連載小説『夏彩の別れ』第5話(全9話)【note創作大賞2026_恋愛小説部門応募作品】
【あらすじ】
父が、突然亡くなった...。
知念皐月(ちねんさつき)と妹の芽依(めい)は還暦を迎える母のことが心配で仕方がない。残された家族は右往左往するしかない。
それぞれが抱える寂寥感のさなか、父を敬愛して止まなかった会社の元部下が現れる。現在は僧侶を務める御坊英二(おぼうえいじ)は、後日家にきた。彼を通じて少しずつ理解していく父のこと。
母の孤独の隙間を埋めるべく姉妹二人は必死にもがき続けるが...。
一人より二人がいい。二人より三人がいい。
信じ合うことは、助け合うこと。
母を巡る人間模様と家族の再生を描く。
『出会いと分かれ』或る家族の、夏の物語。
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【第1話】⇩
【第2話】⇩
【第3話】⇩
【第4話】⇩
【第5話】⇩
「サツキぃ〜、メイぃ〜、い〜っ」
家の二階から母が私たちを呼ぶ声は、ただの酔っ払い野郎が必死に何かを求めているようだった。
「ヒック、ヒック、ヒッ、ヒッ、ヒッ」
完全に酔っぱらっている。
やっぱり、母を一人にさせたことがいけなかったのか。
「ちょっと母ちゃん、見てくる」
メイの必死の形相が、スローモーションで駆け抜けて行く。私も無理矢理、目で追いかけて、ようやく立ち上がる。
一階のリビングの机に沢山の種類のアルコールが散乱している。ビール、発泡酒、焼酎。先ほど帰り道で回し飲みしたビールの缶は、何回も踏みつけられて小さくなっていた。
「フォー」
母は仰向けになって、両手を掲げて、下着姿で叫び声を上げて暴れている。私とメイは必死に抑えつける。
「母ちゃん!近所迷惑だから!」
「お前は辞めろー。フォー」
母は野生化した巨大な猫みたいだった。
「お前だけは辞めるなー。ウォー」
母は対義語を、何度も何度も繰り返し叫んでいた。
「お前は悪くない。お前の前任と、その前任が日本をダメにした!」
「えっ?」
今朝、ある大臣が体調不良を理由に突然辞任するというネットニュースが日本列島を大きく揺るがした。母は酔っぱらって咆哮しているが、実は正気の沙汰なのかもしれない。
「うっ、ヒクッ。みんな毎日ゼイゼイ苦しんでいるのに、お前ら利権争いばっかりしやがって!」
「そうだよね。お母さんが悪いわけじゃないよね」
母は見た目よりも滑舌がしっかりとしていた。側(そば)で聞いているメイはウンウンと頷いて、母の頭を撫でていた。
「ウー。私たちは、国の飼い猫か?」母は何かに向かってひたすらに咆哮を上げ続ける。
メイは母に向かって吠える。
「母ちゃん!いいかげん、悪酔いしてんじゃないよ!!」
「ちょっとだけよ〜!」思っているよりも母は冷静だった。赤ら顔が嘘に見える。
「お母さん、こんなにお酒強かったっけ?」
私は目を丸くして思わず笑った。
母は観念したように、目の前の座椅子に座り手を後ろに回す。
「ほぉら、サツキとメイ、さっき入浴中に歌っていたでしょう?」
「お母さん聞こえていたの?」
「いやー、筒抜けだから」
母はこう言うと、大きな声で笑った。
「今度家族三人でカラオケに行きたいね」
母からの思わぬ提案に、メイと私は苦笑した。
「母ちゃん歌う時あれだから、女ジャイアンみたいになるかもね」メイは鼻でヒクっと嗤った。
「下手くそか!」
母は自分の頭を叩(はた)いた。カカト落としのような乗りツッコミは思いのほか脳天に衝撃があったようだ。
「お母さんってさぁ、バイト先に気になる人っているの?」
凡そ普通に生きていたら、自分の母親に質問しない事を唐突にぶつけた。
「えっ?いないけど...」
頬に手を当てた母が小さく見える。
「じゃあ、良い人いるよ!」
メイは私を上回るセリフを、さらに不躾なまでにすかさず投げつけた。
「御坊さんでしょ!」
少し間が空いて、母は舌の根からそれしか無いようなセリフを吐いた。
「お母さんがずっとこのまま独りなんて嫌だ!」
私は精一杯の心からの叫びを伝えた。メイは猿の玩具(おもちゃ)のように何回も頷いていた。
「会うのは全然いいけれど、御坊さんだって気になる人がいるかもしれないよ」
私達が考えているよりも、母は消極的だった。頬にある複数の皺が余計に動くのが目立った。
「じゃあ、私がセッティングするから!」
感情を出さずに淡々と話した。
「うん。でも、会うだけだからね...」
母はあまり嬉しそうではなかった。
「じゃあ、父ちゃんの仏壇にみんなで手を合わせに行こうよ」メイは仏間のほうを指差し、私達二人を誘うように声を掛けてきた。
線香に火を点けて、りんを鳴らす。
チーン。
あと何回、父を想ってこうやって手を合わせるのだろうかと私は思った。
