noteで見つけた「文章を書く」という意味
私は最近、noteで文章を毎日書いている。まず始めた理由について伝えたいと思う。それは「もっと好きなことを書きたいな」と思ったからだ。私は本を8冊出しているが、実のことを言うと、いつも好きなことを書けていたわけでない。理由は出版社の意向に従う必要があるからだ。それは当たり前だ。出版というものはボランティアではない。ビジネスだからだ。
しかし、出版がだんだんと重荷になり、文章を書くことが億劫になっていたところもあった。出版というものは部数や売上が全てだ。厳しくジャッジされるし、自分が必死に頑張っても売れるとは限らない。そもそも、出版業界自体が厳しくなっている以上は、ジリ貧のビジネスシステムでもある。それは間違いないと思っている。
もう、正直なところ、何を書いていいかわからなくなっていた。だから、noteで文章を書くことにした。このまま私は忘れられるかもしれないから、最後に燃えあがろうと思ったわけだ。炎は消える前に勢いが増すように、最後に爪痕でも残してやろうかと思った。
だから、私は思い切って、読者にあまり寄せてない防大や自衛隊の記事なども出してみた。今までの出版では出せなかったようなやつだ。
これらは無料記事だし、書いたところでお金にもならない。むしろ、エネルギーと時間を使っているということを考えると、とても無駄なことかもしれなかった。
でも、公開してみると、不思議なことが起きた。読者からの反応が、Xとはまったく違っていた。
「ありがとうと言いたいです」
「考え方に共感しました」
そんな言葉が、ゆっくりと、でも確実に届いてきた。中には、無料で公開している記事にチップを送ってくれる人もいた。少しじゃない。たくさんいた。

無料で読める記事なのに、お金をください、とも言ってないのに、お金を払ってくれる人がいた。金額の問題ではない。誰かが私の文章に価値を見出してくれた、その事実が嬉しかった。
そして、無料で出していた記事が「今日の注目記事」にも選ばれてかなりの反響があった。

この記事が選ばれて「なんだ自分はまだまだ大丈夫だったな」という安堵感でいっぱいになった。持ち込み中の出版社の編集さんにも「とてもいいです」と言われた。いい感じになってきたわけだ。
ただ、noteには、誤魔化しが効かないという厳しさもある。Xのように、アルゴリズムの気まぐれでバズることもない。純粋に、文章の力だけで勝負できる。
私には確かにたくさんのSNSフォロワーがいる。しかし、実際にnoteを読んでくれるかは全く別だ。noteはかなりシビアだ。たとえ、フォロワーがたくさんいたとしても、「読む価値がない」と思われると全く評価されない。また過去にnoteが評価されていても、いまは誰も反応されない人もいる。そんなことは当たり前だ。みんな面白くもない記事を読むほど暇ではないわけだし。だから、面白くもあると思う。
Xよりもnoteの方がゆっくりで、丁寧で、みんな考えてくれる。私はXよりもnoteの方が好きだ。
Xなら140文字で済むような内容も、noteでは1000文字2500文字と膨らませていく。そのプロセスで、自分でも気づかなかった本音が出てくることがある。「なんでこんなことを考えていたんだろう」と驚くこともある。
特に印象的だったのは、退職について書いた記事だった。最初は軽い気持ちで「会社辞めたい人向けの記事でも書こうかな」と思って始めたのだが、書いているうちに、自分自身の会社員時代の苦しさが蘇ってきた。
「そうか、俺もあのとき、嫌われるのが怖くて辞められなかったんだな」
書きながら、そんなことに気づいた。自衛隊を辞めるときも、会社を辞めるときも、結局は「みんなに申し訳ない」という気持ちが一番強かった。でも、実際に辞めてみると、世界は何も変わらなかった。むしろ、自分が思っているほど、自分の存在は大きくなかった。それは少し寂しくもあったが、同時に解放感もあった。
noteを書くことで、そんな過去の自分と向き合うことができた。そして、同じような悩みを抱えている人に、少しでも役に立つかもしれない。そう思うと、書くことに意味を改めて再認識することができたわけだ。
もちろん、全ての記事がうまくいくわけではない。「これは絶対にバズる」と思って書いた記事が全く読まれなかったり、「誰も興味ないだろうな」と思って書いた記事が思いのほか反響があったり。noteの読者は正直だ。面白くなければ読まないし、つまらなければすぐに離脱する。
でも、その厳しさが心地よかった。出版の世界では、編集者や営業担当者、書店員など、たくさんの人の思惑が絡んでくる。どれだけ良い本を書いても、タイミングや運に左右される部分が大きい。でも、noteは違う。読者と私の間に、余計なフィルターがない。
そして、何より嬉しかったのは、読者からの反応だった。コメント欄に書かれた「ありがとうございました」という一言。記事を読んで人生が少し変わったという報告。そんなメッセージを読むたびに、「ああ、文章を書いていてよかった」と思えた。
noteを始めてから、文章を書くことが再び楽しくなった。出版のプレッシャーから解放されて、純粋に「伝えたいこと」を書けるようになった。売上や部数を気にせずに、ただ自分の体験や考えを言葉にする。それが、こんなにも充実感をもたらすとは思わなかった。
今では、朝起きると「今日は何を書こうかな」と考えるのが日課になった。電車の中で「これはnoteのネタになりそうだ」と思うことも増えた。日常のあらゆることが、文章の材料に見えてくる。
もしかすると、これからも出版の機会はあるかもしれない。もしかしたら、ないかもしれない。でも、もう出版だけに頼る必要はない。noteがあれば、いつでも自分の思いを発信できる。読者とつながることができる。それが分かっただけでも、noteを始めた価値があったと思う。
書くことは、自分との対話でもあるし、いまの私にはそれしかできない。ただ、文章を書いていると不安がなくなってくる。私にとってnoteを書くこと自体が鎮痛剤の役割を果たしているのだと思う。
文章を書くことは、結局のところ、自分自身と向き合うことなのかもしれない。そして、その過程で生まれた言葉が、どこかの誰かの心に届く。それが、私にとっての文章を書く意味なのだと、最近ようやく理解できた気がする。
お知らせ
ぱやぱやくんのメンバーシップを始めました。
月額980円でぱやぱやくんの有料記事と有料マガジンがすべて読み放題。
購読手続きはこちらからどうぞ。
