本気のGX、MIDORI BOOST 「みどり加速化GXプラン」、はじまる。
農林水産省が「みどり加速化GXプラン」、愛称MIDORI BOOSTを近日、打ち出すとのこと。名前がすごい。みどりの食料システム戦略が動き出し、それを加速するパッケージと位置付け、食料システム全体での連携と民間投資、気候変動への適応、現場の取組拡大、有機農業の面拡大が柱として掲げられています。実際、GX目線では、中身が本気です!
今日は、MIDORI BOOSTを、GXとネイチャーポジティブのそれぞれの視点から整理した上で、さらに、日本がもしも本気で世界トップクラスのネイチャーポジティブな農業を目指すとしたら、さらにどうすると良いのかなども整理しようと思います。GXだけではなく、ネイチャーポジティブの文脈で農政を論じる試みはまだ多くありませんので、ユニークな論考にしようと思います。お付き合いください。本日も楽しんでいってくださいね!
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「みどり加速化GXプラン」MIDORI BOOSTとは何か
令和8年3月19日、農林水産省は⾷料・農林⽔産分野におけるGX加速化研究会(第6回)にて、「みどりの食料システム戦略に基づく取組の進捗状況と今後の展開」と題した文書を公表しました。副題は「農林水産業におけるネイチャーポジティブの取組」。読み込むと、日本の食料システムがこれから数年で劇的に変わろうとしていることが見えてきます。本稿では、この文書から読み取れる論点を、掘り下げます。農林水産省は、MIDORI BOOSTをみどりの食料システム戦略をGXの観点から加速するプランとして位置づける予定です。

背景には、GX-ETSの本格稼働に向けて農業分野のGXも問われること、と推測されます。みどり認定が3万件を超え、オーガニックビレッジが150市町村を超えたという成果を踏まえつつ、これを加速する政策パッケージをまとめる、という流れです。新たなキーワードには、いよいよリジェネラティブの要素が入るようです。

「みどり加速化GXプラン」(愛称:MIDORI BOOST)の策定方向性は、4つの重点課題に整理されています。第一に、食料システム全体の連携強化と民間投資の呼び込み。第二に、食料生産を脅かす気候変動への適応。第三に、生産現場における取り組みのさらなる拡大。第四に、有機農業の面的拡大。
みどり加速化GXプランは、次の性質を持つものといえます。
第一に、金融インフラとしての性格。TNFD、自然共生サイト、Jクレジット、環境直接支払交付金、インパクト創出証明書といった制度群を統合し、農業GXを投資可能な資産クラスとして成立させる。第二に、サプライチェーン再設計としての性格。インセッティング、Scope 3削減、CSVといった企業側の動きと連動し、食品バリューチェーン全体のトランジションを促す。第三に、国際戦略としての性格。JCMを通じた技術の海外展開、アジア・モンスーン地域でのプレゼンス確立、EUや米国のリジェネラティブ農業政策との相互運用性確保。第四に、水田農業の再定義としての性格。米の国内消費量減少を前提に、有機米輸出、カーボン・クレジット創出、生物多様性保全の場としての水田の多機能化を進める。

「みどり加速化GXプラン」MIDORI BOOSTを読み解く
MIDORI BOOSTの構成要素
政策の主な構成要素を挙げておきます。
一つ目は、2027年度から全ての補助事業等で環境負荷低減の最低限の取組を求める「みどりチェック」です。適正な施肥、適正な防除、エネルギー節減、悪臭・害虫発生防止、廃棄物処理、生物多様性への悪影響防止、環境法令の遵守などが基本的取組として挙げられています。これはクロスコンプライアンス、つまり補助金を受けるための最低限の環境条件としての位置づけです。
二つ目は、2027年度からの新たな環境直接支払の検討です。現行の環境保全型農業直接支払を発展させ、みどり認定を受けた農業者が持続可能な農業に転換する際のリスクを踏まえ、支援対象や支援水準を定期的に見直す仕組みが検討されています。これは政策の中核になり得る制度です。

