「いつかは敗北し、辞める時が来る。でもそれは今じゃない」ノンオー・ハマのインタビュー翻訳~ONE podcast #30より
11月16日のONEチャンピオンシップ日本大会、ONE173でロッタン・ジットムアンノンとのONEムエタイ世界フライ級王座決定戦に挑むノンオー・ハマが、9月29日のONE podcast#30に登場した。ONEチャンピオンシップの名物通訳&リングアナウンサーのフランク氏、レポーターのトンさんとの対談を、ここで紹介したい。所々は省略したり、意訳したところもあるが、おおむねの内容は網羅している。
↓ ↓ ONE podcast#32 のヌンスリン、ONE podcast#19のスリヤンレック、#18スアブラックの翻訳のリンク
🔴ノンオーが見た日本
ーー今日のゲストは、元ONEバンタム級ムエタイ王者で、現在はフライ級王者を狙う、ノンオー・ハマさんです。今日はノンオーさんにこれまでの現役生活について、11月の日本でのロッタン戦についてなど話を聞いていきたいです。
サワディーカップ。最初に日本での試合について聞きたいのですが、この試合が決まって興奮されていますか。
とても興奮しています。私はこれまで日本で4回試合をしていますが、ずいぶん前のこと。ロッタン戦は5回戦で、ONE世界王座もかかります。

ーー4回も! 日本はどうでしたか。好きになりましたか。
日本は清潔です。人間もしっかりしていて、外はほこりがありません。気候もいいですね。
🔴これまでのムエタイキャリアについて
ーーそれでは、ノンオーさんのムエタイ選手としての過去を振り返ってもらいましょうか。ONEを見ているファンはノンオーさんの昔を知らない人もいると思います。まずご出身からお聞きしたいです。
私はサコンナコン県の出身です。両親は農家をしていました。とても田舎です。家の向かいにムエタイジムがあったので通い出しました。当初はプロ選手になるなんて思ってもみなかったです。試合に出ると、イサーンの色んな県に行けるのが楽しかったです。10歳の頃です。

ーー最初のファイトマネーは幾らだったか覚えていますか。
最初は100バーツです。最初のファイトマネーはものを買わず、全ておばあちゃんにあげました。その頃は父母はバンコクに働きに出ていて、おばあちゃんとお姉さんと暮らしていました。デビュー戦は勝利して、なんだかんだ賞金が出て400バーツくらいになり、それを渡しました。そして、私がバンコクに出てきたのは14歳の時です。
ーー4年間、サコンナコンで戦っていて、どうですか。バンコクに出た時はもう強くなっていましたか。
いえいえ、田舎にはあまり強い対戦相手がいなかったから。当時体重は25キロしかありませんでしたね。イサーンの各県には試合に行ってて、それらの県の選手はお互いに知っていました。
ーーバンコクに出て、有名になり、5回戦の試合に出るようになってからの一番大きいファイトマネーは幾らでしたか。
サンティ―選手と戦って15万バーツを得た時です。シンダム、セーンチャイ、サッケーダオ、ペッブンチューンなどの有名選手と対戦する時も同じようなファイトマネーでした。
ーーどうして5回戦のムエタイ選手から、トレーナーに転身したのですか?
なぜなら、、その頃、もう同じような選手とばかり試合させられて飽きていました。シンダムとは12回もやりました。ウィチャイは6回、ペッブンチューンは8回、有名どころとは、みんな5‐6回対戦しました。対戦相手が行ったり来たりです。
🔴シンガポールでの生活
ちょうどその頃、先輩がシンガポールでトレーナーをしていて、私を推薦してくれました。電話で「興味ないか?月給も多いよ」と。
でも、英語もできなかったし、それまでトレーナーはやったことなかったで少し考えました。家族に相談したら、奥さんや、父母に聞いたら、お金が良いなら行ってこいと。それで決心しました。ONEに出るまで、シンガポールでは2年トレーナーをしました。
ーーノンオーさんは英語も上手ですよね。シンガポールに行った当初はどうでしたか。
とても難しかった。当初は全然喋れなくて、練習生が色々質問してきても答えられない。いつこの練習生は話が終わるの?と辛かった。でも頑張りましたよ。シンガポールの人たちは、私が英語が喋れなくてもゆっくり話してくれて、同僚のトレーナーたちも教えてくれて、慣れるのに1年くらい掛かりました。
ーームエタイを教えたことがないのに外国へ行って、英語も喋れず、大変ですね。どうやって教えました?
私が幸運なのは、同僚に同じタイ人トレーナーがいたから。彼に英語を教えてもらったり、助けてもらった。でも実際に教える時は、生徒とマンツーマンです。言葉がイマイチでも、身振り手振りで伝えた。
ーーシンガポールにいた頃に(ONEのCEOの)チャトリさんとよく会ってたんですよね。
そう、チャトリさんも同じジムで仕事をしていたのです。(Evolve MMAジム)当時のONEは、まだMMAしかなく、「ノンオー、MMAでONEに出ないか」と誘われました(笑)でも、MMAはちょっとムリです。もし、ムエタイならやりますよと答えた。7年間で2回ほど、MMAの練習をしたことがありますが、難しい!
ーーその2回ですが、本格的にMMAにチャレンジしようとしたのですか?
ジムでトレーナーの仕事をしていて、少しやることになったのですが、ディフェンスも難しい。色々攻撃を喰らって、痛くて、やっぱりダメだと。
🔴ONEチャンピオンシップに参戦
ーー最初にONEでムエタイができた時から、ノンオーさんは戦っているのですよね。初期のONEムエタイはどうでしたか。
初めてのONEでのムエタイの試合はフィリピンでした。※2018年4月のファビオ・ピンカ戦(3回判定勝ち) 向こうの格闘技の人気は絶大で、会場も1万人以上が入るところでやって興奮しました。フィリピンの人たちの応援も熱かった。それで、まだまだ続けたいと思ったのです。
ーーそれから何試合かして、チャンピオンになったのですね。7回も王座を防衛して、その頃はどうでしたか。
リングに上がって、誰とやっても全く負ける気がしなかったですよ。その頃は私のピークですね。いえいえ、まだ今もピークですよ(笑)

