ライオンハートを君に 第1話
あらすじ
愛を奪った少女が恋をして、愛を知るまでの物語。
そこは、愛が奪われた世界。「好き」と「愛してる」その言葉に反応して、言った人間にナイフが突き刺さる。それがリップの力、ジャッジメントシルバーだった。彼女のように妖精から力を授かった者のことを、ギャラクシアンと呼ぶ。
愛を奪ったリップは世界中から命を狙われていた。ある日彼女は世界征服を目指す少年ヨヒナに助けられ、仲間に誘われる。ヨヒナは言った。世界を書き換える力「ライオンハート」を見つけて、一緒に生きようと。リップはその手を掴めない。だけど、彼女の心臓は、うるさかった。
世界設定
舞台 未来の日本“サンライト王国”
一度滅んだ後の日本。文化水準は西暦2000年頃まで回復しているが、銃などの近代兵器は廃止。軍の武器は刀を使用している。
妖精の恩返しという現象により、様々な願いを持った能力者が出現している。
旧日本時代に移民を受け入れた影響で、珍しい名前の者たちが暮らしている。
主人公 リップ・アレキサンドライト
愛を奪った史上最悪の犯罪者。能力・ジャッジメントシルバー。口も悪いし、性格も悪い。顔にバツ印の傷がある。
ヨヒナと出会い、燃えるような恋をして、強さを手に入れる。
本編
プロローグ
上空数千メートル。空と宇宙の間に、裸の少女が立っていた。純白の翼を羽ばたかせ、この星を、世界を睨みつけている。エメラルドグリーンの瞳に、燃えるような赤い髪は、彼女の名前のように美しかった。
リップ・アレキサンドライト。それが彼女の名だ。リップは前に伸ばした両手を合わせ、指先で銃の形を作っている。彼女のお気に入りだった襟付きのワンピースは、力の発現と共に消えた。そのしなやかな肢体は、おびただしい量の血で染まり、今も地上に向かって鮮血が滴り落ちている。当然だ。数刻前の戦いで、彼女は数万もの人間を殺めている。そして更に、この星の首元に、銃口を向けているのだ。
リップの指先に、とてつもないエネルギーが集まっていく。やがてそれは、小さな太陽となり、彼女が引き金を引けば、地球を貫くだろう。悔やむべきは、人か、それとも神か。否。リップの逆鱗に触れたのは、世界そのものだ。誰かより、少しだけ違って、少しだけ劣って、そのせいで勇気が足りなくて、独りぼっちになった彼女が、ようやく差し出したその手を、世界は拒んだのだ。リップはそれを許さない。
一滴。空に向かって滴が落ちた。さらにもう一滴。続いて何滴も、降り注いだ。やがてそれは、雨のように地上に届き、大切な人に届くだろう。極限で、彼女は泣いた。一年前の、何もできなかった少女はもういない。自分を否定した世界を壊したくて、でもできなくて、消えかけた灯。救ってくれたのは一人の少年だった。彼の温もりは、少女に翼を与えた。たった一年で、灯は業火へと姿を変えた。
その涙は、誰が為に。その弾丸は、誰が為に。これは、運命に抗ったふたりの、進化と革命の物語。
第1話 ブラックホールの君
教えてみろよ。
愛とかいうやつに、色とか形とか匂いとか、そういうのがあるなら教えてみろよ。
知らないなら私に関わるな。近寄るな。殺そうとするな。そんな権利、お前らなんかにはない。町を飛び出し、山を越え、命からがら砂漠まで逃げてきたのに、三人の男が私を取り囲んでいた。三人ともが腰に刀を差した、この国の犬だ。
「まさか子供だったとはな」と誰かが言った。子供じゃない。私はもうすぐ十六になる。
「悪いけど、君には死んでもらう」と別の誰かが言った。
嘘をつけ。悪気なんてないくせに。大義のためなら鬼にだってなるくせに。