三つ目は、環境負荷低減の見える化、すなわち「みえるらべる」です。温室効果ガス削減への貢献や生物多様性保全への配慮を星の数などで表示し、消費者の選択につなげる仕組みです。2025年にはJA全農の営農管理システムとの連携も発表されています。

四つ目は、J-クレジットの方法論整備と技術普及、GX-ETSとの接続です。水田メタン削減、バイオ炭、土壌炭素などが対象になります。

五つ目は、有機農業の技術体系化と産地形成、加工・流通体制、学校給食との接続です。オーガニックビレッジの拡大も含みます。
六つ目は、高温耐性品種の開発、スマート農業、気候変動適応技術です。

以上が、特徴になりますが、以下では、「みどり加速化GXプラン」MIDORI BOOSTの中で、気になるアイテムについて取り出して、ご紹介いたします。
「みどりチェック」
EUの共通農業政策(CAP)において、クロスコンプライアンスは1990年代後半から段階的に導入され、2005年以降は直接支払いを受けるすべての農家に環境・動物福祉・食品安全・植物保護に関する基準の遵守を義務付ける強力なツールとして機能してきました。CAP予算の大部分がこの条件付き直接支払いに充てられていることを考えると、欧州の農業環境政策の背骨と言っても過言ではありません。みどりチェックは、この考え方を日本に導入する最初の本格的な試みです。

適正な施肥、適正な防除、エネルギーの節減、悪臭・害虫の発生防止、廃棄物の発生抑制・循環利用・適正処分、生物多様性への悪影響の防止、環境関係法令の遵守——この7項目が今まで、補助金受給の条件として明記されたことがありませんでした。令和8年1月から国の担当者が現地での目視・聞き取りにより取組内容を確認するフェーズに入りました。ペーパーだけの自己申告から、実地確認への移行し、サンプリング調査を始めています。2027年度から始まる新たな環境直接支払交付金がみどり認定農家に限定され、みどりチェックの本格実施(令和9年度)が重なります。

インセッティング
「インセッティングコンソーシアム」は、食料・農業GXの中で最も見逃されがちな、しかし戦略的な意味を持つ取り組みです。インセッティングとオフセッティングの違いを整理しておきましょう。カーボン・オフセッティングは、自社のバリューチェーン外のGHG削減プロジェクト(例:再エネ、森林保全)からクレジットを購入し、自社の排出量を相殺することです。これに対してカーボン・インセッティングは、自社のバリューチェーン内でGHG削減・吸収に取り組み、その効果をバリューチェーン全体で享受する考え方です。食品企業にとって、原材料調達(Scope 3 Category 1)は排出量の大部分を占めます。ネスレのケースでは、Scope 3 Category 1だけで全体の約70%を占めるとされています。これを削減するには、畜産排出や水田メタン、化学肥料由来のN2O、土地利用変化などにアプローチする必要があり、サプライヤーである農家や加工業者と直接的な関係構築が不可欠です。ここで問題になるのが、従来のカーボン・オフセッティング(外部クレジット購入)では、SBTi(Science Based Targets initiative)が厳しく制限する方向に動いていることです。2024年の改定で、SBTiはScope 3削減の主要手段としてのオフセット使用をほぼ認めず、バリューチェーン内での直接削減を求める姿勢を強めました。インセッティングは、この国際的な流れへの対応策として位置付けられます。日本でインセッティングコンソーシアム(参加23社、農林中央金庫主導)が立ち上がり、すかいらーくホールディングス、ニチレイフーズなどが参加していることは、日本の食品業界がこの流れを本格的に意識し始めたことを示しています。
リジェネラティブ農業