ーー正直に聞きますけど、ノンオーさんの年齢についてですが、歳でもう戦えない、ついていけないと思うことはありましたか。
それは、最初のONEのファイトで思いました。戦う前にもチャトリさんに、試しにこの1試合だけやります。まだ(自分なりに)いけそうであれば、続けます。と話しました。2年以上実戦のリングから離れていたし。※当時のノンオーは31歳
ーーそれから王座を7回も防衛するようになって、今は38歳ですか。何か長く続けるコツのようなものはありますか。
トレーニングで筋力は鍛えてキックなんかの威力も強くなっていると思う。酒も止めて、たばこも吸いません。食事も気を遣って、身体に良いものを摂取します。
ーー遊びにも行ったりしないのですか?
5ラウンドのムエタイに出てた頃(シンガポールに行く以前 )はいろいろ遊んだりしましたけど、今は奥さんも子供もいます。ONEは、色んな人が見ますし、おかしな試合をして子供を悲しませたりしたくありません。昔は中途半端な試合をしたこともありますよ。
ーー世界チャンピオンになるのと、それを防衛していくのでは防衛する方が難しいとよく言われます。ノンオーさんはどうですか。
やっぱり、防衛する方が大変です。チャンピオンベルトの重みというか、みんなベルトを奪いにくるわけですし。
ーーチャンピオンの座を失った時はどうでしたか。※2023年4月のジョナサン・ハガディー戦
あれは、早かった。初回のゴングを待たずに終わってしまいました。誰にも負けないと思っていたのですが、良いパンチを喰らいました。カムバックを決意し、すぐにジムに戻って、練習しました。
ーーその後、また負けが続いて、病気にもなってICUに入り、不運が続く大変な時期となりましたね。
家族の支えもあって、その時期を乗り越えることができました。
ーー病気は何だったのですか。
最初は、鳥インフルエンザのBタイプとかでした。100万人か600万人に1人かの重い症状で、病院のICUに4日間いました。助かるかどうか50%だとも言われた。
ーーどう思いました。
何も思いませんでした。疲れた、とだけ。スマホでONEは見ていました。
ーー色々悪いことが重なって、周りはもう歳だからとか言っていましたよね。SNSでのコメントも、批判的なものが多かった。
もう年寄りだ、若い選手には勝てない、もう駄目だろう、とか言われても、ジムできつい練習をして、もっと良くなろうと努めた。頑張りました。
ーー辞めたいとかは思いませんでした?
ありません。
🔴ノンオージュニアのONE参戦について
ーーもうノンオーさんが名前もあるし、トレーナーもできる。もうお金の為に戦わなくても良いと思います。何がノンオーさんをリングに向かわせますか。
第一に、子どもたちに、父が元気に戦っているところを見せたいのです。二つ目は自分自身の身体のため。今後も長い人生を家族と過ごしていきたいです。今は子供たちは別の県の学校に入って、勉強しています。
会場にはあんまり来れないけど、上の子は、私が戦うのがとても好きで、自分もムエタイを練習しています。私はそんなに教えられない。まだリングにはそんなに上がってないです。2回試合をしましたが、デビュー戦は蹴りをもらって痛くて泣きだしました。でも、いい戦いだった。