「君は人々から、一番大切なものを奪った」と最後の一人が言った。
ふざけるな。私が無くしてあげたんだ。そんな、くだらない言葉を。くだらない気持ちを。
三人は同時に刀を抜いて、切先を私に向けた。光る刀身に自分が写って、私は顔を背けた。
悔しかった。こんなところで、名前も知らない奴らに切り刻まれて死ぬ。仲間がいて、正義まであって、ちゃんと生きてる奴らに切り刻まれて死ぬ。そんなのは耐えられない。
こいつらは、私の首を持って王のところへ帰るだろう。そうしたら、莫大な報酬と、名誉を手に入れる。国民共は涙を流して喜ぶ。そしてこいつらは私を殺したその手で、今日も明日も明後日も、おいしいご飯を食べて、家族と笑って生きていくんだ。
それを考えると、お腹が熱くなって、むかつきが止まらなかった。死ぬのなんかちっとも怖くない。生きたいなんて思わない。思わないけど……私だけ、死ぬのは違う。みんなも死ねよ。お願いだから。死んでくれ。
「何もない砂漠になど逃げ込んだのが運の尽きだ。言い残す言葉はあるか?」と一人が言った。
興味本位か同情か、遺言を聞かれ、私は思わず笑った。そして言った。
「いらない。お前らなんか、みんないらない」
私の言葉に三人は、憐れむような、蔑むような眼で答え、刀を振りかぶった。
そのときだった。一陣の風が吹き、何だか懐かしい匂いと、暖かい空気が私を包んだ。そして、金属音が響いた。
「何者だ!」男たちが慌てた声を出す。
気が付くと、明るい瞳が目の前にあって、私はそれと睨みあった。鼻が触れそうなぐらい近くに、黒髪の男がいて、私は思わず尻餅をついた。よく見ると、男はまだ若そうで、幼さが残る顔をしている。それなのに、たった一人で、三人の刀を受け止めていた。
「お前。リップで合ってるか?」
不意に名前を呼ばれ、思わず頷きそうになったが、寸前で踏みとどまった。知らない男に名乗りたくなんてない。
「あんた誰?」
「誰って、そりゃあ――」
「貴様! 何者だ!」私たちが話している間に、三人の男たちは一定の距離をとり、刀を突きだすように威嚇していた。
「うるせーよ」
少年は、物凄く怖い顔で、男たちを順番に睨みつけた。そして、私を庇うように立ちはだかった。
その背中から、声が聞こえた。
「離れんなよ」と。
今にして思うと、それが始まりだったのかもしれない。彼の声を聴いて私は、えらそーにと思った。思ったあと、少し揺れた。優しさが詰まったようなその声は、どこかあどけなさが残っていて、なんというか……そう“未来”を感じて、私は揺れてしまったのだった。
この出会いが、世界の運命に罅を入れたなんて、知りもせずに。
*
リップ・アレキサンドライト。
私は、自分の名前が嫌いだった。「リップ」と呼ばれた時の、甘ったるい感じが許せなかったし、呼ばれていいことがあった試しがないからだ。
私は所謂“妾の子”だった。しかもこの国の王の子供だ。王にはたくさんの子供がいたけど、私が一番年下で、序列も低かった。子供たちは全員が次期国王や王女を目指す競争相手で、蹴落とすべき相手だった。王もそれを望んでいたから、ののしり合い、虐め合い、傷つけあった。そんな兄姉たちが私は怖くて仕方なかった。明日殺されてもおかしくない。本気でそう感じて、怯えた毎日を過ごしていた。私の味方は、母親だけだった。
お母さんは、臆病で泣き虫な私を、いつも抱きしめてくれた。大嫌いな名前だけど、お母さんの「リップ」と呼ぶ声は、何故か心地よくて、安心して眠ることができた。
