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96日目:禊でなぜ神々が生まれたのか?―『古事記』を古代の「組織再編」として読む

『古事記』では、伊邪那岐命が黄泉国から帰って禊をすると、衣服や水、目や鼻から次々と神々が生まれます。

神話だから、と言ってしまえばそれまでです。

ですが、もし「神が生まれた」という表現の裏に、一族の分派、新しい役職の設置、功績を挙げた集団の台頭が隠れているとしたら、どうでしょうか。

今回は定説を紹介するというより、古事記を古代の組織再編の記録として読んだら何が見えてくるのか、私なりの案を共有してみます。

【前提】『古事記』は史実ではないが、古代の歴史を映している

文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは、日本文化について書いた『月の裏側―日本文化への視角』の中で、西洋では神話と歴史の間が深く隔てられている一方、日本では両者の間に親密なつながりがあると述べているそうです。

これは「古事記は世界で最も史実に忠実な神話だ」という意味ではありません。
調べた範囲では、「日本では神話と歴史が連続している」というのが本人の指摘に近い表現でした。
筑波大学の論考でも、この発言が出典とともに紹介されています。

國學院大學の研究事業も、神話や氏族伝承はそれ自体が史実ではないものの、律令制以前の王権や氏族を考える史料になると説明しています。

しかし、誰と誰が同じ系譜へ置かれ、誰が祖先とされ、誰がどの役割を与えられたのか。
そこには、物語がまとめられた時代の政治や社会が反映されているのではと考えています。。

【原典】黄泉比良坂の後の禊で、何が生まれたのか

日本神話には以下のような逸話があります。

亡くなった伊邪那美命を伊邪那岐命は黄泉国へ迎えに行行きました。
色々あり黄泉の存在に追いかけられながら逃げ帰り、黄泉比良坂(黄泉への通り道)を大きな岩で塞ぎます。
そこで伊邪那美命と別れた後、「穢れた国へ行ってしまった」として、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊を行います。

まず杖、帯、袋、衣、袴、冠、腕輪などを脱ぎ捨てるたびに神が生まれます。
次に水へ入り、黄泉国の穢れから禍津日神、その禍を直すために直毘神が生まれます。

さらに水の底、中ほど、水面で綿津見神と筒之男命の三組が生まれ、
最後に左目から天照大御神、右目から月読命、鼻から須佐之男命が生まれました。

この順序は、國學院大學の「みそぎ①」「みそぎ②」で、本文と注釈を確認できます。

【仮説①】「神が生まれる」は、一族や役割の分派だった?

では、「神が生まれる」を、人間社会の言葉へ置き換えてみます。

新しい一族が分かれた。
既存の集団が新しい名を与えられた。
特定の仕事を担う集団が、公式の系譜へ登録された。

そんな出来事だったとは考えられないでしょうか。

これは完全な空想とも言い切れません。
禊で生まれた三柱の綿津見神を、『古事記』自身が海人系氏族である阿曇連の祖神だと記し、三柱の筒之男命は住吉三神として示しているそうです。
國學院大學の解説でも、禊の三神は阿曇連という特定氏族の祖神として整理されています。

つまり、この場面には少なくとも実際に、「神の誕生」と「氏族の祖先」が接続していると解釈できる箇所があります。

もちろん、すべての神を実在の人間や氏族へ一対一で置き換えるのは乱暴です。
自然、祭祀、土地、職能、氏族が一柱の神に重なる場合もあるでしょう。

それでも、禊を一つの大きな組織再編と考えるなら、衣服から生まれた神々は役職や身分の切り分け、水から生まれた神々は海上交通や祭祀を担う集団の再配置、と読む余地が出てきます。

【仮説②】穢れ・直毘・十拳剣は、腐敗と武功の記録だった?

ここからは、さらに想像を広げます。

伊邪那岐命と伊邪那美命が、二つの勢力による共同統治を表していたとします。
伊邪那美命の死と黄泉国での決裂は、一方で起きた腐敗や内紛。
黄泉比良坂を塞ぐ行為は関係断絶。
そして禊は、残った側が人と役割を洗い直す再建作業だったのかもしれません。

穢れから禍津日神が生まれ、その禍を直すために直毘神が生まれる流れも、妙に組織的です。

不正が見つかり、問題の所在が名付けられ、それを修正する人々が立つ。
もし黄泉側から離反して情報をもたらした者がいたなら、向こうから見れば裏切り者、こちらから見れば内部告発者です。
神話に告発者の記述はありませんが、「穢れから神が生まれる表現は、禍と修正の働きが表に出た」と考えられます。

その仕切り直しで、責任を取らされた人や、古い役職とともに切り離された一族もいたのではないでしょうか。

一方、十拳剣の血から生まれた建御雷神は、後に国譲りの交渉を成功させ、神武天皇を霊剣で助けます。
國學院大學の神名解説でも、刀剣神としての性格と働きが整理されています。

剣から生まれた神が、後の物語で軍事や制圧に近い功績を挙げる。

これを、争乱で武功を挙げた一族が新体制の有力者として系譜へ組み込まれた記憶だと読むと、なかなか筋が通ると思いませんか?

【仮説③】天照大御神を中心にした再編は、女神の統治を残した

禊の最後に生まれた三貴子には、伊邪那岐命から統治領域が割り当てられます。

天照大御神には高天原、月読命には夜の国、須佐之男命には海原。

なんだか、新しい組織図の発表のようにも見えます。

ここで興味深いのは、伊邪那美命との決裂後も、最高位に女性神である天照大御神が置かれたことです。

もし伊邪那美命側のすべてが排除されたのなら、男性中心の統治へ切り替わってもよさそうなものです。
しかし物語は女性による統治を否定せず、新しい女神へ中心を引き継がせました。

ならば、切り離されたのは腐敗した一部だけで、女性を中心に据える正統性や役割は、天照大御神へ移して守られた。
そんな読み方もできるのではないでしょうか。

ただし、ここから「古代日本は女系継承だった」と断定することはできません。
言えるとしても、女神を統治の中心に置く発想が重要だった、というくらいでしょうか。

そして新体制も、すぐには安定しません。須佐之男命は任された海原を治めず、泣き続け、最後には高天原から追放されます。

大きな再編の後、任命された責任者の一人が役割を果たせず、更迭された。

そう読むと、急に神話が人間くさくなってきます。

【結び】神話は歴史の答えではなく、失われた出来事への問い

SEっぽく言えば、『古事記』は古代社会の完全なログではありません。

複数の土地や氏族の記憶を、神々の系譜と物語へ圧縮したデータです。
圧縮率が高すぎるうえ、仕様書も残っていません。
元の出来事を完全には復元できないでしょう。

それでも、誕生、祖神、役割を追えば、当時の人々が残したかった関係を手繰ることはできます。

禊は、決裂後の切り分けと再配置だったのか。
穢れから現れた神々は、腐敗した者、離反した者、問題を正した者たちの記憶なのか。
天照大御神の誕生は、一部を切り離しながら女性を中心とする正統性を残す再出発だったのか。

どれも、今のところは私の解釈です。

けれども神話は、答えを信じるためだけのものではなく、失われた歴史へ問いを投げるための地図としても読めるのではないでしょうか。

この考えの補完や先行研究や批判反論何でも楽しみにしているのでコメントにぜひ。


今回も最後までご覧いただきありがとうございました٩( 'ω' )و

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