見出し画像

自他の境界線は、心の安全基地を作った先でしか得られない。


最近本当に思うこと。

数年前より、今のほうがずっと生きやすい。

今日はその秘密を、話してみたいと思う。

なぜ今の方が生きやすいかと言うと、今の私は、何かを言われても、世の中で・私の周りで何かが起きても、

\でも私はこうだから/


と思える、というのがあるから。

もっと言うと、そう思えるような、自分の中に「ここからは完全に自分です」みたいなものが存在するようになったから。

言い換えるとそれは、心のホーム🏠のようなものだと思う。
家🏠には、当然ながら壁がある。
壁があると、こんなふうにものごとを受け取れる。

外「今、世の中がこんなふうに大変です👩‍⚕️」→私「でも、私は大丈夫だな」
外「みんな!今のうちにこれをやらないとやばいよ🙋‍♂️!!」→私「いや、私は今日これだけやればOKなんで」
外「私はプンスカしています👩‍🎤」→私「そうですか、私には関係ないな☕️」

この右のは全部心の声なんだけど、
一見、物事を単純化して捉えるように、賢く意識してるようにも見えるかもしれない。
あるいは鈍感になるように鍛えたようにも見えるかもしれない。
でも、違う。

これは何かすごい努力や訓練をして、できるようになったわけじゃない。

ものごとが私に向かって来る時、受け取り方がただ安全になった。
そんな感覚がある。

例えば繊細な人への教訓として、他人の不機嫌を見ても、「私には関係ない」と思う手法は、よく語られるけど、
そうした場面で「私には関係ない、私には関係ない、私には関係ない……♾️」と心の中で繰り返すとか、「私はブレないぞ!」って拳を握りしめて踏ん張る、みたいなことが効果的だと思ったことは、ぶっちゃけ一度もない。
(というかそんなの、体育会系すぎる……)

私が時間をかけてやってきたこと。
それは、一人の時にコツコツと、自分の心の安全基地を作ることだった。

それはどうやったかというと、
自分に甘くする、優しくする……自分にご褒美とか、ゆっくり休むとか、好きなところに行くとか、もちろんそれは間違いではないんだけど、
もっと奥にある「本当の意味で自分の心の声に従う」っていうことが、大事なんだよね。

それを、以前「自己一致」って切り口で書いてみた。

そしてそこで書いてきたことが、今、少しずつ自分のものになってきた結果が、今の心のホーム🏠なんだと思う。

で、それができるようになると、「自分が本当に大事にしてることとは関係ないことについては小さいことを気にしなくて良くなる」ということが起こり、

ここに書いたように、「自分のビジョンに向かってまっすぐ突き進む」ということが頻繁に起きやすくなって、人生が自分にとっていい方向に加速するんだよね。

これって、自分の本当の声とは違う「他者の声」、もっと言うと「自分の頭の中にある他人の声」が、無視できるようになったり、そもそも聞こえなくなったりするってことでもあると思う。

こんなふうに、他人の負の感情を直接受け取らなくてすむようになったり(受け取ったとしても解釈を持ち直せたり)、他人の極端な言葉によって自分の人生の舵を奪われないですむようになったりしたのは、
全部、自分の心のホーム🏠ができたおかげだ。


よく、周りの繊細な方から、「自分は他者との境界線を引くのが下手だ」という話を聞く。
気づいたらその境界線を超えて人助けをしたり、自己犠牲している、人の愚痴を聞き入れすぎたり、要求に応えすぎてしまう、とも。

私も長くそちら側にいた。でも今は、線を引くのが上手くなった……というわけはない。

引こうとしなくても、家があるので、もう壁が立っている。

今、その壁を、私は滅多に崩さない。簡単に人を招き入れないし、窓を開けっぱなしにして自由に中を見せる、ということもしない。
だから、安全が保たれている。

そして、その安全が、他人との間に、自然と線を引いている。
これが私が得られたと感じている、境界線だ。

そうなってから気づいた。
私がずっと欲しかったあの「自他の境界線」というやつは、
頑張って、なんかペンみたいなものでピーっと引く、みたいなイメージじゃなくて、
本質的には、ただの「家の壁」だった。