母の婚活が上手くいきますように...こう心の奥底から願わざるを得ない。
父が居ないことは理由あってのことだから仕方がない。私たち姉妹に父がいないことより、母の近くに誰もいないことが耐えられないのだ。高齢の母が、生涯独り身を続けるやるせなさは不安でしかない。
「お母さん、私たちマジだからね」
手を合わせて、仏間を離れる時にメイと私はそれぞれ、母の左右の肩を摩(さす)った。もう一回、上を向いてもらうために。
「二人とも、ありがとうね」
母は、精一杯の笑みで返してきた。
「お母さんのせいで、私たちの婚期遅れちゃうんだけどね...」
メイは、トホホやってくれたよと言わんばかりのやられた感満載の表情を覗かせた。
二階に上がってメイと二人で飲み直すことにした。湯上がりで、アルコールを大量に含んだ身体は熱(ほて)っているというより、半ば興奮状態に陥っている。酸欠でもないのにやたらと息遣いが荒い。母の婚活応援なんか、誰かに求められているわけでも何でもないのに正直不思議な感覚だった。
今宵は満月だ。
金色(こんじき)の美しさは、この世のものとは到底思えない。幸せでも、不幸でも無いことが実は一番難しいのが人生だと思うようになった。肉眼で捉えられない事象を抱えた私達にとっては、嫌味なほどに煌々と輝きを放っていた。月には何かが薄らと見える。兎(うさぎ)がせっせと餅つきをしているかもしれない画(え)だとしても、嫉妬をする。そのくらい侘しくて淋しい、何かにすがりたくなるような夜だった。
「今日は、父ちゃんの誕生日だったよね」
妹のメイがニ階のベランダのテラスに寄りかかって来て話しかけてくる。
「うん。健在ならば、齢(よわい)六十四歳...。」
メイが擦り寄ってきた。二人で夜空を見上げる。
「メイ綺麗だね」
「えっ、お姉ちゃん、何が?」
メイはスマホを鏡代わりにして、目を大きく見開く仕草をした。
「いやいや...月が、ね」
メイは、笑いながら頷いた。
私達は、意思を確かめるかの如く、満月を凝視した。
部屋に戻った私は急にかしこまる。
「ねぇ、メイ。お母さんと御坊さんって、相性良いと思う?」
一階の冷蔵庫に、キンキンに冷えた缶ビールを取りに行く。やはり、普通の精神状態ではとても母の恋話なんて出来ない。私は急に背中が寒くなって、口内が渇いた。
姉である私の話に付き合え、と言わんばかりにその冷え過ぎた缶ビールをやや乱暴に手渡す。メイは「あっ、あぁ...」と穿(うが)つでも食らったかのように声を上げた。
缶の栓を立てる。ピシュ。鈍い音がした。まるで人間の乾いた声のように聞こえる。
「こうやって、メイと二人で飲むのって、何年振り?」
「父ちゃん死ぬ前夜だから六年振り?」
「御坊さんのお陰で、お母さん元気になったじゃない?」
「うん」
メイは二本の指で(少しだけ)ジェスチャーをした。
「でも、御坊さんだけのお陰じゃないと思うけど...」
確かに、母が今までよりも明るくなったのは御坊さんだけが立役者ではない。かと言って無関係ではない。純粋に、それに依る部分が大きいから私は言ったのだった。
「もし、母ちゃんが御坊さんと一緒になったら『お・と・う・さん』って呼ぶの?」
「うーん...メイそれは、御坊さん、の儘でいいんじゃない?」
「じゃあ、事実婚にしちゃう?」
間違っていてもいいから、共通認識みたいなものを探りあっていた。同情などという、ありふれた自然律なんて他人から受け取りたくはない、今は。脳内で父を忘れようとすればするほど、決して肉眼では視えない姿見(すがたみ)が現れる。戻らないと分かっていても、また父に逢いたい...という消し去れない想い。残された人間が通り越していても、一人一人がずっと抱き続ける孤独。勿論一人でも孤独だけど、大人数で広場にいても孤独なのは、これからもずっと変わらないから。
「母ちゃんの幸せが一番」
メイの言葉に、不思議なくらい共鳴した。
本当は名字が変わってでも、母に寄り添う人が欲しい。命と引き換えてでもいいから...母の幸せを願う。
そう思うと、心の中の棘が綺麗に取れ落ちたような気がした。
「私たちも御坊って、呼ばれるんだよね?」メイの一言が胸に突き刺さる。
ベランダから戻った部屋からは、更に煌々とした満月が見える。
「父ちゃん、今頃何しているかなあ?」
メイは淋しそうに言うと、手に持っていた缶ビールを一気に飲み干した。私も感化されたように、残り半分以上を体内に流し込む。少し苦さが抜けたビールは気が効かない味がした。
「って、言うかさぁ。お姉ちゃん、御坊さんの連絡先知っているの?」
メイはまだ少し酔いが醒めやらぬ赤ら顔で、ベランダの手摺り箇所に肘を立てて訊いてきた。
「いや知らない。御坊さんの連絡先」
