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緑の静寂

今日は、かなり昔の事を思い出しています。
深い森と苔に覆われた静寂な朝。
1985年の大惨事を知らずにいた朝、
そこから定年という人生の転機を迎えての心情を、 恥ずかしいけれど、
詩的なエッセイの続きにしてみました。


その場所は、時間の流れを拒むかのように、
苔蒸した原始の森に抱かれていた。
「白駒の池」。 湖と呼ぶにはどこか慎ましく、
池と呼ぶにはあまりに深いその水面は、 標高二千メートルの静寂の中で、
今もひっそりと息を潜めている。

麦草峠からの原生林に分け入ると、世界はにわかに色を失い、
太古の緑に塗り替えられていく。
足元を覆う苔の絨毯が、登山客たちの足音を静かに吸い込んでいた。
だが、この深い静寂の中に立ち尽くしていると、 どうしても思い出さずにはいられない「夏」がある。

僕は、そこにいた。1985年、日本中が凍りついたあの夏に。
白駒池 青苔荘のキャンプ場にテントを持ち込み、
外界の喧騒から切り離されたその場所で、
僕は何も知らずに、ただ独りの静寂を楽しんでいた。

夜が深まれば、森はどこまでも深く、暗い。
やがてオリオンが東の空から登り、星々がゆっくりと天頂を巡っていく。

その空の向こう、わずか三十キロメートル先の山並みで、
墜ちた翼が炎を上げ、絶望的な悲鳴が上がっていたことなど、露ほども思わずに。

やがて、空が白み始める。
東の空が明るくなるにつれ、
それまで息を潜めていた鳥たちが、示し合わせたように一斉に鳴き始めた。
朝を寿ぐように鳴く、生命の息吹。
その囀(さえず)りに包まれながら、僕は大自然の生命力に圧倒され、
生きていることの充足感の中にいたのだ。

あの日、あの瞬間。
同じ東の空を、地獄のような苦しみの中で見上げていた人々がいたことを、
僕は後になって知ることになる。

森は、あまりにも無垢で、無慈悲だった。
一斉に鳴く鳥の声も、清涼な朝の空気も、
すべてが何事もなかったかのように、 ただ生命の力強さを肯定していた。

あれから、何度も何度も夏が巡った。
定年という人生の転機を超え、
人生の「静寂」を再び意識するようになった今、
あの朝の鳥の声を、より鮮明に思い出す。

白駒の池のほとりで、記憶の中の見えない東の空へと視線を向ける。
かつて白馬が消えていったという伝説の池は、
あの夏の悲鳴も、その後の四十数年の歳月も、
すべてを等しくこの底深い緑の中に呑み込み、沈黙し続けている。

ただ、森が深い。

その残酷なまでの静けさと、
今も耳の奥に残るあの朝の鳥たちの声だけが、僕が触れられる唯一の現実だった。






緑のシリーズで書いてみました。
よろしければ、以前の記事も読んでやってください。





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