成長の、その先を考える④:豊かさとは、自由を増やすことなのだろうか
『人新世の「資本論」』を読んでから、「脱成長」について考えることが増えました。
とはいえ、私は著者の提案する解決策を、そのまま実現できるとは思っていません。
利益を求める企業や国家が存在する中で、世界全体が足並みを揃えて「成長をやめましょう」と言うのは、かなり難しいでしょう。
では、もし本当に脱成長社会を目指すなら、どのような形になるのでしょうか。
そんなことを考えていたとき、ふと、生協の仕組みを思い出しました。
事前注文だけの世界
生協では、基本的に一週間前に注文をします。
来週食べるものを考えながら、必要なものを選ぶ。
もちろん、買い忘れることもあります。
不便だと思う人もいるでしょう。
その代わり、
「なんとなく買ったけど食べなかった」
「安かったから買ったけど捨てた」
そういったことは少なくなります。
もし極端な話として、世の中の買い物がすべてこの方式になったらどうなるでしょうか。
スーパーに大量の商品を並べる必要はなくなるかもしれません。
売れ残りを前提とした過剰生産も減り、生鮮食品や惣菜の廃棄はかなり抑えられるのではないでしょうか。
「いつでも、何でも買える自由」は減ります。
でも、その代わりに、社会全体の無駄を減らせるのではないでしょうか。
そこにAIが加わったら
そして、今の時代なら、そこにAIが入ってきます。
例えば、
「今週の注文内容だと、野菜が少ないですよ。」
「五日分しかありませんが、大丈夫ですか?」
「お子さんが好きだったので、こちらもおすすめします。」
そんな提案ができるでしょう。
さらに進めば、
「この地域では今週はこの野菜が豊作なので、こちらを優先しませんか。」
「この食材は廃棄が増えているため、今週はこちらを選びませんか。」
ということもできるかもしれません。
あるいは、
「この商品は今週の供給量では対応できないため、注文数を制限します。」ということも可能でしょう。
便利になります。
しかし同時に、「いつでも好きなだけ手に入る自由」は少し小さくなるでしょう。
自由は本当に多いほうが幸せなのか
私は以前まで、「自由は多いほど良い」と何となく思っていました。
でも、本当にそうなのでしょうか。
例えば、縄文時代。
警察もなければ法律もない。
何をしても自由です。
でも、そんな社会で安心して暮らせるかと言われると、難しいでしょう。
人類は、自由を制限する代わりに、安全や秩序を手に入れてきました。
一方で、今の社会では、消費者としての自由はどんどん増えています。
24時間いつでも買える。
欲しいものはすぐ届く。
世界中の商品が手に入る。
しかし、その自由を支えるために、誰かが働き続けています。
物流を止めない人。
在庫を管理する人。
売れ残るかもしれない商品を作る人。
深夜でも対応する人。
消費者としての自由を広げる一方で、生産者としての不自由は増えている(あるいは減っていない)ようにも見えます。
そして、その結果として、技術が進歩した現代でも、私たちは多くの仕事を必要としているのかもしれません。
「もっと自由」の先にあるもの
もし社会全体で労働時間を減らしたいなら、
「もっと便利に」
「もっと自由に」
「もっと早く」
を少しだけ見直す必要があるのかもしれません。
もちろん、誰もが好きなときに好きなものを買える社会は魅力的です。
私自身、その恩恵をたくさん受けています。
だから、それを否定したいわけではありません。
ただ、
「自由を増やせば増やすほど幸せになる」
というのも、一つの思い込みなのではないかと思うようになりました。
自由を増やせば増やすほど、それを支えるための労働も必要になります。
脱成長のために必須といわれる労働時間の減少と、それによる自由の制限。
そのバランスを取ることが、現代社会をより生きやすくするカギになるかもしれません。
AIは、どちら側に立つのだろう
AIは、私たちをもっと便利にしてくれるでしょう。
欲しいものを予測し、最適な提案をし、待ち時間を減らし、効率化を進めていく。
その方向に進めば、消費者としての自由はさらに増えるはずです。
一方で、AIは、使い方によっては
「足るを知る社会」
を支えることもできるかもしれません。
無駄を減らし、過剰な生産を抑え、必要なものを必要なだけ届ける。
そのためには、少しだけ自由を制限することになるでしょう。
もちろん、労働時間は減ります。
その分だけ給与が減ったり、失業を恐れたりする社会ではなく、単に余白時間が増える社会になる。
そのような社会が理想的だと思うのは、私が恵まれていたからでしょうか。
AIは単なる便利な道具ではなく、
私たちがどんな社会を望むのかを映し出す鏡になり得ると思います。
豊かさとは何だろう
『人新世の「資本論」』を読んでから、豊かさについて考えるようになりました。
もっとたくさんの商品があること。
もっと早く手に入ること。
もっと選択肢があること。
もっと気軽に遠くへ行けること。
それは本当の意味での豊かさなのだろうか?
もしかすると、
「これで十分だ」と思えること、
働く時間と、自由な時間のバランスが取れていること、
少し不便でも、無駄が少なく、安心して暮らせること、
そんなものも、豊かさの一つなのかもしれません。
便利な社会も好きです。
エアコン、スマホ、ネット通販、ネット証券、生成AI…
どれも手放したくありません。
「昭和のあの頃の方がよかった」とも思えません。
だからこそ、『人新世の「資本論」』を読み終えた今でも、私は脱成長を全面的に支持することはできません。
それでも、
「もっと便利に、もっと自由に、もっと成長を」
という当たり前を、一度立ち止まって考えてみる。
それだけでも、この本を読んだ意味はあったのだと思います。
そして、AIが当たり前になる時代だからこそ、
私たちは『何が本当の豊かさなのか』を、自分自身で問い直していく必要があるのかもしれません。
私自身、その答えはまだわかりません。
だからこそ、これからも「成長とは何か」「自由とは何か」「豊かさとは何か」を考え続けていきたいと思います。
「豊かさとは何か」を考えているうちに、別の疑問が生まれました。
AIによって仕事が失われることを、多くの人は不安だと言います。
でも私は、仕事が減ることを歓迎したいと思っています。
次回は、なぜ仕事がなくなることを恐れるのかを考えます。
