【実家じまい】プロローグ#6彼岸と此岸〜母の葬儀〜【飯子さんちの実家じまい】
この記事は、実家じまいの体験記・プロローグです。
【#1】【#2】【#3】【#4】【#5】◀前回の記事|次回の記事▶【#7】
今回は【プロローグ#6彼岸と此岸〜母の葬儀〜】をお送りします。
今回は母の葬儀のお話です。
辛くなってしまう、という方もいらっしゃるかもしれません(´・ω・`)
▷止めおてく、という方
ここまで来てくださってありがとうございますm(__)m
笑える漫画もやってます\(^o^)/>コチラ
▶読む!という方
ありがとうございます!(TдT)
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです(^^)
では、始めます
火葬中(2024年の日記より)
母の火葬中、友達の話を思い出しました。




何故かしょうもない事を思い出す
母の火葬中。
火葬待ちの間
ちょっとしたお振る舞いをします。
およそ900kmの遠方から
父方の従兄、ショウヘイ君(仮名)も来てくれました。
ショウヘイ君の父(父の弟)が亡くなった時
ムビ子が遠路はるばる葬儀に行ってくれた。
その時の事を恩に感じて今回来てくれたのだろう。
ありがたい・・・

縁を繋いだ肝心の喪主・ムビ子は接待で忙しい。
「ここは私が行きべき?」とも思うけど・・・
ショウヘイ君と会うのは平成元年の祖母の葬儀ぶり。
さて、どのようにあいさつするべきか・・・
おお!こんな時こそ
おしゃべり長女、ボル子の出番ではないか!!
今こそ、いでよ、しゃべくりバズーカ!!

こういうとき出動してもらいたいんだけど・・・
(-_-)
骨になる
そうこうしているうちに
母の火葬が終わりました。

13年前の父の火葬を思い出しました。
あの時は、待ってる間、すごく緊張していました。
いざ骨になってしまった父を見た時はショックでした。
2回めの死がやってきたというか・・・
「もうほんとに居なくなっちゃったんだなぁ」と
深い悲しみを感じたものです。
しかし今回は・・・

何となくですが、父の時ほどショックは受けないような気がしました。
それは、もしかしたら
ちゃんとお別れできたからかもしれません。

姉たちもたぶん同じ感じなのかも。
生きているうちに
「ありがとう」って言えて良かった・・・
火葬される時に
「行ってらっしゃい」って送り出せて良かった・・・・!!

「骨粗鬆症だったから拾えるほど骨残ってるかなぁ?」
心配に及ばず。
母の骨はちゃんと立派に残っていました!!
皆で丁寧に、心を込めて拾いました。
何かがおかしい
火葬が終わり、母は小さな骨箱に収められました・・・
次は葬儀です。
もと来た葬祭会館へ移動します。

位牌を持った喪主・ムビ子は
弔問客と一緒にマイクロバスに乗って行ってしまいました。

OTTOの車は霊柩車ではない
何かがおかしい・・・・
本日の主役の遺骨だよ?
遺影もあるよ?
OTTOの車でいいの??
普通、
遺骨と遺影も一緒に移動しませんか・・・?
母を乗せて
置いてきぼりになった「母の遺影」と「遺骨」を乗せて
OTTOの車はマイクロバスを追うことになりました。

マイクロバスは先程通った道とは別の道を走ります。
「何故この道を通るんだろう?」
と不思議に思っていると、ある場所でバスのスピードがゆっくりになりました。
おや?
この建物は・・・・

マイクロバスは、母が昔働いていた
縫製工場の前を通ってくれたのでした!!

小学校の帰り道にある、母の務める会社。
母に手を振るのが楽しみでした・・・・
数少ない、私と母だけの思い出です。

子育てしながらの仕事は大変だったに違いありません。
けれど工場にはママ友もいっぱい働いていて、たまに皆で旅行に行ったりしながら楽しく働いていたようでした。

少しでも家計の足しに、と
会社の仕事を持ち帰ってよく内職してたっけ。
うちはビンボウだったから・・・
お母さんは随分苦労して
私達3人を育ててくれた・・・
家事と子育てしながらのフルタイム勤務は
大変だったに違いない。
今更になって母の偉大さがよくわかる・・・
ほんとにほんとにありがとう

母は勤続10年の記念に、会社から腕時計を貰ったことがありました。
それを母は何故か私にくれたのです。
10年頑張った証を
私に惜しげもなくくれるなんて・・・
すごく嬉しかった!!
今でも大切に持ってるよ。
会社員時代の思い出話をする母は、とても生き生きしていました。
良い職場に恵まれたんですね・・・
母の青春とも言える会社の前を
通ってくれた葬祭屋さんの
粋な計らいにジ〜〜〜ンと来ました。

