#15 〜ピカある探訪記✧*〜 なごや観光ルートバス編(二) 1.トヨタ産業技術記念館
前回記事:#14 〜ピカある探訪記✧〜 なごや観光ルートバス編(一) 名古屋駅
バス停留所 トヨタ産業技術記念館
こんにちは。
ぴかるまこと編集部 ピカある探訪記担当のぴかるまことです。
前回は名古屋駅周辺を歩きながら、この街が交通の要衝として発展してきた歴史を追いかけました。
今回は、なごや観光ルートバス「メーグル」に乗って、次の停留所へ向かいます。
その名も、
「トヨタ産業技術記念館」。
トヨタと聞くと、やはり思い浮かぶのは自動車です。
ところが、実際に現地へ行ってみると、最初に目に入ったのは車ではありませんでした。
ルートガイド
名古屋駅🚏 ─ ✎トヨタ産業技術記念館🚏 ─ ノリタケの森西🚏 ─
四間道🚏 ─ 名古屋城🚏 ─ 名古屋城東・市役所🚏 ─
徳川園・徳川美術館・蓬左文庫🚏 ─ 文化のみち二葉館🚏 ─
中部電力 MIRAI TOWER🚏 ─ 広小路栄🚏 ─ 広小路伏見🚏 ─
《復路》─ 名古屋城🚏 ─ 四間道🚏 ─ ノリタケの森(4番)🚏 ─ ✎トヨタ産業技術記念館🚏 )─ 名古屋駅🚏
バス停案内
メーグル案内
メーグルは火曜〜日曜運行
月曜と年末年始は運休
名古屋駅バスターミナル11番のりば発
1乗車210円
1DAYチケット500円
土日祝は20〜40分間隔ほど
メーグルを降りると、赤レンガ
メーグルを降りると、トヨタ産業技術記念館はすぐ目の前です。
停留所からほとんど歩かずに到着できるので、観光ルートとしてはとても便利な場所です。

でも、ここでまず足が止まりました。
目の前に広がっていたのは、巨大な赤レンガの建物です。
記念館? いや、形が工場みたいだ。すごいなトヨタは。
ただの記念館というより、当時の工場跡の建物を利用したような雰囲気ですが、このレンガ造りは立派すぎます。
しかもこの場所は、名古屋駅からも近い栄生周辺。
トヨタの工場がこんなところにあったなんて知らなかった。
「でも、なぜ、こんな大きな工場が名駅のすぐ近くにあったのだろう」
入口に立っただけで、もう一つ疑問が生まれました。

トヨタなのに、最初は織機
館内に入ると、まず迎えてくれるのは、大きな織機でした。
「おー、織機の方のトヨタか。」
トヨタは、車から始まったわけではないということは、
もちろん知識としては聞いたことがありました。
トヨタという名前から想像していた景色とは、少し違いましたが、
しかし、そのトヨタの原点が、エントランスの空間の中央で、堂々と迎えてくれていました。
館内の奥に進むと、並ぶ織機。
もちろん、自動車もあります。
古くても品があり格好のよい「モダン」な昔のトヨタです。
それがきれいにメンテナンスされた状態で展示されています。
最新の工場ロボットの展示もあります。
けれど、実際に大きな織機を目の前にすると、その意味がかなり違って感じられます。

