#17 〜ピカある探訪記✧*〜 なごや観光ルートバス編(四) 3.四間道(しけみち)
前回記事:#16 〜ピカある探訪記✧*〜 なごや観光ルートバス編(三) 2.ノリタケの森
バス停留所 四間道
こんにちは。
ぴかるまこと編集部 ピカある探訪記担当のぴかるまことです。
前回はノリタケの森、この地域の赤レンガに、近代日本におけるものづくりのルーツを見出すことができました。
今回も、なごや観光ルートバス「メーグル」に乗って、次の停留所へ向かいます。
四間道(しけみち)です。
「四間道(しけみち)」という地名ですが、現在の主要道路からは外れた場所にあるので、長年、名古屋に住んでいた私でも耳馴染みのなかった地名です。
読み方も歴史のある地名でありがちなひねりですね。一見では正しく読めません。
メーグルのバス停名で採用されたことではじめて知ることになりました。
メーグルが、わざわざ停留所名に採用した理由も気になります。まずは実際に歩いて確かめてみましょう。
ルートガイド
名古屋駅🚏 ─ トヨタ産業技術記念館🚏 ─ ノリタケの森西🚏 ─
✎四間道🚏 ─ 名古屋城🚏 ─ 名古屋城東・市役所🚏 ─
徳川園・徳川美術館・蓬左文庫🚏 ─ 文化のみち二葉館🚏 ─
中部電力 MIRAI TOWER🚏 ─ 広小路栄🚏 ─ 広小路伏見🚏 ─
《復路》─ 名古屋城🚏 ─ ✎四間道🚏 ─ ノリタケの森(4番)🚏 ─ トヨタ産業技術記念館🚏 )─ 名古屋駅🚏
バス停案内
メーグル案内
メーグルは火曜〜日曜運行
月曜と年末年始は運休
名古屋駅バスターミナル11番のりば発
1乗車210円
1DAYチケット500円
土日祝は20〜40分間隔ほど
四間道のルートバスの停留所、真横にある市バスのバス停は「愛知県図書館」とあります。
目の前の東西の通りを「外堀通り」といいますが、通りに並行して名古屋城の外堀があります。
実は、このバス停の位置は絶妙で、
名古屋の歴史を考えると、とても興味深い場所にあります。
地図を見返してみると、
外堀を挟んで北側には愛知県図書館、ほかにも、中日新聞社や愛知県護国神社や愛知県警察など、そして官公庁の庁舎が集まっています。
この通りを挟んで南側には、那古野神社や円頓寺をはじめとする寺社や、問屋街や繁華街の伏見・丸の内・中村があります。
つまり、この外堀通を境に南北で土地の意味合いが変わっています。
そして、ちょうど景雲橋のところが名古屋城の外堀と水運の堀川の連結部分に当たります。
名古屋城の城主は徳川御三家の尾張徳川家であり、名古屋城の本丸は大正時代に行幸の際の離宮となっていました。
手前にある景雲橋の由来もそうですが、この道路は天皇陛下の行幸に使われた道路でもあるのです。
つまり、昔の感覚では、ここに境がありました。
北のお上の政(まつりごと)の中心と、南の流通・商売の中心の連結地点。
この場所は、その接点の土地であり、「名古屋」という地域において、人や物の交流の要所だったようです。
名古屋城の外堀

景雲橋のところで堀川と連結しているのですが、名古屋城の外堀の南側と東側には水が流れ込まないような造りになっています。
この外堀には水は流れていません。地図画像の明るい部分の堀ですね。空堀と呼ばれます。
外堀の中に昔は電車の駅がありました。堀川駅や大津町駅です。