葬儀にて
火葬が終わり、母は遺骨となって
葬祭会館に戻ってきました。
昨日まで自宅のように使っていた
お座敷はすっかり葬儀場に様変わりしていました。
厳かな雰囲気の中、母の葬儀が始まりました。

次女、ムビ子が喪主の挨拶をします。
母のエピソードを盛り込みつつ、
自分たちの戸惑いの気持ち、
皆さんへの感謝などが綴られていました。

昨夜までこのお座敷でグダグダしながら
「挨拶どうしよう〜〜」と考えていたのに。
いつの間に書き上げていたのでしょう・・・
ムビ子の結婚式を思い出しました。
あの時はハッピーな雰囲気の中、両親への感謝を読みました。

でも今は、父も母ももういないんですよね。
両親への手紙、結婚式の次はお葬式だなんて・・・
結婚式の時もムビ子は涙ひとつこぼさず、気丈でした。
しかし、私は気づいていました。

原稿を持つムビ子の手が震えていることに・・・・

今回も結婚式同様、
人前で涙を見せることはありませんでした・・・・
ムビ子姉ちゃんはエラい・・・・!!
私だったら途中読めなくなるかもしれない。
姉妹の再会
火葬には間に合いませんでしたが
葬儀には母の妹(叔母さん)が来てくれました。

母は長女。
すぐ下の叔父さんと
もう一人の叔母さんは入院中のため
葬儀には来られませんでした。

遠方に住んでいるので、
皆が揃うことは滅多にありませんでしたが
久々の対面がこのような形とは・・・
きょうだいが亡くなるって、
物凄く淋しいだろうな・・・・
叔母さんはとても優秀な人で、
若い時は世界中を飛び回っていました。
我々姉妹の憧れの叔母さんです。

叔母さんには子どもが居なかったので、よく冗談で「うちの子になる?」なんてからかわれていたものです。

遠方からはるばる来てくれた叔母さんと
エイミーちゃん。
本来ならゆっくりおもてなししたいところなのですが
全く何の用意もしてない我々。
気の利いた店でもあればいいけど
ここはど田舎。
そんな店はありません。
わざわざ新幹線や在来線を
乗り継いで来てくれたというのに
わずか数十分でとんぼ返りだなんて
悲しすぎる・・・・
その時!!
私はあるアイテムを取り出しました!!

それは、遺影用の写真を探していた時に
久々に見つけた昔のアルバム。
私が3つか4つくらいの時に、
母と二人で町内会の旅行に行った時のもの。
町内会の人たちとは途中で別れ、叔母さんの家や
エイミーちゃんの家に遊びに行ったのでした。
その写真の一部をお見せしましょう。
⬇昭和56年頃の上野動物園

このときのことはよく覚えています。
赤ちゃんだったエイミーちゃんと一緒に
キリンやパンダを見たのでした。
他にも叔母さんの昔の家の写真などをお見せしました。
「こんな写真がまだあったなんて!」ととても喜んでくれました。

母は全く自分の過去を語らない人だったので
叔母さんに母の子供の頃の話を聞いてみたかったなぁ
と今更になって思います。
ホントはもっとゆっくり
叔母さんと語らいたかったのですが
葬儀というものはバタバタなもので・・・
こうして母の葬儀は終わったのでした・・・
こうして葬儀が終わりました。
終わる時は意外とバタバタ、あっさり。
荷物をまとめて慌てて帰る、みたいな^^;
母の葬儀は本当に近しい親戚だけでこぢんまりと行いました。
血縁は近しくても、何十年ぶりに会う、叔父叔母やいとこ達。
こうやって声を掛ければ一同に集まってくれました。「疎遠だから」で終わらせずに、本当に良かったと思っています。
実家じまいを進めるに当たって、この近しい親戚とやりとりをしなくてはならなくなります。葬儀で久々に会って、関係を温め直して良かったと思っています。
人が亡くなるって、ただでさえ感情が激しく揺り動かされます。
そこに容赦なく「仏事」をはじめ色んな物事が入り込んできて、清算しなくてはいけない。
喪主はおちおち悲しんでいるヒマも無くなります。
次回【#7】は初七日のお話になります。
まだもう少しプロローグは続きそうです^^;
最後まで読んでくださいまして誠にありがとうございました!m(__)m
またお付き合いいただけたら嬉しいです!
引井田飯子(ぴいた・ぱんこ)でした〜〜〜\(^o^)/
⬇シリーズを最初から読む
【#1】【#2】【#3】【#4】【#5】◀前回の記事|次回の記事▶【#7】
⬇笑える漫画も、ある!(*゚∀゚)
⬇暗い気分を冷水シャワーで洗い流せ!
⬇ちょんまげくんで献杯しよう!
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは世のため人のために使わせていただきます!
それからいつも寒そうなOTTOとムスメに服を買ってやります。
ついでに紙とペンを買います。