英文センテンスの構文がとれないとき、どうするか(5):準動詞のかたち(-ed形)が2つの別の働きを持っていても、英語ネイティブは、なぜ平気でいられるか
前回に私は、workedというかたちの語には、述部動詞の過去時制という働きと、準動詞(過去分詞)としての働きがあり、準動詞(過去分詞)の場合には形容詞・副詞の働きがあるということを説明しました。
これをベースとしつつ、今回はこれまでとは別の角度から英語理解について考えてみます。
別の角度とはすなわち、私たち日本語ネイティブが英語の構造を理解できないのは何故なのか、ではなく、英語ネイティブが(私たちからみるとでたらめな)英語の構造を理解できるのは何故なのか、という角度からです。
そもそも、ひとつのかたちの表現に2つの異なる働きがある、なんてどう考えてもおかしいでしょう。そんな理不尽なことが許されるのならば、文法なんていらないのではないか、と私は思ってしまいます。皆さんはいかがでしょうか。
しかしながら、英語ではそれが現実です。
ということは、その現実を裏付ける「何か」があるはずであり、それを、私(私たち日本人)が理解できていない、ということです。
そして、それを理解できていないということが、私たち日本人の深い理解を妨げているのだと考えられます。
では、その何かとは何か。
私はその何かとは「英語ネイティブの言語理解の第一前提は、文中のポジション(位置)の把握にある」ということだと考えます。言葉のかたちよりも、言葉が置かれる位置のほうが大事ーーなんという理不尽な考え方でしょう!ただし、私たち日本人の感覚でいえば、ですが。
そして、この「文中のポジション(位置)の把握を言語理解の第一前提とする」という英語ネイティブの認識を、「言語理解の第一前提はかたちの把握である」としている日本語ネイティブには心の底からは理解しきれない、のではないかと思います。
ちょっと前に私は「ひとつのかたちの表現に2つの異なる働きがあるなんて、どう考えてもおかしいでしょう。そんな理不尽なことが許されるのならば文法なんていらないのではないか、と私などは思ってしまいます」と書きました。
ようするに、「ポジション(位置)の把握を言語理解の第一前提とする」という英語ネイティブの認識を私は「どう考えてもおかしい」と思っているのです。そしてここに私(私たち日本人)が英語を英語として芯から理解できない根深い理由のひとつがあるのだと私は考えます。
では、私たちが(このような理不尽な)英語の構造を芯から理解するには、どうすればよいのでしょうか。
「文中のポジション(位置)の把握を言語理解の第一前提とする」という英語の心理的なフレームワークを後天的に身につけるしかありません。
そして、そのための後天的に習得するためのツールとして私が開発したのが、「箱をただぽんぽんとおいておく」というイメージと、それを二次元的に図示することのできる「SPMCメソッド」です。