原点となる糸を織る機械「織機」には、
創業時の手探りの中、ものづくりに挑戦と希望を見出し、熱意のこもった工夫を積みかさねるという、今のトヨタの姿にも見いだせる、精神性を感じ取ることができます。
これは、自動車産業の前史ではなく、トヨタそのものの出発点なのだと思いました。
豊田佐吉は何と向き合っていたのか
豊田佐吉は、現在の静岡県湖西市にあたる遠州地方で生まれました。
遠州は、古くから綿織物が盛んな土地です。
遠州綿紬
佐吉は、母親たちが夜遅くまで機を織る姿を見て、
「もっと楽にできないだろうか」
と考えたと言われています。
この話だけでも、発明の原点としてとても印象的です。
ただ、今回の資料を読んでいて、もう一段深く見えてきたことがありました。
佐吉が向き合っていたのは、身近な暮らしの苦労だけではなかったのかもしれません。
明治の日本にとって、織物産業は重要な産業でした。
しかし、当時の世界には、すでに圧倒的な工業力を持つ国々がありました。
特に英国製の機械や工業製品は、日本にとって大きな存在だったはずです。
日本が自分たちの産業を育てていくには、海外の機械に頼るだけではなく、自分たちでよりよい機械を作る必要がありました。
そう考えると、佐吉の織機づくりは、
「母を楽にしたい」
という個人的な願いであると同時に、
「日本の産業をどう育てるか」
という大きな問いにもつながっていたように見えてきます。
館内の織機が、ただの機械ではなく、一つの挑戦の形に見えてきました。
なぜ栄生だったのか
次に気になったのは、場所です。
豊田佐吉の原点が遠州にあるなら、なぜここ、名古屋の栄生に研究工場があったのでしょうか。
これも調べてみると、織機の進化と関係していました。
初期の織機は木製でした。
しかし、より高性能な機械を作ろうとすると、やがて鉄製の部品が必要になっていきます。
鉄製の機械には、鋳物、金属加工、工作機械の技術が欠かせません。
そこで佐吉が選んだのが、ものづくりの職人が集まる名古屋でした。
しかも栄生周辺は、現在の住宅街の印象だけではなく、鉄道や工場の集まる工業地帯としての顔を持っていました。
お隣の清では、辛亥革命の始まり、外モンゴルが清からの独立宣言をします。
イギリスで議会法が制定され、下院の優越が法制化されました。
イギリスとはすでに1858年に 日英修好通商条約 を結んで貿易を開始しており、1902年(明治35年)には、ロシアの南下政策に対抗するため、日英同盟として、日本とイギリスは軍事同盟を締結しています。
そこに、さらにアメリカと日米通商航海条約が調印され、関税自主権が回復しました。
日本は日米通商航海条約を経て関税自主権を回復し、イギリスに加え、アメリカとの貿易に新たな展望が開けていました。
世界市場を意識した産業育成が求められる時代です。
そんな頃、豊田佐吉は栄生に研究工場を構え、より高性能な自動織機の開発に挑んでいました。
そして家族とともに移り住み、十年以上にわたって研究を続けました。
油にまみれながら、試行錯誤を重ねて完成させたのが、1924年のG型自動織機です。
ここで、入口で見た赤レンガの意味が少し変わりました。
この赤レンガの中で、世界へ向かうトヨタの原点が育っていた。
世界のトヨタの挑戦は、栄生のこの赤レンガの中で生まれた。
そう思うと、さっき見上げた壁が、急に静かな熱を帯びて見えてきます。
赤レンガの外へ
館内を見終えて外へ出ると、もう一度赤レンガの壁を眺めたくなりました。

この赤レンガ壁は、大正3年、1914年のものです。
約100メートルに及ぶ壁は、かつての織布工場の外壁として残されています。
当時は工場火災も大きな問題でした。
木造建築が中心だった時代、赤レンガは耐火性を意識した近代的な工場建築でもありました。
近代化産業遺産として評価されているのも、なるほどと思います。
でも、ここで面白いのは、建物の価値だけではありません。
歩く前は「歴史ある赤レンガ」でした。
けれど、佐吉の挑戦を知ったあとでは、少し違って見えます。
この壁は、発明家と職人たちが、木から鉄へ、織物を手作業から機械へ、日本の伝統のものづくりを一段進めようとしていた場所の記憶なのです。
トヨタセルシオ展示
敷地内にトヨタセルシオの展示スペースがあります。
名車ともいえるセルシオの展示は、ここと、長久手市の「トヨタ博物館」で見ることができます。
1980年代まで、日本の高級車といえば Toyota Crown や Toyota Century が代表格でした。
しかしトヨタは「世界最高水準の高級車をゼロから作る」というプロジェクトを進め、完成したのがセルシオです。特に静粛性や乗り心地は当時の欧州高級車に匹敵すると評価され、1989~1990年の日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞しました。
お土産と休憩
探訪の締めは、買い物です。
トヨタ産業技術記念館のミュージアムショップには、ものづくりらしいグッズが並びます。
工具をモチーフにした雑貨や、織機に関係する品もあり、展示を見たあとだとつい手に取りたくなります。
おわりに
今回歩いた距離は、トヨタ産業技術記念館の敷地内だけ。
赤レンガの工場跡で織機の歴史を見つめたあと、ふと視線を街へ向けると、ミッドランドスクエア高層ビルが立ち並ぶ名古屋駅周辺の景色が広がります。
豊田佐吉の時代から始まったものづくりの系譜は、今も名古屋の街並みの中に続いているように感じました。
次回は、「ノリタケの森」こちらも産業発展の記録を辿れそうです。
番外
ここから大分遠いですが、「豊」つながりでこちらも紹介。
名古屋市中村区の地下鉄中村公園駅を降りると大きな鳥居が交差点に見えます。その鳥居の先に大河ドラマ豊臣兄弟の豊臣秀吉公をまつる豊国神社があります。
参考・確認メモ
名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」
トヨタ産業技術記念館 公式サイト
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