だけどお母さんが三年前に死んで、私を守るものはいなくなった。虫けら扱いする兄姉、私を出世の道具にしたい家臣。助平な執事。耐えられるわけないじゃない。だんだん私は、人を遠ざけて、引きこもるようになった。そして、あの事件があって、城を追われた。
それからは、ずっと一人で、逃げて逃げて生きてきた。
だから、お母さん以外の誰かと二人でご飯を食べるなんて、人生で初めてだった。
三人の男をあっという間に気絶させた少年は、私をおぶって(何度も降ろせと言ったし、背中も頭も叩き続けた)、意気揚々と歩き出し、これまたあっという間に町に着くと、路地の奥まったところにある、ボロボロのアパートに私を連れ込んだ。
彼は、キッチンとリビングが一緒になった部屋の、ダイニングテーブルに私を座らせると、一生懸命にご飯を作り始めていた。後ろから観察する分には、料理が得意なわけではないらしい。それでも、小一時間経つと、ちょっと焦げ付いた肉じゃがと、繋がったままのきゅうりの漬物、味が薄そうなもやしの味噌汁がテーブルに並んでいた。
彼は、二人分のご飯をよそうと、向かい合って手を合わせた。
「ほんじゃ。いただきます」とだけ言うと、夢中で食べ始めた。私はその様子を、注意深く凝視する。少し癖のある黒髪に、整った鼻筋、明るい茶色をした切れ長の目は、パッと見女みたいな顔だった。だけど、背はけっこう高くて、ちょっと筋肉質で、子供みたいにご飯を食べるところは、やっぱり男だった。
なんというか……モテそうな奴だと思った。まだお城に住んでいたとき、お世話係の女の子たちが、騒いでいたのを思い出した。幼かった私には理解できなかったけど、雑誌の表紙を飾っていた芸能人がこんな顔をしていた気がする。
でも、さっきまで着けていたエプロンが、くまさん模様なのはどうかと思う。そんなことを考えていると、彼はあっと言う間に自分の分を平らげてしまった。
「おい」と呼ばれる。
「何よ」
「食わないのか?」
不思議そうな顔で私を見つめる。なんか顔に「うまいのに」と書いてある気がした。
「いらない」と言った。
「焦げは食わなくていいぞ」
「そうじゃなくて」
「何だよ。嫌いなもんでもあったか」
「私さ。素性も知らない奴と、ご飯なんて食べられない」
言ってやった。
「家には着いて来たのに?」
「あんたが無理やり連れてきたんじゃない!」
思わず机を叩く。だけど、彼は眉一つ動かさないで、私を見つめる。今度は「そんなに怒らなくていいじゃん」と顔に書いてある気がする。
しばらく睨み合いが続いたが、彼の方が先に折れた。両手をあげて降参のポーズをした。
「冗談だよ。悪かった。実を言うと俺、自分の名前が好きじゃないんだ。だから黙ってたんだけど……」彼は一人で「そうだよな。言わないわけにはいかないよな」なんてブツブツ言った後、私の前に手を差し出した。
「俺はヨヒナ。ツバキ・ヨヒナ。よろしく」
ヨヒナ……。
「変な名前」
私がそう言うと、ヨヒナはぷっと吹き出した。
「前にも同じこと言われたよ」
「前?」
「ああ。すっげー前なんだけど」
ヨヒナは「すっげー」のところで眼を輝かせると、今度は嬉しそうな顔で、昔のことを話し始めた。さっきから思っていたけどこいつは、感情が全部顔に出てしまうタイプらしい。話していると、コロコロと表情が変わる。
「ちょっと待った!」
遮って、私は言う。
「私別に、あんたの昔話なんて興味ないのよ」
「え! そうなのか?」と今度は驚いた顔をする。
「逆になんで興味あると思ってるのよ」
「そりゃあお前、これから一緒に戦っていくんだから――」
「お前呼ばわりしないで!」