ーー子どもが大きくなったら、ONEのリングにあげたいとも聞きました。やっぱりONEが良いですか。
ONEは大きいイベントで、世界中の人が見て注目度が違います。息子のリングネームはノンオージュニアです。
ーー15歳になったらとか、何歳になったらノンオージュニアをONEのリングに上げたいと思いますか?
何歳からでも良いですよ。機会があれば。
ーーお子さんは自分の父が、ノンオーだと学校で自慢したりしないですか。
上の子はとても自慢しているようです。学校では、彼のほうが私より有名のようです。今、13歳になりました。
ーーさて、大きい大会も近づいてきています。時間をどのように配分していますか。試合に向けての練習、子どもや家族との時間など。
3人の子どもたちは今はウボンラチャタニーで祖母と暮らしています。ずっとジムで調整して試合に備えることができます。
🔴フライ級に転級、ロッタンの印象
ーー今年に入って階級をバンタム級から、フライ級に下げたわけですけど、どうですか。※ONEバンタム級=65.8キロ、ONEフライ級=61.2キロ
2年前に王座を失った際に、私のマネージャー(奥さん)が、バンタム級は私には、大きすぎるのではないかと。(対戦した)ハガディーもキアムラン(カムラン)も大きすぎる。フライ級に下げたほうが良いと勧められた。でも、私はムエタイは身体の大きさで戦うものではない。大事なのはIQ(戦略)だと最初は反対した。結局、階級を下げたのですが、スピードも増していて、フライ級のほうが合っているようです。
でも、フライ級の最初の試合は負けてしまいました。すぐにもう一試合やろうと決めました。コンディションも非常に良かったから。※2025年2月のゴントラニー戦(3回判定負け)そして、5月にゴントラニーとの再戦に勝利(3回判定勝ち)。
フライ級3試合目でタイトルマッチを組んでもらって、チャトリさんに感謝したい。
ーー空位の王座を争う(11‘月16日のONE日本大会)ことになるわけですが、対戦相手のロッタンについては、どうですか。よく知った仲ですよね。

もちろん、よく知っています。ロッタンが最初ONEに参戦した時、シンガポールで試合でした。私が仕事していたジムで調整し、彼をサポートすることになりました。それ以降はサッカーで一緒にプレイすることがありました。※チャリティイベントなどで、ムエタイ選手チームが試合することもある。

試合があっても、2人の仲は変わりません。
ーー2人はよく話しますか。メッセージのやり取りとか。
そんなにいつもはやり取りしません。でも、サッカーの時なんかはよく連絡しました。2人の試合が終わっても、また同じサッカーチームでプレイしますよ。
ーーロッタンはトップ選手で、並び立つ選手がいないと多くの人が思っています。ノンオーさんはどう思われますか。タイトルマッチを戦うにあたって、ロッタンの気を付けねばならないところなど。
彼は戦いのIQが高いです。どこでパンチを繰り出すか、蹴りを出すかなど的確に判断できる。
ーー試合は、5ラウンド最後まで戦い切りますか。
それは、分からないがやるべきことをやるだけです。ある人は私がもう年だ、もう戦うことができないと言います。でも私は毎朝早起きをしてジムに行きます。まだ戦うことを愛しています。身体の状態も良くて、若い選手と充分に戦えます。私はまだまだできます。休むことはしません。
ーー11月の試合に向けてはどうですか。
まだまだ準備中ですが、少しづつ仕上げていきますよ。
ーーロッタンがこの番組を見ているかもしれません。彼に何かコメントはありますか。
何を言いましょうかね。ロッタン!お前は良い選手だ!まあ、、ロッタンを好きな人はロッタンを応援して、ノンオーが好きな人はノンオーを応援して下さい。タイ人同士だ。
ーータイ人同士の戦い、私たちはそれぞれを応援したらイイですね。さて、ノンオーさん、あなたのマネージャーについてです。マネージャーは、今日ここに来ていますね。ちょっと呼んでみて良いですか。
🔴プーチャットガーン・ノンオー、奥さまの登場
ーーサワディーカップ。ノンオーさんのマネージャーとノンオーさんの奥さんとは、同じ人ですよね(笑)でも、ノンオーさんはマネージャー(タイでは管理職の意味合いが強い)と呼びます。ミャオさんでよろしかったですか。ミャオさんはノンオーさんと一緒に何年いますか。
14年です。
ーーミャオさんは、ノンオーさんの奥さんで、マネージャー、そしてオフィスノンオーの事務局長でもあります。ムエタイ選手の奥さんとしては、大変なことはありますか。
難しいことはありません。一緒にいて、もう長いですから、彼のことは全て理解しています。何をしないといけないかは彼は自分で分かっています。ONEに出るようになって、またチャンピオンになって有名にもなり、家族の生活への余裕もできました。