リジェネラティブ農業(環境再生型農業)は、表面的には「海外事例の紹介」に見えます。しかし、これは日本の食品・農業セクターにとっての「外圧」の可視化として読むべき内容です。国際的な動きを整理すると、以下のような流れになっています。ネスレは2030年までに10億スイスフラン(約2,000億円)をリジェネラティブ農業への移行支援に投資すると表明。ユニリーバは100万haでの再生型農業実施を目標とし、現在10万haで20件のプロジェクトを実施中。パタゴニアは1996年からオーガニックコットンを採用し、リジェネラティブ・オーガニック(RO)認証を推進。2025年12月には、米国トランプ政権が約7億ドルの「リジェネラティブ・パイロット・プログラム」を公表しました。さらに重要なのがEUの動向です。2025年6月、欧州経済社会評議会が欧州委員会と加盟国に対し、持続可能な農業の強化のためリジェネラティブ農業への支援増加を要請する意見書を採択。同12月、土壌の健全性の測定・評価・報告を目的とした欧州連合初の土壌保全法制となる土壌監視・レジリエンス指令が発効しました。ネスレ、ユニリーバ、パタゴニアといった多国籍企業は、自社のグローバル調達基準を満たすサプライヤーしか取引しません。日本国内の動きとして文書で紹介されているのは、仁井田本家がパタゴニア等が制定したRO認証を2024年に取得し、福島県で酒米を生産している事例ひとつです。国際的なRO認証や土壌カーボン測定の基準が急速に厳格化する中で、日本の生産者・認証機関・科学的測定体制は追いついていません。
みどり戦略の中で、有機農業は明確に位置付けられていますが、リジェネラティブ農業は独立したKPIを持ちません。これは、有機農業とリジェネラティブ農業の国際的な差異(有機は化学合成農薬・肥料の排除が中心、リジェネラティブは土壌健全性とカバークロップ・不耕起の組み合わせが中心)を考えると、戦略上の空白になっています。
みえるらべる
「みえるらべる」の取り組みは、環境負荷低減を消費者の購買行動に繋げるための重要な仕組みです。令和8年2月28日時点で、登録番号付与1,951件、販売店舗等1,439か所、通年購入可能な店舗等がある都道府県は24都道府県です。

WAGRI(農業データ連携基盤)上に構築された算定・報告システムが、クボタのKSAS、ウォーターセルのアグリノート、JA全農の担い手営農サポートシステムと連携している点は重要です。これは、個々の農家の栽培データが標準化されたフォーマットでGHG排出量・生物多様性貢献度として算定される基盤が整ったということです。このデータ基盤は、将来的にいくつかの方向に展開可能です。ひとつは、食品メーカーが自社調達先のScope 3排出量を、農家レベルの実測値に基づいて算定できるようになること。これはTCFD・SSBJ・CSRD対応における差別化要因になります。もうひとつは、Jクレジット・自然共生サイト・環境直接支払交付金の申請・管理が、同じデータ基盤上で処理できるようになること。現在は別々の手続きが必要な各種制度が、ひとつのデータ流れに統合されていく可能性があります。みえるらべるは、見える化だけではなく「農業環境データのインフラ化」の入り口なのです。
一方でいくつか課題もあります。
第一に、対象品目が限定されていること。最も重要な生物多様性は、米だけです。食品消費支出の構成を考えると、畜産品目を含まないラベル制度の影響力は限定的です。日本の家計の食料支出構成において、肉類・乳製品・卵類は約4分の1を占めます。このカテゴリが対象外である以上、「みえるらべる」の影響範囲は構造的に制約されています。
第二に、消費者の認知(ほとんど認知されていない)とWillingness to Pay(プレミアムがつかない)の問題です。欧州のEcoLabelや米国のUSDA Organicのような成熟したラベル制度でも、消費者の全体的な環境ラベル認知率は30-50%程度、プレミアム支払い意欲がある層は10-20%程度にとどまるという調査結果が多いです。日本でみえるらべるがどの程度認知されているかの公開データは限られていますが、導入初年度の段階では1桁台と推測するのが妥当でしょう。