私がまたしても遮ると、怯えた猫みたいに首をすくめた。そんでもっていじけたようにそっぽを向いた。全く、本当に変な奴だ。だけどこいつ今おかしなことを言った気がする。
「あんた今、戦うって言った?」
「ああ」
戦うって戦争とか決闘とかの、あの戦うなのだろうか。いや、人によっては勉強とか運動とか商売とかの競争を戦いだとか言うこともあるし、解釈が違うのかもしれない。
一応「何と戦うの?」と聞いてみたら、そこでヨヒナは待ってましたとばかりに、不敵に笑った。そして、人差し指を一本、顔の前に立てた。
上を見ろってことなのかと思って天井を見上げたら、ボロくて穴が空いていた。
「違う違う!」
そう言って今度は指を下に向けた。今度はボロいテーブルにボロい床。次は指を左右に振ったから、ボロい壁とボロい窓。くまさん模様のカーテンがなんか気持ち悪い。そこまでしても、何も分からない私に呆れたのか、ヨヒナは立ち上がって私の目の前にやってきた。
「何よ? いったい何が言いたいわけ?」
改めて見上げるヨヒナは背が高くて、何故だかドキドキしてしまう。
「いいかリップ。俺たちの敵は、この世界だ」
ヨヒナがその手を差し出して、自信満々に言った。
「一緒に、世界征服しようぜ!」
せ・か・い・せ・い・ふ・く!?
ヨヒナの声が頭の中で、何度も繰り返される。
「い、意味わかんない」
掴み返されない右手を投げ出したまま、ヨヒナが私を待っている。
「世界征服なんて、バカじゃないの? 子供みたい。だいたいそれは、悪役が言うセリフだし」
「悪役だろ? “俺たち”」
ヨヒナがポケットからくしゃくしゃの紙を取り出して広げた。それは、私の手配書だった。
“ブラックホール”リップ DEAD OR ALIVE
「愛を奪った史上最悪の犯罪者。この女と関わった人間は皆、一人の例外もなく、不幸になる。決して近づいてはならない。夢も希望も、人の持つ光が全て、闇に吸い込まれてしまう」
ご丁寧に読み上げたヨヒナは、手配書をびりびりに破いた。
「ブラックホールか。上等じゃねぇか。お前がいるだけで、不幸になるつーなら、お前は生き続けろ。それだけで、世界はバキバキに壊れてく。それを俺が叩き割ってやる!」
「お前お前言うな!」
今度は私が遮っても、ヨヒナは真っすぐに私を見つめていた。その顔に「できる」って書いてある気がした。
訳わかんない。こいつは何を言っているんだろう。世界征服? そんなこと、できるわけないのに。だけど、もっと解らないのは、さっきから、うるさくなってる私の心臓だ。何だよこの音。息もしづらいし、気持ち悪い。何だよ。何だよ。何なんだよ。
気が付くとパニックになった私は、冷めてしまった味噌汁をヨヒナに向かってかけていた。状況が飲み込めず困った顔のヨヒナに「ばーか」と思って、私は部屋を出て走り出した。
変な奴。変な私。止まれ。止まるな? 私の心臓。
*
そこは、食堂とは名ばかりの八畳程度の部屋だった。そのテーブルの隅で、私は手を合わせている。私の他にも、高校生から小学生ぐらいの子供が食卓を囲んでいる。
ヨヒナのアパートを飛び出した私は、マリアという小太りのおばさんに連れられて、児童養護施設に来ていた。一目で孤児だと解ったらしく、それはもう強引に連れてこられた。
街の外れにある施設は、結構年季が入っていた。施設の名前は『ナイト』と言って、建物の外と中に大きな旗が掲げられていた。謎の模様めいたそれは、よく見ると、女の人が泣いているようで、もっと明るい絵にすればいいのにと思った。
「食べないの?」と隣の席の子供が言った。ヨヒナにも同じことを言われたことを思い出した。なんの因果か、ここの夕飯も肉じゃがだった。