それができるためにはまず、自分の心に安全基地を作ることが先だった、というわけだ。


私がこの数年かけて生きやすくなったのは、強くなったからでも、人を悟って「卒業」したからでもない。

確かに結果的にそうなってるところはあるとは思うけど、
実際には順番が違う。

私がやってきたこと。それは今までの他の記事でも何度も言っているけれど…

自分の本音と、誰にも言えなかった自分の気持ちややりたいことに、極限まで寄り添った。自分を甘やかして、自分にしか聞かせないわがままを、いくつも引き出した。誰にも見せない場所で、まず自分が自分の側に、完全についた。

全部それが、スタート地点だった。

社会と正しくつながるために、コミュニケーション能力を手に入れようとか、
人との境界線を作るために、自制して賢くなろうとか、
そっちが先じゃない。

というかそれは生まれたばかりの赤ちゃんに筋トレさせるようなものなんじゃないかな、と思っていて。

ここでわかりやすいように、ちょっと私的な話をするんですが。
最近わたし、強くしたいインナーマッスルがありまして(姿勢改善のために)。
それでその筋肉について調べると、「とにかくほぐしましょう!」という意見も「モリモリ鍛えましょう!」と言う意見も両方出てきたので、
「どっちなんでしょうか?」と整体師さんに聞いたんです。

そしたら「それはどっちも正しいんですが順番があって、ほぐしてから、鍛えるんです。」という答えが返ってきました。
さらに「そもそもの話、そのインナーマッスルがどこにあるのか(どれなのか)わからないとそれはできないですよ(なので一緒に探しましょう🙌)」とも言われました。

これは、心の筋肉や自他の境界みたいなコミュニケーション筋肉にも同じことが言えるんじゃないかと思うんです。

元々何かがあって失っていた境界線(家の壁)を、いきなり建設しましょう、というのは、実は難しい話で。
それよりまずは、自分にとって家となる場所がどこにあるかを探して、
まずはその安全な場所にちゃぶ台とお菓子とコーヒーだけでも用意して、自分にとって「ほっ」とできる場所にして、
それから初めて、そこに家ができてきて、力のある「境界線(壁)」ができる……そんなイメージ。
(そうなった先に、自然と受け入れ口となる玄関や庭もできて、外との「つながり」も生まれる。)

コミュニケーションの全ての出発点は、自分の心の中にある、安全な家なんだ。

そして家という区切られた自分の空間があるから、
中がはっきりすると同時に、外に何があるのかも、明確に見えてくる。

ここで初めて、「人に期待しない」という考え方も出てくる。

他者ができることは、無限ではない。限られている。
私が他者にできることも。
ただ、それを傷つきながら知るのと、安全な場所から、そうか、と知るのとでは結構違う。

もし自分の中が空っぽのまま、「外に期待するな」と言われたら、それはただの我慢で、絶望に近い苦行だと思う。

「人に期待しない」というのは、冷たくならないといけないわけでも、ニヒリストにならないといけないわけでもなく、
自分の心の中に安全な「家」ができて初めて、自然と生まれるただの認知だった。


私がこのnoteで何度も何度も、「自分に優しくしよう」「自分を甘やかそう」というのは、
厳しいことを全部避けるためじゃなく、「順番が全てだから」という話をしたいからだ。

自分に優しくするのが先。
自分をボロボロにしない道を考えるのが先。
自分の心の安全基地を作るのが先。

何かを頑張るとか身につけるとか、心の筋トレは、後。(もしくは自然に筋肉ができるので、いらない)

そして対人関係とか、自分の内面について悩む人ほど、ついつい自分に厳しくしすぎて、その順番を間違えやすい(すぐ心の筋トレに走る)ことを、自分の体感を通して知っている。

だからやっぱり何度でも話していきたいことだ。



―――――

ここまでお読みいただき、ありがとうございます💐

もし何かためになることがあったら、スキしてもらえると嬉しいです🌻

今回は、「自分の心の中に安全基地を作る」の内容までは触れられなかったから、
そのヒントになりそうな記事をいくつか🌿


また現在、質問も募集中です、詳しくはこちらをご確認ください。

Xもやってます。


いいなと思ったら応援しよう!

とうら よかったらサポートお願いします。いただいたサポートは、次の文章を書くエネルギーに使わせていただきます。