成長の、その先を考える⑤:なぜ人は、仕事がなくなることを恐れるのだろう
『人新世の「資本論」』を読んでから、成長や豊かさについて考えることが増えました。
そして最近、もう一つ気になることがあります。
それは、
なぜ人は、仕事がなくなることを恐れるのだろう。
ということです。
AIによって仕事が奪われる。
ロボットによって人間の仕事が減る。
そんな話を聞くたびに、私は少し不思議な気持ちになります。
もちろん、収入がなくなることへの不安は分かります。
しかし、仕事そのものが減ることは、本来は良いことではないのでしょうか。
人類はずっと効率化してきた
人類の歴史を振り返ると、ずっと効率化を続けてきました。
農耕によって食料を安定して確保できるようになりました。
産業革命によって大量生産が可能になりました。
コンピュータによって事務作業が減りました。
インターネットによって情報収集の手間が減りました。
そして今は、AIが文章を書き、画像を作り、調べものまでしてくれます。
こうして考えると、人類はずっと
「生きるために必要なコスト」を下げる努力
を続けてきたように見えます。
本来なら、その結果として労働時間も減っていくはずです。
ところが、実際にはそうなっていません。
なぜ仕事は減らないのか
便利な道具が増えたのに、仕事は減りません。
むしろ増えているようにも感じます。
効率化によって生まれた余裕は、休みになるのではなく、新しい仕事に変わります。
農業に必要な人出が減れば、工業に人手を割く。
工場が自動化すれば、事務仕事が増える。
システム化されれば、新しい管理業務が生まれる。
豊かになる中で、プロスポーツやエンタメなどの夢を与える仕事が増える。
『人新世の「資本論」』では、こうした仕事の中にはブルシットジョブ(社会的な意味が薄い仕事)も含まれていると指摘されています。
もちろん、すべてが無意味な仕事だとは思いません。
ただ、効率化によって浮いた時間を、さらに仕事で埋めているようにも見えます。
労働とは、本来何なのだろう
そもそも労働とは何でしょうか。
私は、
誰かの困りごとを解決すること
だと思っています。
食べ物を作る。
家を建てる。
病気を治す。
荷物を運ぶ。
困っている人がいるから仕事が生まれます。
そう考えると、
困りごとが減る
↓
仕事が減る
↓
良いこと
のはずです。
ところが現実は違います。
仕事が減ると、人は不安になります。
なぜ仕事が減ると不安なのか
AIが仕事を代わりにやってくれる。
ロボットが働いてくれる。
そう聞くと、多くの人は不安を感じます。
でも私は、その感覚がわかりません。
少なくとも日本の正社員は、AIが導入されたからといって翌日に解雇されるわけではありません。
実際には、
「では別の仕事をお願いします」
となることの方が多いでしょう。
だから私は、
なぜそこまで仕事が減ることを恐れるのだろう。
と思ってしまうのです。
全体的に仕事が減れば、
早く帰れるかもしれない。
家族と過ごす時間が増えるかもしれない。
趣味の時間が増えるかもしれない。
それは本来、喜ばしいことではないのでしょうか。
私たちは仕事を求めているのか、それとも安心を求めているのか
もちろん現実は単純ではありません。
仕事が減れば収入が減るかもしれません。
生活できなくなるかもしれません。
だから不安になる。
それは理解できます。
でも、もし最低限の生活が保障されるならどうでしょう。
例えばベーシックインカムのような仕組みです。
仕事が減っても生きていける。
その状態でも、私たちは仕事を求め続けるのでしょうか。
もしかすると、多くの人が求めているのは仕事そのものではなく、
仕事によって得られる安心感
なのかもしれません。
脱成長という別の道
『人新世の「資本論」』では、脱成長という考え方が示されます。
私は今でも、その実現は困難を極めると思っています。
国家も企業も利益を求めます。
世界中が一斉に成長をやめるとは考えにくいでしょう。
それでも、この本を読んでから、
「成長し続けることだけが正解なのだろうか」
と考えるようになりました。
効率化しても働き続ける。
豊かになっても働き続ける。
AIが仕事を減らしても働き続ける。
私たちは、どこまで行こうとしているのでしょうか。
AIは私たちを自由にしてくれるのだろうか
私はAIに期待しています。
それは、お金を稼いでくれるからではありません。
人間の仕事を減らしてくれる可能性があるからです。
ただし、AIそのものが社会を変えるわけではありません。
AIを使って、さらに利益を追求することもできる。
逆に、人間の労働時間を減らすこともできる。
どちらを選ぶかは、人間次第です。
そして、その選択は結局、
私たちは何を豊かさと考えるのか
という問いに戻ってきます。
今のまま、成長を追い求めるなら、私たちの生活はさらに豊かになるでしょう。
しかし、仕事は楽にならないのではないか、
そして、貧富の差が広がり続け、庶民はより苦しくなるのではないか、
そんな心配があります。
なぜ人は、仕事がなくなることを恐れるのだろう
私は今でも答えが分かりません。
仕事がなくなることは、本来なら人類が目指してきた効率化の究極の成果であるはずです。
それなのに、私たちは仕事が減ることを恐れます。
仕事があることに安心し、
仕事がないことに不安を感じます。
でも本当に目指すべきなのは、
仕事がたくさんある社会ではなく、
仕事がなくても安心して暮らせる社会なのではないでしょうか。
『人新世の「資本論」』を読んでから、そんなことを考えるようになりました。
もしかすると脱成長とは、自然を守るためだけの考え方ではなく、
「働き続けなければならない社会」から抜け出すためのヒントなのかもしれません。
『人新世の「資本論」』を読んで、経済成長の永続性に疑問がわき、記事を書き始めました。
ところが書き進めるうちに、個人的なことに考えが移っていき、
経済成長はいつまで続くのか
経済成長に終わりが見えたら、資産形成は止まるのか
子どもの世代にも株式インデックス投資を勧めていいのか
豊かさとは何か
なぜ仕事がAIに奪われることを恐れるのか
と、自分自身の価値観を見つめ直すシリーズになりました。
この5本の記事では、明確な答えは出せていません。
でも、「当たり前」と思っていたことを疑うきっかけを与えてくれた一冊だったことは間違いありません。
そして、このシリーズを書いたことで、私自身も改めて「豊かさとは何か」「働くとは何か」を考え直すことができました。
もし読んでくださった方にも、何か一つでも考えるきっかけになったなら、このシリーズを書いた意味があったと思います。