「今日はじゃがいもが安かったの」とマリアが言った。
ということはヨヒナも、食材を買いにスーパーに行ったのかな。などと考えて私は首をふった。あいつのことを考えるのは止めよう。もう会うこともないんだし。
「ユウキ。人参残しちゃダメよ」とマリアが言った。先程から配膳をしたり小さな子の面倒を見たりと忙しく動きまわっている。隣の子はユウキというらしい。小学校の三年生ぐらいだろうか。坊主頭に日に焼けた皮膚はいかにもやんちゃそうな見た目だが、半袖の隙間から見える色白の肌や、明るい瞳は……何でだろう、どこかヨヒナに似ている気がした。ユウキはさっきから、フォークの先に刺さった人参を、じいっと眺めている。マリアが見ていない隙に、私はそれをぱくりと食べてやった。「内緒よ」と言うとユウキは嬉しそうに笑った。
「お姉ちゃんもマリアに連れて来られたの?」
「そうよ」
一つ食べてしまったし、私は自分の分の肉じゃがを口に入れる。
「良かったね」
「何が?」
「だってお家より、マリアといる方がずっと楽しい」
「ふーん」
ということは、えくぼを見せてあどけなく笑うこいつも、家では辛いことがあったのだ。まあ、児童養護施設にいるということはそういうことなのだろう。マリアみたいなおばさんでも、優しくしてくれる、それだけで天使みたいに思えるのかもしれない。
「ぼくね。大きくなったらマリアと結婚するんだ」
さすがにむせてしまった。置いてあった水を流し込む。
「本気で言ってるの?」
「マジに決まってんじゃん」
「あれのどこがいいの?」
そういう問題ですらない気がするが、聞かずにはいられなかった。
「どこって……全部だよ」
一丁前に照れているところをみると、どうやら本気のようだった。
「明日女神様にお願いしに行くんだ」なんて言って、足をぶらぶらさせているユウキが、私は怖かった。愛とかいうやつは、こんなところにも芽生えるのかと、恐ろしくなったのだ。肉じゃがを食べるのが、フォークで良かったと思った。もし箸だったら、じゃがいもを掴むことができなかったと思う。こんな震える手では掴めっこない。私は、自分の犯した罪の大きさに、心の底から、震えてしまっていた。
*
事件が起こったのは、翌日の夕方だった。私はマリアに言われて、栄養士のおばさん、ラリーと一緒に、夕飯の準備をしていた。大量のじゃがいもと人参の皮を剥きながら、ここでは毎日肉じゃがなのかな、それともシチューかな、などと考えていた。そんなときだった。マリアの大声が響き渡った。なんだろう。と不思議に思っていると、息を切らしたマリアが現れた。
「ここにもいない!」
「どうしたの?」とラリーが聞いた。
「ユウキがいないの!」
「かくれんぼでもしてるんじゃないの?」と私は言った。小学生なんて大人を困らせて楽しむ生き物だ。
「それはないわ」
「どうして?」
「かくれんぼは独りじゃできないからよ」
その言葉から推測するに、ユウキは友達がいないのかもしれない。そのとき私は、昨日ユウキが女神様にお願いすると言っていたことを思い出して、二人に告げた。
「女神様!」とマリアが口を震わせる。
「落ち着いてマリア」とラリーがなだめる。
「落ち着いてなんていられないわ!」
マリアは顔を真っ赤にして、拳を作っている。
「“願い泥棒”がでる」
「そんなの噂よ」とラリーが言い終わる前に、マリアは飛び出して行った。
「願い泥棒?」と私はラリーに聞いた。
「巷で話題の泥棒さ」と私が剥いた野菜を、手際よく切りながら、答えてくれた。
「丘の上にね。海が見える展望台があって、そこに女神様の像があるんだ。ここらでは願い事があると、女神さまにお祈りをする習慣があるのさ」