私は自分でも信じられないくらいに、棒読みでセリフを発した。
「やっぱり、躊躇するよね。ママに御坊さん引き合わせるのって...」
「御坊さんじゃなくても躊躇するよ。だって、私たちの新しい父親候補がうちに来るわけだから」
「候補、だよねぇ」
至極純粋に、母を独りにさせないように考えていた。一方で、亡き父は悲しまないだろうか。私たち姉妹にとっても誤った道にならないか。いわゆる継父という代物が、一体どんな存在なのか。深く理解をしないまま結論ばかりを急いでいた感も決して否めなかった。何か、人生に於いて面倒くさいものにはならないだろうか。急にモヤモヤした気持ちが思い起こされて、色んな想定をすればするほど様々な思いが交錯し逡巡した。
「大人の事情だからね...これは...」
こうメイを説得してから、自らが吐いた言葉の重みを反芻する。
「大人の事情って?」
「うん。家族持ったら、難しく煩わしい問題を背負うみたいな...」
私はメイの疑問に答えていただろうか、と何回も自問自答していた。
「嫌だけど...ね」
「お姉ちゃん的には、嫌なの?」
「うん。...つらいよね」
「つらいのなら、止めちゃう?」
「ううん、やっぱりお母さんが一人でいるの可哀想だから、頑張ろうよ」
「お姉ちゃん。別に頑張らなくてもいいんじゃない?」
「そうだね。肩肘張る必要なんかないよね」
「母ちゃんの婚活手伝うって、もしかしたらモラハラかもしれないし」
「えっ?モラハラって...」私は、思わず苦笑した。
「母ちゃんがそう捉えたら、即モラハラ認定らしいよ」
私がもし一人っ子だったらもっと淋しい思いをずっと一人で抱えたかもしれない。メイなりに色々考えていたことも嬉しかったし、よく理解も出来た。でも、やっぱり母を独りのままで人生を終わらせたくないという思いが心底に根強く残っていた。一人の女性としても生きて欲しい。
「お姉ちゃん、一人で思い込まないでいいよ」
「メイ、ありがとう」
「もし、母ちゃんがこのままずっと一人だったら私が守り続けるから」
「えっ? そこまでは大丈夫だから」私は思わず首を激しく左右に振る。
「メイ、やるもん!」
「はいはいー、姉である私が責任を持って面倒見まーす!」
「お姉ちゃん、今日は『どうぞ〜どうぞ〜』やらないよー」
「やらないんかい!?」
「うん。やらない」
「じゃあ、お母さんの幸せ探します企画に参加する人?」私は手を挙げる素振りをした。
「はいはいはいー」メイは力強く手を挙げた。
「どうぞどうぞ〜」私は挙げた右手をメイに向けた。メイは笑いながら私の掌を軽く当てた。
お酒がまだ残る姉妹トークはあっと言う間に時間が過ぎ、気がつけば時計の針は深夜2時を回ろうとしていた。
「もう遅いから寝る?」
私は、携帯電話の鏡機能から実年齢よりもやつれた自らの表情を凝視した。化粧を施していないせいもあっただろう、とても29歳とは思えないぐらいの老け顔を見つめた。こんなオンナ、誰も嫁にはもらいたくないだろう。
母は大丈夫だろうか、と私は急に悪寒が走る。もし、本格的な婚活モードになれば、素敵な洋服でもプレゼントしよう。母が、気力だけは見失わないように。いや、何とか...。何とかしなくてはいけない。盛り立てていかなくては。母の孤独を想えば、私の婚活なんぞ、本当は...どうでもいいのだ。
「お姉ちゃんー」
ベランダから部屋に戻ったメイの声がする。
風が奇妙なくらい生温かかった。
その声は、姉である私の身体と心を奮い立たせるような叫び声に聴こえる。
そうだ、今は母の事が一番で、それ以外の幸せは後からでいい。優先順位としては、母の幸せを一番に推し進めていく。今、決めた。家族の必須事項だ。全員で悩んで、泣いて、共有する。その為だけに、家族会議だってやりたい。母の幸せは、家族の幸せ。必ず最後には笑えますように。私は蒼穹(そら)に見える滲んだ雲を見つめた。煌々と輝いていた満月は力を失ったように、少しずつ翳んでいた。私は、その様子をずっと一人で見ていた。
「お姉ちゃん。母ちゃんもう寝てたよ」
メイは小音量ながら、嬉々としていた。
母がいると、またメイとの会話を聞かれては困る。聴き耳を立てていたのかもしれないが、ようやく諦めたように寝たか。時計は深夜三時を回ろうとしていた。
どうやって、御坊さんを呼びだそうか。連絡先すら知らないのに。いや、連絡先なんか知らなくても何とかなる。父が亡くなって六年間、何とか生きてきたように、きっと大丈夫だと思い直す。
しばらくするとメイのいびきが聞こえてきた。母と同様、鈍く聞き苦しかった。一階から聞こえる母のいびきと、メイのいびきとが何の生産性も無く重なる様はあまりにも無駄過ぎた。
『夏彩の別れ(なついろのわかれ)』
【第5話完】
【第6話に続く】⇩
