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成長の、その先を考える①:「成長は永遠ではない」と気づいた

先日、斎藤幸平さんがテレビ出演されたのをきっかけに、『人新世の「資本論」』を読みました。

以前から気になっていた本でしたが、正直なところ、読後の感想は「著者の結論に全面的に賛成」というものではありませんでした。

ただ、一つだけ確実に変わったことがあります。
それは、
「世界経済はこれからも成長し続ける」という前提が、絶対ではないのだと気づいたことです。

先進国の豊かさは、誰かの負担の上に成り立っているのか

本書では、現在の豊かさは先進国が途上国に負荷を押し付けることで成り立っていると指摘されています。

環境負荷の高い生産は海外に任せ、私たちは安価な商品や便利なサービスを享受する。

SDGsも、本当に地球環境のためなのか、それとも先進国が自分たちに有利なルールを作っているだけなのか。
著者はかなり批判的な立場です。

私自身、そこまで断定はできません。

ただ、確かに「環境に優しい」という言葉の裏側に、誰が負担をしているのかを考える視点は、これまであまり持っていませんでした。

AI革命と、成長への期待

一方で、今の世の中を見ると、私はどうしても別の景色も見えてしまいます。

ChatGPTが登場してから、世界は明らかに変わりました。
AI関連企業への投資は国家規模になり、データセンター建設も加速しています。
レアメタルの需要は増え、電力消費も膨大になるでしょう。

「このまま成長を続けて大丈夫なのか」という疑問は確かにあります。

しかし同時に、
「ここで各国が成長競争をやめるだろうか?」
とも思うのです。

アメリカがAI投資をやめたら、中国が進めるでしょう。
中国がやめたら、別の国が進めるでしょう。

脱成長の必要性を理解したとしても、最初にブレーキを踏める国があるのか。
少なくとも、ここ数年で急激に方向転換する未来は、私にはあまり想像できません。

それでも、「成長は永遠ではない」のかもしれない

私はこれまで、FIREを目指して世界株式インデックスに投資してきました。

その前提には、
「世界経済は長期的には成長する」
という考えがありました。

もちろん、暴落はある。
停滞する時期もある。

それでも、人類は技術革新を繰り返しながら、全体としては成長していく、
そう考えていました。

実際、その考え方によって資産形成を進めてきましたし、今でもそれは合理的な選択だったと思っています。

ただ、『人新世の「資本論」』を読んで感じたのは、
「それは絶対の真実ではなく、一つの前提に過ぎない」
ということでした。

株式は、本当に成長だけが前提なのか

ここで少し考えたことがあります。

株式インデックス投資は、「世界経済の成長」が前提だと言われます。
でも、株式の本来の仕組みは少し違います。

企業が利益を上げ、その利益の一部を株主に還元する。
それが株式です。

極端な話をすれば、経済成長がゼロでも、企業が利益を出し続ければ配当は生まれます。
もちろん、成長しない世界では配当も増えにくくなりますし、期待できるリターンは低下するでしょう。

それでも、
「脱成長=株式は終わり」
という単純な話ではないのだと思います。

だからこそ、私はこの本を読んでも投資方針を変えようとは思いませんでした。

ただ、「世界は永遠に成長する」という前提を、少し疑うようになったのです。

斎藤幸平氏とイーロン・マスク氏

面白いと思ったのは、著者の問題意識は、実はイーロン・マスク氏にも通じるところがあることです。

マスク氏は、
「惑星が一つしかない状態では、人類はいつか終わりを迎えるかもしれない」
と考え、宇宙進出を進めています。
隕石衝突など、地球規模のリスクへの備えです。

一方、斎藤氏は、
「このまま成長を続ければ、地球環境の限界にぶつかる」
と考え、脱成長を訴えています。

方法は正反対です。
一方は技術による突破。
もう一方は生き方そのものの見直し。

しかし、
「今のままで永遠に大丈夫だとは思っていない」
という点では、案外似ているのかもしれません。

正解を、少し疑うようになった

『人新世の「資本論」』を読んで、私は資本主義を否定したくなったわけではありません。
インデックス投資をやめようとも思いませんでした。

ただ、
「世界経済は永遠に成長する」
という自分の中の前提が、絶対ではないことを知りました。

そして、もしかすると私たちは、
「成長し続けること」を当然のものとして受け入れすぎているのかもしれません。

それが本当にあと数十年で限界を迎えるのか、
それとも、数百年先の話なのか、
私にはわかりません。

ただ、これまで当たり前だと思っていた前提を、一度立ち止まって考えるきっかけを与えてくれた。
それだけでも、この本を読んだ価値は十分にあったと思います。


『人新世の「資本論」』で語られているのは、社会全体の「脱成長」です。では、個人の視点から見た「脱成長」とは何でしょうか。
私にとって、その一つの答えがFIREです。

次回は、個人の「脱成長」であるFIREに、社会の「脱成長」が与える影響について考えます。


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