ーーミャオさんは、ノンオーさんの試合の際など、どうサポートされていますか。
食事を管理したり、また練習コースを確認したり、ONEチャンピオンシップとの連絡、Eメールの確認だったり、何でもやります。ノンオーの役目は朝起きてジムに行って、練習するだけ(笑)彼は何も考えなくていいのです。
ーーノンオーさんが病気された時に、とても献身的に介護されている姿をSNSで見ました。そして、退院されて、夫婦で出家されていましたよね。
病気の時ですが、世界王者から陥落して、その後、ムエタイを教えるツアーに2か月アメリカにも行きました。色々と疲れもあったのでしょうか。鳥インフルエンザを発症して、肺炎を併発し、とても症状が重くなりました。ICUに入って、もうさよならをしなくてはいけない。そんな状況になった。
ノンオーはムエタイ選手で、毎日ジムと家の往復だけ。遊びにも行けないし、3人の子供たちとの時間も十分にない。そんな人生で、もう行ってしまうのかと、可哀そうになった。もし、彼が助かったら、お寺に連れて行くと祈った。そして、幸運にもノンオーは助かったので二人一緒に出家したのです。

でも、病院にいた時は彼は寝ているだけです。私が症状について、全てお医者さんに知らされていて、どうしようか困りました。子どもたちノンオーが危険な状態にあることは言えないし。
ーー子どもたちはノンオーさんの状態を知らなかったのですか。
子どもたちは父が入院していることは知っていましたが、重篤であることは知りませんでした。私も言えないし、1人で抱えていました。
ーーノンオーさん、このような強い女性が側にいてくれてどう感じますか。14年間も一緒にいてくれました。
はい。彼女と一緒にいることで、本当に気分が良いです。仕事に行くのも、外国に行くのも、ずっと一緒に来てくれます。助かっています。
🔴SNSでの誹謗中傷について
ーー試合も大変ですが、試合後に色々と(SNSで)コメントされることもありますが、そのあたりはどう感じますか。
ONEルンピニーが始まって、見る人が多くなり、コメントも増えました。ざっと見ますけど、いいコメントもあれば酷いコメントもある。私たちは良いのですが、子どもや両親がコメントを見て反応することがある。父母から「なんであれだけ練習しているのに、こんなに言われるんだ」と聞かれたこともある。みんなノンオーがファイトの後、どれだけ疲れているか知りません。彼から去っていく人もいれば、すごく好きになって、寄り添ってくれる人もいます。でも、SNSのコメントは本人よりも周りが傷ついてしまいますね。

ーーノンオージュニアがコメントを見て、お二人に聞いてくることはありますか。
ジュニアは、一度、「どうしてお母さんはコメントを返さないの」と聞いてきたことがあります。大事なのは私たち家族であって、知らない人にフォーカスすべきではないと話しました。説明して分からない人は分からないでしょうし、相手にすべきではありません。ジュニアに言って聞かせるにも時間が掛かりました。
ーーSNSについて、多くの選手が、同じ問題で悩んでいます。
ジュニアにはSNSは見ても良いけど、気にすべきではないと話しました。好きになる人も嫌いになる人もいる。ジュニアもリングで戦い始めたら、同じようにコメントされるでしょう。
※ノンオー自身は全く気にならないとコメント(省略)
ーー夫婦でケンカしたりすることはありますか。
実際のところ、彼がお酒を止めてからはありません。昔、お酒を飲んでいた頃は、彼が飲みすぎた時にケンカしました。しかし、彼は禁酒して、しっかり練習しています。何年もお酒を飲まず、ケンカは全くありません。
ーーこの場で、何か横にいる女性にかける言葉はありませんか。ノンオーさん。
本当に感謝しています。家族の為に、私の為に動いて、全てやってくれます。私は彼女に、ちょっと運動したりして、健康になってほしい。私は彼女ともっと長く一緒にいたいから、自分の健康に気を遣ってください。仕事して疲れるだけではいけません。自分自身の面倒も見てください。
ーーミャオさんはノンオーさんに掛ける言葉はありますか。
いつも彼に言っているんですが、いつ戦ってもいいし、そのサポートはしますと。そして、疲れて、もうやらないならそれはそれでいいですと。一緒に暮らしていきましょう。
🔴ノンオーからのメッセージ
ーー最後にノンオーさん、ファンに向けてコメントをお願いします。
11月16日のONE日本大会、宜しくお願いします。ロッタンを応援してもノンオーを応援してもいいです。ムエタイファンの皆さんに言いたいですが、選手を温かく見守ってください。選手たちを誹謗してはいけません。日本大会に向けて、私は力を尽くしていきます。
そしてもうひとつ、どうしても言いたいことがあります。いつか、私も(プロ選手を)辞める時が来ます。いつかは、若い選手に負けるでしょう。いつかは、衰えてしまうでしょう。でも、それは今ではありません。

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