トントンと、リズム良くまな板を叩く音がする。
「お祈りをするからにはお供えやお金を持っていくだろ。それを狙う罰当たりな泥棒が“願い泥棒”なんて呼ばれてんのさ」
「ふーん」
確かに物騒な話だけど、マリアのあの慌てようは何だか大袈裟な気がした。そんな私の心を察してか、ラリーは続けた。
「お金だけならまだいいんだけどね……」
「それだけじゃないの?」
包丁の音が止まって、ラリーが私の顔を見る。
「“命も”盗んじまうらしいのさ」
*
展望台は丘の上にあった。丘といっても木々が生い茂った山みたいなもので、たどり着くのに随分時間がかかってしまった。展望台に通じている道は、舗装はされていたものの、くねくねと曲がっていたり、下ったり登ったりしていて、途中で帰ろうと、何度も考えた。だけど、草木が揺れる音や、潮風の匂いが、不穏な雰囲気を作っていて、何かに誘われるように私は歩いて来た。
「おい」と肩を掴まれ、私は飛び跳ねた。慌てて振り向くと、そこにはヨヒナが立っていた。走って来たのか肩で息をしている。
「あんた、何してるの?」
「ユ……ユウキはどこだ?」
ヨヒナは落ち着きがなく、焦った顔で周囲を見渡していた。
「どうしてここに?」
「俺のことはいい。ユウキは――」とヨヒナが言ったとき、誰かの絶叫が丘にこだました。マリアの声に似ている気がすると、私が思った時には、ヨヒナは走り出していた。私も、その背中を追う。展望台の中には階段があって、ヨヒナはそれを飛ばし飛ばしで駆け上っていく。全身がバネみたいで、あっという間に、私の視界からいなくなった。私を助けてくれたときもそうだったけど、すごい身体能力だった。上まで登ると、そこにはやっぱりマリアがいた。その後ろにヨヒナがいて、反対側には知らない男が立っていた。男は右手に刀を持ち、左手にユウキを抱えていた。
こいつが願い泥棒なんだろうか。白髪交じりのぼさぼさの髪に、伸び放題の髭、死んだような眼。ボロボロのつなぎは、絵に描いたような浮浪者だった。ただ、刀を持っていることだけが、違和感があった。この国では、軍の人間しか、所持が認められていないからだ。
「やめておくれよ!」とマリアが懇願するように言った。
「こ、こいつが悪いんだ」と男が喚く。
「俺は何も悪くない。たまたま小銭を拾って、そ、そしたらこいつがダメだとか言うからそれで」男は呼吸が荒く、相当動揺しているようだった。
「ならいいじゃないか。何もしてないならその子を離しておくれよ」
「うるさい! その目で俺を見るな!」
「どいつもこいつもバカにしやがって」と男が消え入るように言った。
そのとき、ヨヒナがすっと、前に歩み出た。後ろ手に何か持っているようだ。一枚のトランプのように見えた。
「な、なんだお前は!」
うろたえる男が刀の切先をユウキに向けて、マリアが「ひっ」と息をのんだ。
「今助けるからな」とヨヒナが優しく語り掛けて、歩み寄ると「く、来るな!」と男がユウキの首元にピタリと刀をつけた。
「おい。ユウキを傷つけたら、死ぬだけじゃ済まさねーぞ」
そのとき、マリアがヨヒナの頭を殴った。
「痛ってーな! 何すんだ!」
ヨヒナは振り返って、目に涙を浮かべている。
「あんたこそ! 余計な挑発するんじゃないよ!」
「何だよ。だいたいな。ユウキは寂しがりなんだから、もっとちゃんとみといてくれよ」
「元はと言えばあんたが、できもしない世界征服なんて言い出したからでしょうが!」
「できるって言ってんだろうが!」
何? この二人、知り合いだったの?