第三に、ラベルの「設計」問題です。カーボン対策と生物多様性が独立しておらず、カーボン対策の上で生物多様性対応をしていることを前提にしていることです。カーボン対策と生物多様性対策の双方を同時にやっているのは間口が狭すぎるように思えます。
インパクト創出証明書
「農山漁村に関わりの少なかった企業の農林水産業・食品産業への参入促進」セクションは、資料全体の中でも特に野心的な構想を含んでいます。農山漁村が生み出す7つのインパクト——地域経済の活性化、農山漁村の持続可能な生活環境の維持、ネイチャーポジティブ、気候変動の抑制、気候変動への適応、ウェルビーイング向上、農山漁村における災害レジリエンスの向上——を「可視化」し、それを企業に対して4つのリターン(事業リターン、人的リターン、ブランドリターン、資本市場リターン)として還元する、という整理です。そして、これらの取り組みを行う企業を国が認定し「インパクト創出証明書」を発行する制度を創設する予定です。検討会参加企業として、JR東日本、NTT東日本、JAL、JTB、アサヒビール、H2O(阪急阪神百貨店等)が挙げられており、社員の副業による農業参入、企業版ふるさと納税を活用した援農ボランティアツアーなどの事例が紹介されています。

日本政府が「インパクト投資」を農山漁村という文脈で制度化しようとしているという動きです。インパクト投資は国際的に成長している資本カテゴリで、GIIN(Global Impact Investing Network)の推計では2022年時点で1.2兆ドル規模に達しています。ただし、「何がインパクトか」「どう測るか」「どう認証するか」という基準の確立が各国共通の課題となっています。日本のインパクト創出証明書制度は、これを政府主導で整備しようとしている点で先進的です。農山漁村に限定されるとはいえ、国が発行する証明書が企業のインパクト主張を裏付ける仕組みは、国際的にも類例が少ない。これは将来的に、自然共生サイト支援証明書と合わせて、日本の「公的インパクト証明アーキテクチャ」を形成する可能性があります。
MIDORI BOOSTの到達点:GXを加速する
一つ目の到達点は、フードシステム全体を対象にし始めたことです。従来のみどりの食糧システム戦略は、農家にフィーチャーしており、生産者側に偏りすぎていました。今回、農家だけでなく、食品企業、流通、小売、金融、消費者を含めたフードシステムとして政策を組み立てようとしています。農業の環境転換は、農家だけでは実現できません。農林水産省の検討会資料で、企業投資、消費者価値、J-クレジット、CSV、サプライチェーンの連携が論点になっていることは偏りを減らす重要な視点です。
二つ目は、民間投資を政策に組み込もうとしていることです。これまでの農政は、補助金と制度融資が中心でした。MIDORI BOOSTは、GX移行債の対象に農業・食料分野が入っているにもかかわらず十分活用されていないこと、リスクマネーが必要であること、投資家に勝ち筋を示す必要があること、AIなどへの集中投資が必要であること、といった論点を正面から扱っています。世界トップクラスの農政は、補助金だけでは作れません。農業者、食品企業、金融機関、自治体、研究機関、スタートアップが連動する投資設計が必要です。ここも、箱庭的な行政から脱する方向であり、ようやく正常化に向かっている可能性があります。
三つ目は、見える化ラベルをデータ基盤にできる可能性が出てきたことです。「みえるらべる」単体では、消費者向け表示としての限界があります。しかし、これを単なるラベルとしてではなく、農業の自然資本データ基盤の入口として使うなら、データドリブンなブランディングへの発展の可能性があります。JA全農の営農管理システムとの連携や、WAGRI APIの活用は、栽培データと環境評価をつなぐ基盤になり得ます。問題は次の段階で、温室効果ガスだけでなく、生物多様性、水、土壌、景観、農薬リスク、栄養塩流出、地域の生態系指標まで扱うデータ基盤へ進化させられるかどうかです。
