68.「存在価値があるか」は、どうでもよくなった私の変化
4月にこんなことがありましたが、先月、手術も無事に終わっています。
予定より少し遅めに退院し、現在は自宅でのんびりペースで過ごしています。
退院後も頻繁に通院する必要がありましたが、
そちらもようやく落ち着いてきて、
現在は術後の次の治療へ、そろそろ進めるかなという段階です。
今日は、今回の入院・手術を通してあらためて実感した私自身の変化について書きますね。
かつての私の考え方
「人の期待に応えられない私には存在価値がない」
という思い込みを持っていた私は、人に頼れない人でした。
人に頼ってはいけないし、人に迷惑や負担をかけてはいけないと、
強く思っていたんです。
ですから、人の手を借りることは、できる限り避けたいことだったのです。
そんな私のままだったら、入院や手術は、そうとう苦しいものになっていたかもしれません。
今の私
ところが、現在の私は違っていたんです。
「私には存在価値があるのか」なんて、もうどうでもよくなっています。
乳癌がわかったとき、私が認めたのは、「まだ死にたくない」「生きたい」という、とてもシンプルな本音でした。
だから、治療して元気になることを選びました。
そして治療を選んだら、自分一人ではどうにもならないことがたくさんありました。
私は医療従事者ではありませんから、医療の知識もたいしてありません。
自分で治療できるわけでもありませんから、お医者さんが頼りです。
ブラック・ジャックなら、自分で手術するんでしょうけど。
入院中は、思うように動かない患側の腕や、
ドレーンがなかなか取れなかったことなどもあり、
日常のことでも看護師さんの手を借りることばかりでした。
食事も掃除も、すべて病院のスタッフ頼み。
着替えの洗濯や家のことは夫頼み。
入院前の看護師さんの説明で、私の治療に関わる人は、間接的な関わりも含めてこれだけのスタッフがいます、と図を見ながら教えてもらいました。
もう具体的な人数は忘れてしまいましたが、その多さに驚いたことを覚えています。
以前の私なら、この状況に罪悪感を抱いたかもしれません。
手を借りる必要がある時にも、もしかしたらナースコールを躊躇したかもしれません。
でも今は、ただただありがたく、感謝しながら手を借りていました。
本音を認めて優先したから
私は生きたい。
そのために必要なことをする。
自分にできないことは、人に頼る。
私の行動の根底にあったのは、ただこれだけでした。
「自分の存在価値を証明すること」より、
「自分が生きたい」という本音を優先するようになったら、
結果として私は、
人に頼ることを自然に受け入れていました。
乳癌の治療を通して、そんな自分の変化に、あらためて気づいたのでした。
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