でも、わざわざ子供に刀を向けている奴がいるときに、喧嘩しなくたっていいじゃない。今、男が切りかかったらどうするのよ。なんて考えたときだった。
「どいつもこいつもバカにしやがって!」
案の定、男がヨヒナに向かって刀を振り下ろした。またしてもマリアが息を飲み、私も思わず目を瞑った。だけど、ヨヒナの叫び声や血が飛ぶような音はしなくて、私はゆっくりと目を開けた。開けて、驚いた。なんとヨヒナは、素手で刀を受け止めていた。刀身を、五本の指で挟むようにしてしっかりと掴んでいる。男は、信じられないものを見て、目を丸くしている。
「うるせーよ」と、ヨヒナの回し蹴りが男の頭を捉え、男は吹き飛んだ。
その拍子に、ユウキが空中に投げ出され、マリアが悲鳴をあげた。展望台の下までは数十メートルはある。このままでは助からない。ヨヒナはちっと舌打ちをすると、迷いなく柵を飛び越えた。そのときだった。空中でヨヒナが何か呟いたと同時に、眩い光が辺りを包んだ。突然の光に、私とマリアは顔を伏せた。
数秒後、私が柵から身を乗り出して下を見ると、そこにはユウキもヨヒナもいなかった。二人が死んだと思ったマリアは「どうかお助け下さい」と、ひたすらに神への祈りを口に出している。おかしい。死んだとしても、死体がないし、それにあの光は、いったい何だったのだろう。昨日からいろんなことが起こりすぎて、私の頭は、おかしくなってしまったのだろうか。放心状態で、柵に掴まっていると「おい」と声が聞こえて、マリアも身を乗り出した。だけど、やっぱり誰もいない。
「こっちだ」と何故か上から聞こえた気がして、顔をあげると、私は唖然とした。ヨヒナが、空を飛んでいた。背中から、真っ黒な翼を生やして。腕にはユウキを抱えている。ユウキは嬉しそうに目を輝かせている。「ああ。そうか」とマリアが言った。
「あんたは神が遣わせた天使様だったんだね」
*
さわさわと葉擦れの音をたてる木々に不穏さを感じなくなったのは何故だろう。マリアとユウキがいるから? それとも、コソ泥が捕まって、危険が去ったから? たぶん、認めたくはないけど、ヨヒナがいるからかもしれない。今は四人で、丘を下っている。私とヨヒナが前を歩き、ユウキとマリアが手を繋いで後ろを歩いている。何でも、マリアはまだヨヒナに怒っているらしい。助けてもらったし、一瞬天使かと思ったけど、それとこれとは別らしい。そもそもどんな関係なのか解らないけど、何かかわいそうだから、私が隣を歩いてあげている。
ユウキとマリアが、楽しそうにしりとりなんか始めたのを見て、私はヨヒナに聞いてみた。そっと、小さな声で。
「ねぇ。さっきの何?」
「さっきの?」
「翼」
「ああ。翼だよ」
「それは見ればわかる」
そう、ただの人間ではないことは解った。
「その、もしかして、あんた」
正確には“あんたも”。
「ああ」とヨヒナは言った。
やっぱりそうだった。私は、私以外のそういう人間に初めて出会った。
「その、どうして?」
「どうして?」とヨヒナが繰り返す。意味が通じていない。
「どうして“願い事”をしたかってことか?」
私はこくりと頷く。
「理由か。そうだな。たぶんムカついてたんだ。何もかもに」
一緒だ。私とまるっきり一緒だ。もしかすると、こいつなら、知っているかもしれない。この呪いを解く方法を。この苦しみから抜け出す方法を。聞け。聞け。聞くんだ。
口を開きかけたそのときだった。どさりと何かが倒れる音がして、ヨヒナが振り向く。その目が見開かれるのを見て、私は凍り付いた。
ああ、やってしまった。やってしまった。恐る恐る振り返ると、マリアが死んでいた。やってしまった。やってしまった。また、やってしまった。
人は人を愛してはいけない。それが、私の創ったルール。