四つ目は、有機農業を「面」と「産地」、ランドスケープで捉えようとしていることです。有機農業は、個々の農家が点で取り組んでも伸びません。種苗、育苗、除草、堆肥、機械、乾燥調製、加工、流通、販売、給食、消費者理解が地域でつながって初めて広がります。MIDORI BOOSTが有機農業の技術体系化、産地形成、加工・流通体制、学校給食との活用を示している点、検討会でJAとの連携、グループ認証、専門農協、有機米、米作からの転換が論点になっている点は、正しい方向です。これは、これまでの有機農業政策に欠けていた視点でした。しかし、まだリジェネラティブ農業に言及はしているものの、有機農業のキーワードを引っ張っているのは疑問点です。
最後に、みどりチェックを全補助事業へ広げる方針です。全ての補助事業に最低限の環境条件を入れることは、政策の一貫性を高めます。一方で環境に悪い投資を補助し、もう一方で環境負荷低減を促す、といった矛盾を減らせます。これはクロスコンプライアンスの発想で、EUも似た設計をしています。MIDORI BOOSTは「入口」としてはかなりよくできています。フードシステム全体、民間投資、見える化、有機農業の面拡大、気候適応、最低基準と、重要な要素は揃っています。
ネイチャーポジティブの視点の不足
一方で、あくまでもGXの加速戦略であり、MIDORI BOOSTは「ネイチャーポジティブ農政」ではありません。「みどりの食料システム戦略のGX加速パッケージ」にとどまっています。以下、具体的に見ていきます。
例えば、自然回復関連の成果指標を設定していません。MIDORI BOOSTに並ぶ指標は、農薬リスク換算値、化学肥料使用量、有機面積、認定件数、ラベル件数、クレジット件数、スマート農業の導入件数です。「自然そのものの状態」を測っていません。土壌品質、水の品質、農地性鳥類、送粉昆虫、土壌生物、水田・水路の生きもの、畦畔の草地性植物、農地周辺の半自然生息地、流域の水質といった、ネイチャーポジティブの指標がなく、自然回復が分かりません。検討会でも、J-クレジットについて価格だけに注目すべきではなく、生産性向上や地域経済との相乗効果、投資家ニーズとの整合が必要だ、という意見が出ていましたが、私はもう一歩踏み込むべきだと思います。農業J-クレジットには、生物多様性セーフガードを義務づけるべきです。脱炭素になっても自然を壊すなら、それはネイチャーポジティブではありません。
また、「有機農業」にとどまることです。リジェネラティブ農業に言及はしているものの、有機農業のキーワードを引っ張っているのは疑問点です。その有機農業すら、日本の2030年目標は1.5%前後にとどまる計算です。日本には水田、急峻な地形、高温多湿、雑草・病害虫圧、零細分散圃場、流通慣行など固有の制約があり、EUと同じ数字をそのまま当てはめるべきではない、という議論は理解します。しかし、それでも現状の政策目標設定は弱すぎます。2027年度からの新たな環境直接支払が「自然回復への報酬」になっておらず現時点の説明では、「導入リスク」や「掛かり増し経費」の補填に近い発想が強く、自然回復という成果に対する報酬という思想が弱い。農家が自然回復に貢献する場合、それは単なるコスト増ではなく、水質改善、洪水緩和、土壌保全、炭素貯留、景観形成、送粉昆虫の保全、地域観光、教育、文化的価値を生む社会的便益です。直接支払は、この社会的便益への対価として設計されるべきです。これらは「有機農業」では語れません。また、地域・流域単位の設計が弱いです。ネイチャーポジティブ農業は、圃場単位では完結しません。自然は境界線を越えて動きます。鳥、昆虫、水、栄養塩、農薬、土壌、遺伝資源は、地域の中でつながっています。日本の農政は、個別経営体、品目、補助事業、認定制度の単位では強いのですが、流域単位、景観単位、生態系ネットワーク単位の設計が弱い。農薬流出リスクの高い流域、窒素・リンの流出リスクが高い流域、水田生物多様性の重点地域、草地の生物多様性重点地域、送粉昆虫の回廊を作るべき果樹・野菜産地、土壌炭素を増やすべき畑作地帯、水害リスクを下げるために水田貯留機能を高める地域、有機農業の集団転換が可能な地域、こうした地図に基づいて支援単価や支援内容を変える必要があります。
