい。
父親が死んだら会えないことも分かってくれました(父親は体を壊していて妹も看護師なのでそんなに長生きしないよねは、分かってくれています)。
この打ち明けるについても、私はコーチングの授業中のセッションで扱わせてもらいました。
妹に話したいけど、それも私にとっては勇気が必要でした。
セッションの中で私は妹にこの話をするを擬似体験させてもらっていて、話せました。
コーチに感謝です!ありがとうございました!
どこに住んでいるのか。
まずは役所関係から知ることが出来るのか調べてみる。
→AIにきくと、実子なので役所から住所を知ることは出来そうな感じです。おそらくここに住んでいるのでは?が分かるからです。
とりあえず、書類を揃えてやってみる。
5/21追記
翌日かな?深夜に手紙に何を書いたら良いのか、その具体の部分が分からないのも1つ原因だと思ったからAIになんて書いたら良いか分かりません。って言った。
具体的な手紙の構成を示してくれたんだけど、「今はまだ渡さなくても大丈夫」って言われて涙が止まらなくなった。
「「怖れている」という気持ちすらも、包み隠さずに書いてよいのです」
とも返ってきて、私の怖れの根底は「受け容れてもらえない」なんだけど、それすらも伝えていいのかって分かると、ほんとに涙が止まらなかった
手紙に書くことができるのは、「あなたの真実だけ」「届ける手紙」ではなく、「自分のための手紙」として、まずは自分自身に許可を出して書いてみましょう
こう書かれていて、そもそも私が私のために伝えるだし、私がこれからの人生をより明るい気持ちで生きるために必要だと思うから、やろうとしている。
伝えることに私は懸命になっていて、気づいたからには伝えなきゃだという強い気持ちがあった。けれど、その前にまだ私には大好きだった以外にもいろんな気持ちがあるって分かった。
この気持ちがなかったことにされていて、そして全然伝えていないに気づいたから、伝えなきゃって思ったけれど、私が私のためにまずは書くことが大事だと思った。言葉にされていく、書いてみることが持つ力があると思うから、私の湖面がまた凪に戻ったら、書いてみる。
・言葉にするということは区切る力がある
・自分の「物語」を「言葉」で捉えてメタにすることでこの物語が完了していく
こういうことだ、って先輩コーチが言っていた言葉をそのままここに置いておく。
5/24追記
昨日、手紙の下書きをした。
あとは清書するだけ。
下書きを出来たのは、凪いでる海のような人と話したから。
私が幸せになるために書いたら良いんだ。
すぐに幸せになったら良いを許可したら良い。という話を聞いたから。
それで私は、暗い未来しか想像できなかったけれど、私が幸せになるために書いたら良いって思った。
暗い未来が見えたのは、私の拒否されたら耐えられないもあるけれど、妹の話を聞いたことも大きい。
あまり好意的に思える話ではなかった。
その視点を得たことで、書けそうになった。
あとは、どうなるかは私じゃなくて任せたら良いってなれた。
相手の反応はコントロール出来ないから。
5/26追記
手紙、書けた。下書きを見ながらただただ冷静に書いた。途中で一瞬泣きそうになったけれど、すぐに戻して書き終えた。
郵便番号を調べて、封筒に封をした。
いつもの私なら、手紙の普通にならって、元気ですか?と相手を気遣うような言葉、無難な言葉から書いたかもしれない。
最後に、「体に気をつけて」と書いたかもしれない。
けれど、これは私が幸せになるための手紙。私がこれからの人生を希望を持って歩けるための手紙だから、書いていない。
自分の近況も書いていない。
けれど、一文字も嘘はないし、誠実に私の気持ちがそのまま書いてある。
怖いと思っていることも、拒否されたら耐えられないも、娘としての私をただいることを認めて欲しいも、これから連絡をとりあいたいのか分からないも、今の私の本当が偽りなくある。
だから、書けた時点で完了でここから先はもうボーナストラックだ。
そんな風に思う。返事が欲しいと思っているけれど、なくても良い。
だから、私は私を祝福したい。
私が私のために手紙を書き終えた日。これからは先の未来は少し深く呼吸ができるはず。私がこれからの人生を明るく希望を持って歩けるように。
郵便局の窓口に用があったので、郵便番号があっているかきいてみた。
すると「水曜日には届きます。」と。
親切で教えてくれたのだろうけど、それを聞いて心がざわっとした。
その情報はいらなかった…。出すからには、届いて欲しいから郵便番号を確認してもらったけど、いつ着くかは知りたくなかった…。
聞かなかったことにする。
親子関係をテーマにしたnoteは、こちらにまとめています。
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