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私が満たされてから、与える そんなこと出来る? 順番を逆転させる

春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
私は私に還るだけ。ちゃんとあるから感覚を研ぎ澄ませて。
ぷかぷかの私が一番自然で健やか、今日も光を放ちます。

先に何かをもらう、まず自分が満たされてから周りを満たすことはありますか?

とりあえず先にもらうことです。

いやいや、まず何かを提供してからでしょ。
提供しなくとも自分はこういう価値を相手に差し出せるよって示してからじゃないと無理?
対等が基本だから、交換する?
満たされてからなんて、贅沢だよ。

そんな風に思う、感じるかもしれないなと思います。

腹落ちしたかも、って思うので記録しておく。

自分で自分を満たすことを最優先にして、それから周りを満たそうよの順番については分かっている。
けれど、周りから先に満たされるということも私は受けとっていい。
「愛」というテーマにおいて、「私が満たされてから、与える」を学んだ。


「私が満たされてから、与える」

これは、私の「魂の通訳書」(ホロスコープを読んでもらった)にある一文です。
愛について書かれている所で、癒すためには、この順番を学ぶことって書かれていた。

あまりよく分かっていなくて、「先に満たしてもらってから与えるの?うーん…」と思っていました。

与えてもらう、それも一方的に与えてもらうが無理だと思っていて、すぐに返そうとする、何か返せるものは?私にそれはあるの?って考えていたから。

先に満たしてもらうとは、なかなか我慢というか、忍耐がいるように思っていました。

がんばって受けとるを先にするってイメージ。
先に受けとることの居心地の悪さを自分でうまくなだめないとって感じ。

与えることは、私にとっては容易なことで、与えるが好きなんだと思う。
自己犠牲的な私の匂いもしないことはないけれど、「教える」が好きの感覚とも通じていると思います。

お金についても通じてそう。

私が払うには抵抗がないけれど、受けとるについてはちょっと苦手かも。
私個人に対して、お金を払ってもらう、頂くことのハードルは越えているので、抵抗はほぼないけれど、圧倒的に払う方が楽。

お金はただの数字かもしれなくて、私の気持ちがそこには詰まっている。
私はお金を使うに関しては、そう思えるようになっている。

感謝大好きも、これからも私とをつないで欲しいも、期待もこめて、お金を払うという行動になっている。

そこには祝福という気持ち、相手の幸せを心から願っていることもある。
応援のこともある。
私の気持ちを表現する1つの形に過ぎないって思っている。

愛以外にも、私は人との関係において、自分が何かを与えるは出来るけれど、受けとるを避けてきたのかもしれない。

私という存在に対する価値、信頼の話に通じることです。

けれど、私はそのままで愛されていい存在で、すでに愛されていて、「愛されたい」って言っていいんだって思ったら、出来そうって思えました。

私が先に満たされるをスッと受けとれる、腹落ちしたになった。

無条件にまず愛という光を浴びて、「幸せ」って思ってから循環させる選択がありって思えた。

まず、私が何を返せるのか、返せるものはあるってちゃんと確認して、交換するくらい同時のスピードで愛を贈って、私も相手からもらう。

ではなくて、ただ受けとる、返すのはその後でもいいってことが、腹落ちした。

返さなくても、ただ受けとるだけでもう私は愛を反射していて、相手を照らし返せている。

私が私を満たすこと

私が私をまず満たして、それがあふれた分で周りを満たしていきましょう。

この考え方は理解していて、賛同している。
自己中心的利他です。

まずは自分のシャンパングラスを満たして、それがあふれた分で、どんどん下に積まれているシャンパンタワーのグラスが満たされていく。

一番上に積まれている「自分」というグラスにまずは注ぐ。

下から上にはあふれても満たすことは出来ない。
上のグラスからあふれた分が下のグラス=周りの人を満たしていく。

けれど、自分で満たすではなくて、「満たされてから」、先に誰かに施してもらうことが、どうにも納得できていなかった。

これが分かる、受け容れられたのは大きな変化だ。

シャンパングラスに注ぐのは私だけじゃなくて、先に周りの人から注いでもらってもいい。

「愛を受けとる光を浴びること」

AIが作った「私を植物で表現すると?」の中にある私の育て方の一文。

この言葉を見て、私を育てるには愛の光を浴びることが必要なのか。
と心に響いた。

私が私に愛を注ぐ、水やりすることが大事だよね、とは思っていた。

けれど、愛という光を浴びることをしていいのか、そうやって私は育つのかと思った。

水やりは自分でして、光は周りから浴びさせてもらう。

私の中にも光はぽわんと灯っているけれど、それは内側にあるから、外の光を浴びたらいい。

愛を受けとることをしていいんだと思った。

「私が満たされてから、与える」につながった。

私は光を浴びていい。
それが今の愛があるにOS更新したばかりの私には必要で大事なことだと感じます。

受けとる小さな実験

ただ、「ありがとう」と伝えてみる。

「返さなきゃ!」がわりと発動しがちだったから、その私ではなくて、ただ満たされていいんだって感じるための練習。

ただ与えてもらうことに委ねてみる。

ちょっと勇気が必要そうにも思うけれど、返さなくても大丈夫。
私は私のままで愛されているから。

素直にありがとう、嬉しい、助かったって言葉にして渡すだけで、それは小さな愛を返している。

返したいなって思ったら、返す行動を大きくなくていいからやってみるで間に合う。
すぐに何とかしよう、返そうとしなくていい。

私の「欲しい」を伝えてみる。
「愛されたい」という直球ではなくて、私の言葉だと「頼る」ことをする。

寄りかかるとも言えて、疲れた、しんどいということを聞いてもらうことだったり、ちょっと助けて欲しいだったり、そういう困りごとやニーズを周り伝える、お願いしてみること。

これが、「私が満たされてから、与える」につながるし、愛を受けとるにもなると思う。

まとめ

アンテナが立っているから、こうやってつながったり、考えが互いに関連して、広がるのだと思った。

そして、「私が満たされてから、与える」そんなこと出来るのか?って出来そうもないなって思っていたから、引っかかっていたのだと思います。

今の私で「魂の通訳書」を読むと必要なことが起きている感がしっくりくる。

自己信頼とも言えるし、自己受容とも言えそう。
私の全体性の一部が回復されたし、自尊感情が育まれたでもあると思う。

やはり、自尊感情も自己肯定感も、そもそもの土台が「愛がある」ことなんだ。

「愛を受けとる」という視点、愛と私の距離感という視点から見ても、成長と捉えていいと感じた。

周りの誰かを愛の光で照らせることは素晴らしい。

けれど、あなたがもし周りに与えることを先にしているなら、たまには先に相手から受けとる、そして自分が先に誰かによって満たされることを許してみませんか?

先に満たされていいんだよ。と伝えたいです。

愛ですよって空気を出しながら、ぜひ正面から私に愛という光を浴びさせてもらえると、嬉しいです。

死角から近づかないでもらえると、ありがたいです笑

今私は愛にふれたり受けとることを練習中です。

急にとんでもない大きさで愛の光を照りつけないでもらえると助かります笑
夏の太陽のような光はまだちょっと恐いです。

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これからも「愛ってどんな形かしら」について書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。

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