最後に、農薬政策が「リスク換算値」だけに寄っていることです。リスク換算値で測ることは、単純な使用量より優れています。しかし、それだけでは足りません。農薬の自然影響は、対象作物、使用時期、使用方法、土壌、降雨、水路との距離、周辺生息地、地域の生物相によって大きく変わります。水生昆虫、魚類、両生類、土壌生物、送粉昆虫、天敵昆虫への影響は、地域ごとに評価する必要があります。IPMを基盤にして、発生予察、抵抗性品種、天敵利用、防虫ネット、輪作、土壌管理、機械除草、精密散布を組み合わせる設計です。農薬政策のゴールは、使用量の削減ではなく、病害虫リスクを管理しながら生態系への悪影響を大幅に減らすことです。また、化学肥料削減が栄養塩管理につなげる必要があります。化学肥料使用量は2023年実績で基準年比約25%減、2030年目標の20%削減を既に上回っていますが、肥料問題の本質は、窒素とリンの循環です。化学肥料を減らしても、家畜排せつ物、堆肥、下水汚泥資源、食品残さ由来肥料の使い方が悪ければ、硝酸態窒素の流出、リンの蓄積、湖沼の富栄養化、亜酸化窒素排出が起きます。流域単位で栄養塩収支を管理し、どの地域に窒素とリンが余っているのか、どの地域で有機物が不足しているのか、家畜排せつ物をどこへ運ぶべきか、堆肥の品質をどう保証するか、下水汚泥資源に含まれる重金属や有機フッ素化合物などのリスクをどう管理するか、こうした地域でのバイオエコノミーの設計が必要です。
食料安全保障としてのスマート技術をセットにした、ネイチャーポジティブ
本来、ネイチャーポジティブは食料安全保障そのものです。日本農政では、食料安全保障は食料自給率、生産基盤、備蓄、輸入、技術といった文脈で議論され、ネイチャーポジティブは環境政策の文脈で議論される、という分離が残っています。食料安全保障とは、短期的に生産量を増やすことだけではありません。土壌が劣化し、水が汚れ、送粉昆虫が減り、病害虫が増え、気候災害に弱くなれば、中長期の食料安全保障は失われます。自然資本は、農業生産の基盤そのものです。MIDORI BOOSTは気候適応を扱っていますが、土壌、水、生物多様性、地域循環を食料安全保障の中核に据える統合思想がまだ弱い。「自然が本当に回復して食料安全保障につながっているか」よりも、設定した「目標項目を達成したと言えるか」が重要になってしまうと本末転倒です。仮に、世界トップクラスを目指すとしたら、以下のような目標になるのではないかと思われます。
第一に、ランドスケープレベルでの自然回復目標です。2030年までに、重点ランドスケープにおいて、水の涵養力、農地性鳥類、送粉昆虫、水田・水路生物、土壌健全性、水質の少なくとも一部で改善傾向を確認する。全国では悪化傾向を止める。
次に、ネイチャーポジティブ農地目標です。有機に限定せず、第三者管理された自然回復型農業、環境再生型農業、草地生物多様性管理、流域水質改善型農業を含め、2030年までに100万ヘクタールをネイチャーポジティブ管理下に置く。
また、農薬リスク目標です。2030年までに、単なる全国リスク換算値ではなく、重点流域・重点作物で生態系リスクを50%低減する。送粉昆虫、水生生物、土壌生物への高リスク成分を優先削減する。同時に、栄養塩管理目標です。窒素・リンが過剰な重点流域で、2030年までに栄養塩余剰を30%削減する。湖沼、河川、地下水、沿岸域の水質改善と連動させる。
また、重要湿地としての水田生態系目標です。2030年までに、重点地域の水田で、生物多様性に配慮した水管理、冬期湛水、魚道・水路接続、畦畔管理、中干し期間の生物配慮、農薬流出抑制を組み合わせた地域モデルを確立する。水田は、食料生産だけでなく、水循環、洪水緩和、地下水涵養、景観、文化、生物多様性に関わっています。水路を全てコンクリート三面張りにするのではなく、生きものがすめる区間を設ける。魚道や小さな落差改善を行う。ため池を防災と生物多様性の両方で管理する。畦畔草地を送粉昆虫の生息地として管理する。水田の貯留機能を流域治水に活用する。湿地的な休耕田を地域の自然回復拠点にする。こうした設計を、土地改良事業の標準に入れることが、日本型ネイチャーポジティブの最大の梃子になります。
