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行事は誰のためにあるのか

人手不足・疲労・プレッシャーの中で、保育園が向き合うべき問い
保育園では、運動会、発表会、制作展、園外保育(遠足)など、さまざまな行事が行われている。

それらは「子どもの成長のため」「思い出づくりのため」「園の魅力を伝えるため」と説明されることが多い。
確かに、行事そのものが悪いわけではない。
子どもがいつもと違う経験をし、達成感を味わい、保護者と喜びを共有する。

それ自体は、保育の中で大切な一面だ。
しかし、
行事が増えすぎていないだろうか。
その準備のために、日々の保育が削られていないだろうか。


行事が増えるほど、何が減っていくのか

行事は「当日」だけで終わらない。
練習、制作、打ち合わせ、計画書、確認事項。
それらは数週間、時には1か月以上、日常の保育に影響を与えてしまうこともある。

回数の多い園外保育、年に数回の発表会的行事。
一つ一つは短時間でも、重なれば保育の軸そのものが少しずつ行事寄りに傾いていく。

  • 外で自由に遊ぶ時間

  • 室内で過ごす時間

  • 子どもの「今日はこれがしたい」に合わせる余白

それらが、知らないうちに削られているように思える。
問題は内容ではない。
ダンスか劇か、制作のテーマは何か、という話ではない。
「量」と「重なり」が、保育の主体をすり替えてしまうことになり得る。


人手不足という、見過ごせない現実

多くの保育現場は、慢性的な人手不足の中にある。
必要な人数ギリギリ、あるいは足りない状態で、日々を回している園も少なくない。
そこに行事が加わるとどうなるか。

  • 行事準備に追われる

  • 書類や確認が増える

  • 気持ちが「成功させなければ」に向く

結果として、子どもを見る目が分散する。
これは努力不足ではなく、構造の問題だ。


疲労が積み重なると、保育は変質する

人は疲れると、どうしても余裕がなくなる。
これは保育者に限った話ではない。

  • 声が強くなる

  • 急がせる言葉が増える

  • 「待つ」ことが難しくなる

誰かが悪いのではない。
疲労が続く環境そのものが、人をそうさせてしまう。

行事が続く期間、保育者は「通常業務+α」を抱え続ける。
その疲労が、子どもとの関わりに影響してしまうことはないだろうか。


プレッシャーは、静かに現場を締めつける

行事には、見えないプレッシャーがある。

  • 失敗

  • 保護者の目

  • 評価

この空気は、現場全体に広がる。
「子どものペース」より「予定通り」を優先せざるを得なくなる。

本来は成長のための行事が、
いつの間にか大人が成功させるための行事に近づいてしまう瞬間がある。


問題は「行事をなくすこと」ではない

ここで誤解してはいけない。
行事をすべてやめるべきだ、という話ではない。

大切なのは、
行事とどう向き合うか
どの位置に置くか
という視点だ。

  • 行事の数は、現場の体力に合っているか

  • 行事が重なる月に、無理をさせていないか

  • 日常の保育が主役のまま保たれているか

行事は「日常を支えるもの」であって、
「日常を押しのけるもの」になってはいけない。


現場を知らずに決めていないか

もう一つ、見過ごせない問いがある。
行事の頻度や内容を決めている人たちは、
今の保育現場の状態をどれだけ知っているだろうか。

  • 人手が足りない現実

  • 疲労が蓄積している状態

  • プレッシャーの中で保育をしている日常

「守るのは当然」「プロなのだからできるはず」
その前提が、現場を追い詰めていないだろうか。

そこを理解しないまま作られた“行事”は、
現場にとって負担になることがある。


行事を見直すことは、保育を守ること

子どもは、行事のない日にも確実に育っている。
目立たなくても、拍手がなくても、日々の中で力を伸ばしている。
だからこそ。

  • 行事は、子どもの育ちを支えているか

  • それとも、現場を削りながら成り立っていないか

行事を減らすかどうかではない。
行事の量と向き合い方を、現場の現実から考え直すこと。
それは、保育を弱くする選択ではない。
むしろ、安心と安全を守り続けるための、強い選択なのではないだろうか。


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