幼いころに大人に連れられて外堀に何度か降りたことがあります。どういうきっかけか覚えてませんが、湿地帯でカマキリがいて、防空壕の洞穴があったことおぼろげに覚えています。
今は保全の観点から禁止されているようですね。
外堀ヒメボタル
この大津町駅跡のあるあたりの外堀には、季節になるとホタルがみることができます。
祖父に連れられて、家族と一緒に歩いて蛍を見にきていました。
道路を挟んだ那古野神社にも季節になるとお祭りがありました。
境内には露店が並び、人であふれ、とてもにぎやかだったことを覚えています。
現在は、私が子どもの頃のようなお祭りは行われていないようです。時代の流れとともに、この町の風景も少しずつ変わってきたのだと感じます。
このあたりを訪れると、どこか個人的にもノスタルジックな気持ちになります。
さて、四間道に向かいます。
地図で見ると、堀川と並行して西側に南北に四間道(しけみち)と呼ばれる区間がありました。
せっかくなので、そちらのほうへ歩いていきます。
円頓寺商店街
すると、昭和レトロな街並み、約220m続くアーケード街、
円頓寺商店街があります。
ちらほら、シャッターが閉まっていますが、夕方ぐらいになると少しにぎやかになります。

円頓寺商店街の魅力は、このサイトが参考になると思います。
商店街に円頓寺の名がある通り、圓頓寺があります。
日蓮宗のお寺で、京都立本寺(日蓮宗の本山)から長久山と号を改めました。長久手の長久です。
由来を読んでみると、もともとは「廣井村八軒屋敷」にあったそうです。
ピカピカ事業所のあるあたりですね。
円頓寺の由来では、
三世のときに、尾張徳川家初代藩主徳川義直と側室の歓喜院の長男である藩主徳川光友らのために祈祷を行ったとあります。
歓喜院と聞いて、歓喜天を本尊にする福生院を思い出しました。
歓喜天は聖天とも呼ばれますが、インド・チベットの神様のシヴァの息子の象頭の神様ガネーシャですね。

本堂のほかに、
鬼子母神堂
尾張藩初代藩主徳川義直の側室であった貞松院(津田信益の次女)が寄進した鬼子母神像を祀る。像は創建当時の本堂と同じく名古屋城天守閣の余材で作られたと伝わり、現在では5月18日に公開されている。現在の堂は1973年(昭和48年)に再建されたもの。
長久稲荷堂
鬼子母神もインドの神様ハーリティーだといわれています。
そういえば、近江八幡にも「津田」という地名があります。織田信長の安土城のお隣です。
織田氏との関わりを伝える地域伝承も残されており、織田一族には実際に津田姓を名乗った人物もいました。確かなことは分かりませんが、こうした点を知ると、近江と尾張の人のつながりに思いを巡らせたくなります。
柴田勝家も「シヴァ」田「勝」家なのかもしれませんね。※個人的な感想です。
円頓寺商店街の西側の入り口、江川線と交わる交差点には、
三英傑の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、そして水戸光圀の象があります。
その先にも、円頓寺本町商店街のアーケード街が続いています。
円頓寺商店街と合わせると700mほどあります。
四間道
円頓寺商店街の東側から南北の通りが「四間道」です。
堀川の水運を中心に発展したこのあたり、名古屋という土地の中心部でもありました。
日牟禮八幡宮でも見た白壁の土蔵です。
人工河川の堀川を水運と白壁の土蔵はパッケージのようですね。
ここでも近江八幡との縁を感じます。
四間道の由来
堀川沿いの建物が元禄13(1700)年の大火で焼失し、その後は防火性能を高めるため道幅を四間(7.3m)拡張して再建されました。
将棋の四間飛車の四間とは、関係あるような…ないです。※個人的な感想です。
四間道の由来には、もうひとつ「四軒」道という説もあります。
昔この道沿いに、浅間神社、光明院、浄信寺、神明社の四つの寺社が並んでいたため、「四軒」と「四間」から「四間道」となったという説です。
この説を見つけた瞬間、思わず地図を見返しました。光明院、浄信寺、神明社……どれも見覚えのある名前です。そう、ピカある探訪記の最初の頃に歩いた、あの事業所近くのお寺や神社でした。
まさか、あの散策と今回の四間道がここで一本につながるとは思いませんでした。
四間道散策ギャラリー花御堂 HANAMIDOの傍に浅間神社があります。
ご祭神は木花之佐久夜毘売です。
そして、このまま南にまっすぐ進んでいくと、以前紹介した神明社にたどり着きます。
おわりに
今回は、名古屋城の外堀という、公と町の境目にあったであろう物語の痕跡を少し覗けたような気がしました。
次回もメーグルに乗って、名古屋の知られざる魅力を探しに行きたいと思います。
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