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隣の席で、覚えたこと

自分のことを振り返ってみると、勤めた会社の「判断の基準」を研修で覚えた記憶が、ほとんどありません。

覚えているのは、もっと何気ない場面のほうです。隣の席の先輩や同僚が、少し面倒な案件をどう扱ったか。会議が終わったあと、誰に何をひとこと言い添えていたか。数字にも議事録にも残らない、名前のつかない時間が、記憶のいちばん深いところに残っています。

いま思えば、あそこで一番大事なことを学んでいたのだと思います。

会社の文化というものは、研修や社内報のような整った経路ではなく、こういう名前のつかない時間を通って伝わっていくのではないでしょうか。教わったから身についたのではなく、居合わせたから、いつのまにか覚えていた。

だとすれば、居合わせる時間が薄くなったとき、真っ先に何が起きるのか。——この数年、いくつもの会社で、その答えを見てきた気がします。

消えたのは、雑談ではなかった


リモートワークが一気に広がったころ、最初に騒がれたのは、実務的なことでした。通信環境、押印、勤怠の管理。それらがひととおり落ち着いたあと、少し遅れて聞こえてきたのが「雑談がなくなった」という声だったと記憶しています。オンラインで雑談の時間を設けてみた、という会社の話も、いくつも耳にしました。

私も最初は、そういうことなのだろうと受け取っていました。けれど、いくつかの会社に伴走しながら、少し違うのかもしれない、と考えるようになりました。

消えたのは雑談という会話そのものではなく、雑談が置かれていた「余白」のほうではないか、と。

ここで言う余白とは、予定表に入らない時間のことです。会議でも作業でもない、用件が始まる前と終わったあと。互いの様子が目に入り、用のない一言を交わせる、あの数分間のことです。

「ちょっといいですか」の“ちょっと”が成り立つのは、相手の様子が視界に入っているからです。手が空いているらしい。今日は少し立て込んでいるらしい。そういう手がかりが先にあって、はじめて人は小さな相談を差し出せる。画面の向こうでは、その手がかりが消えます。残るのは「会議を設定する」という、少しだけ重たい選択肢です。

こちらから様子を聞きに行く。相談されたら、確かに応える。信頼というものは、その往復の積み重ねの中で育っていくものだ——というのが、変革の現場に立って学んだことでした。ただ、積み重ね方を工夫する前に、その往復の入口のほうが静かに細くなっていた。そういうことだったのかもしれません。

出社を求める理由を、読んでみると


実は、同じことに気づきはじめているのは、現場に伴走する側だけではないようです。

このところ、海外の大手企業が週3日、週5日と出社を求める動きが続き、日本でも大きな会社が続いています。その発表文を読むと、挙げられている理由がどこも似ています。部門を超えた連携。偶発的な出会い。人が育つ場。——業務そのものではなく、業務の周りにあったものばかりです。

なかでも、ある海外の大手企業の経営トップが社員宛ての文書に書いていた一節が、印象に残っています。こんな趣旨でした。——この変化でいちばん割を食うのは、ここ数年で入った新しい社員だ。先輩の席まで数歩あるいて「これ、どうやるんですか」と聞く。その何気ないやりとりの積み重ねで、人は仕事を覚えていく。画面越しでは、それが起きにくい、と。

ずいぶん正直な指摘だと思いました。制度でも指示でもなく、同じ空間で時間を過ごしているという、ただそれだけのことが、いちばん静かに人を育てていた。それが薄くなったとき、まず影響を受けるのは、まだ社内に頼れる相手のいない人です。

そして、この損失には、困った性質があります。誰の目にも映らないのです。

教える側は、自分が新人だったころ、名前のつかない時間からどれだけ多くを吸収していたかを、ほとんど覚えていません。自然に覚えたことは、教わった記憶として残らないからです。だから、いまの新人がそれを吸収できていなくても、何かが欠けているとは気づかない。一方、新人本人も、自分が何を聞き逃しているのかを知りようがありません。見たことのないものは、恋しくなりようがないのです。

悪意のない損失は、話題にものぼりません。出社する日としない日が人によってばらばらな会社では、「あの人がいない日に大事な話が済んでいた」ということまで重なって、この見えなさはさらに増していきます。

大きな会社が、取り戻そうとしているもの


そもそもリモートワークが制度として根づいているのは、大きな会社や一部の業種に多い傾向があります。中小企業では、全員出社という会社も、まだ少なくありません。だから、出社回帰のニュースは他人ごとに見えるかもしれません。

けれど、見方を変えると——大きな会社が新しいオフィスに投資してまで取り戻そうとしているのは、多くの中小企業が、もともと当たり前に持っているものです。社長の顔が見える。隣の部署の様子がわかる。新しく入った人が、誰にでも聞きにいける。その距離の近さは、実はかなりの資産なのだと思います。

同時に、こうも思います。人が集まってさえいれば、余白があるとは限りません。

リモートワークとは縁のない、ずっと全員出社の会社でも、同じことは起きます。人が増えて、フロアが二つに分かれた。営業が忙しくなり、直行直帰が増えた。立ち話で済んでいた調整に、会議の枠が要るようになった——どれも、会社が順調に育ってきた証しです。けれど、同じ建物にいても、互いの様子が目に入らなくなれば、余白は静かに痩せていきます。

余白を細らせるのは、リモートワークだけではないのです。会社の成長そのものが、少しずつ余白を食べていく。成長を止めるわけにはいかない以上、これは、育っていく会社が必ず一度は通る問いなのだと思います。

つまり、こういうことなのだと思います。かつては、オフィスという場所が、誰と誰が顔を合わせ、何気ない一言を交わすかを、勝手に決めてくれていた。その仕事を、これからは人が引き受ける番になった。出社日を何日にするかという議論は、その入口にすぎません。

決める、といっても、大がかりな制度の話ではありません。たとえば、新しく入った人の隣に、誰が座っているか。それを偶然に任せず、一度だけ意識して選んでみる——その程度の小さなことから、余白は少しずつ戻っていくように思います。

CULTIVA(リンク:第2記事「CULTIVAとは」)で、私が参加者の方お一人ずつとお会いする時間を必ずいただくのも、たぶん同じ理由からです。まとめてうかがえる話と、一人ずつでなければ出てこない話は、はっきり違うので。

新しく入った方が、この会社らしい判断の仕方をどこで覚えているのか。——この問いに、すぐ答えが浮かぶ会社は、きっと強いのだと思います。
浮かばないとしても、責められる話ではありません。かつてはその答えを、余白のほうが引き受けてくれていたのですから。

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