さらに、公共調達目標です。2030年までに、学校給食、病院、福祉施設、政府・自治体施設の食材調達のうち、主要品目で30%を有機またはネイチャーポジティブ認証品にする。2035年に50%を目指す。
また、スマート農業、バイオエコノミー、イノベーション分野の取り込みも不可欠です。サステナビリティは、持続可能性という意味であり、ネイチャーポジティブは、いわゆる、環境政策ではなく、最先端の技術を取り込んで、自然の力を十分に生かして、バリューチェーンを革新することです。この視点は不可欠です。この目標群も一式必要です。
環境直接支払の再設計も有効と思われます。農家に自然回復の対価を支払う主力制度にすべきです。構成は、例えば五層での支払いにします。
第一層は最低基準です。みどりチェックを全補助事業の条件にします。これは補助金を受けるための基本条件、つまりクロスコンプライアンスです。「悪化を防ぐ」層と言ってもいい。
第二層は移行支援です。農家が有機、減農薬、カバークロップ、輪作、堆肥利用、草地管理、水田水管理、樹林帯整備などに移行する際、5年程度の支援を行います。ここが現行制度の延長です。
第三層は成果報酬です。自然回復スコアが改善した場合、追加支払いを行います。ここが新しい層です。「やった分」ではなく「回復した分」に払います。
第四層は地域協働ボーナスです。個別農家ではなく、集落、土地改良区、JA、自治体、食品企業がまとまって取り組む場合に、追加支払いを行います。生物多様性は面的管理が必要で、個別農家の努力の総和よりも、地域で協調した方が効果が大きい場合が多いからです。
第五層は、企業・公共調達とのマッチング支援です。環境直接支払を受ける産地が、学校給食、食品企業、小売、外食と長期契約を結ぶ場合、価格プレミアムや物流整備を支援します。これは、補助金を受けた産地が市場でも稼げるように設計する層です。
これらを、政府だけではなく、民間のインパクトファイナンス、食品企業からの出資なども組み入れた官民ファイナンスにすることが理想ではないでしょうか。
日本型バイオエコノミーに向けたロールモデルの策定
2030年までに、全国の主要水田地帯で水田生態系回復モデルを作るべきです。冬期湛水、中干しの生物配慮、魚道整備、水路の落差改善、畦畔草地管理、農薬リスク低減、有機・減農薬米の産地化、学校給食との接続、生物調査、農家への直接支払、これらを一体で動かす地域を、まず20か所、できれば50か所で走らせる。これができれば、日本の水田を世界に示せるネイチャーポジティブ農業モデルとして発信できます。今後は、土地改良をネイチャーポジティブに転換する必要があります。また、畜産も忘れてはいけません。畜産は、飼料輸入、家畜排せつ物、草地管理、放牧、地域循環に関わります。日本では、畜産と耕種農業の連携が十分でない地域があり、堆肥が余る地域と、有機物が不足する地域が分かれています。これをつなぐこと、堆肥の成分表示標準化、堆肥のペレット化・広域流通、過剰地域から不足地域への移送支援、土壌診断との連動、リン過剰地域での投入規制、下水汚泥資源との競合・補完整理、水質モニタリングを進めることが、畜産分野のネイチャーポジティブ化です。適切な放牧は草地性植物、昆虫、鳥類の保全に貢献できますので、草地の自然価値を測って良い管理に直接支払を行うべきです。これは地域資源を活かした畜産ブランドにもつながります。
これらを、バイオエコノミー、イノベーション、デジタル、AI活用、ロボティクス活用、これらの包括的観点で語り直した時、始めて、ネイチャーポジティブBoostになるだろう、と思います。
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