大條宗綱(大條家第八世)
通称:長三郎、左衛門、三郎左衛門
生誕:天正15年(1585年)
死没:元和3年(1617年)12月24日
諡名:心月院本室円公居士
父母:大條宗直(大條家第七世)、新田景綱の娘
兄弟:なし
妻:中島宗求の娘
子供:なし(大條宗頼を養子とする)
大條宗綱は、天正15年(1585年)、伊達郡大枝邑(現在の福島県伊達市)で、大條宗直の嫡男として誕生しました。
幼少期から家督を継承するまでの間に、大枝から大蔵、北目、蟻ヶ袋、長部へと度重なる転居を経験しています。
1. 家督相続と知行替えの推移
慶長15年(1610年)7月10日、父 大條宗直の没後を受け、26歳で大條家第八世として家督を相続いたしました。
その後、慶長18年(1613年)には磐井郡大原邑(現在の岩手県一関市)へ知行替えとなり、山吹城(大原城)を居城と定めています。

(一関市役所公式HPより転載)
慶長19年(1614年)7月11日、伊達政宗へ蝋燭を百挺献上し、その御礼として書状を賜りました。
御案文留
爰許為見廻、節々使者、殊為音信蝋燭百挺到来、
令祝着候、近日下向之儀候間、期永節候、恐々謹言
七月十一日
大条長三郎殿
ご機嫌伺い申し上げます。
こちらでは見回りを行っておりましたところ、各地から使者が参り、蝋燭100挺をお届けいただきました。
誠にありがたく拝受いたしました。
近く、仙台にご来訪される予定と伺っております。
その折には直々に御礼を申し上げたいと存じます。
お目にかかれる日を楽しみにしております。
謹んで申し上げます。
七月十一日
大條宗綱殿
現代の感覚からすると蝋燭(ろうそく)はどこか珍しい進物に思えますが、当時の歴史的背景を紐解いてみると、光を灯す貴重な高級品として非常にポピュラーな献上品であったようです。
そして、この献上からわずか数ヶ月後の同年11月、大條実頼は大坂冬の陣へと出陣していくこととなります。
この大坂冬の陣にて、従兄弟の大條元頼(着座大條家第二世)が亡くなってます。
その後、元和元年(1615年)の大坂夏の陣においても出陣を果たした大條宗綱でしたが、伊達軍の後発隊であったため、途上の駿河国(現在の静岡県)にて大坂城陥落の知らせを受け、そのまま帰国することとなりました。

(大阪城天守閣蔵)
2. 坂元拝領と252年の礎石
元和2年(1616年)9月、大條家は亘理郡坂元本郷(現在の宮城県山元町坂元)への知行替えを命じられました。
これにより大條家は、明治維新に至るまで実に250年以上にわたり本拠地とし続ける坂元の地を拝領することとなったのです。

(山元町公式HPより転載)
豊臣秀吉による奥州仕置以来、父 大條宗直の代から本拠地が定まらず転封を繰り返してきた大條家は、この時を境に蓑首城(坂元要害)へと居城を定め、以降252年にわたってこの地を治め続けることとなります。

⑥~⑦ 大條宗綱
Google Mapsより(一部加筆)
坂元は仙台藩領の最南端に位置し、長年の宿敵であった相馬氏(相馬中村藩)と境界を接する国境最前線の要衝でありました。
大條宗綱がこの重要地に配置された背景には、こうした極めて高い軍事的・政治的役割が大きく関わっていたと考えられます。
近隣には伊達成実を始祖とする亘理伊達家の城下(亘理)があり、さらに分家である着座大條家の丸森領(のちに尾山へ転封)とも隣接していました。
そして何より、この坂元の地は初代 大條宗行以来の先祖代々の本領である伊達郡大枝邑にもほど近く、度重なる転封の苦難を越えて、実に25年ぶりに大條本家が仙台藩領南部へ帰還を果たすこととなったのです。
3. 奉行就任と江戸での早すぎる急逝
大條宗綱はこの時期に仙台藩奉行(家老職)へと就任しています。
仙台藩奉行を務める叔父 大條実頼の強い後押しがあったことは想像に難くありませんが、大條宗綱自身も大坂冬の陣における戦陣で伊達政宗の目に留まるほどの目覚ましい功績をあげていたことが大きく影響していたと考えられます。
そして元和3年(1617年)12月2日、大條宗綱は伊達忠宗(のちの第二代仙台藩主)と将軍 徳川秀忠の養女 振姫との婚礼の儀に供奉するため、江戸へと向かいました。

(松平西福寺蔵)
しかし、その江戸への途上であった12月24日、
大條宗綱は江戸の地においてわずか33歳という若さで急逝してしまいました。
正確な死因は史料に残されていませんが、当時流行していたコレラであったとする説も語り継がれています。
嫡子のなかった大條宗綱の家督を継承することとなったのは、従弟にあたる大條宗頼(叔父 大條実頼の四男)でありました。
領地として坂元の地を拝領し、仙台藩奉行職(家老)に就任するなど、まさに大條家発展の階段を力強く上り始めた矢先の早すぎる死は、大條一族のみならず仙台藩にとっても極めて大きな損失であったと言えます。
しかし、大條宗綱は「坂元大條家の始祖」として領民から深く慕われ、後世まで語り継がれる存在となりました。
こうして、明治に至るまで252年間にわたって続く大條家と坂元の悠久の歴史は、この大條宗綱の足跡を起点として静かに幕を開けたのでした。
◼️参考資料
伊達宗行『翠雨山房夜話(上)』1988年
伊達忠敏氏『大條流伊達家記録』1988年
本田勇『仙台伊達氏家臣団事典』2003年
佐藤司馬『大條家坂元開邑三百五十年祭志』1966年
平重道『伊達治家記録』1973年
仙台市史編さん委員会『仙台市史 資料編 10』2005年
大東町『大東町史 上巻』1982年
