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「能」の源流とされる渡来人「秦河勝」と播州・赤穂に刻まれた足跡「大避神社」 姫路 江崎家での素晴らしい『能』体験: 外国人ゲストも大感動!

こんにちは。

トリリンガル讃岐PRオフィサーの森啓成 (モリヨシナリ)です。

いつも当サイトをご支援頂き誠にありがとうございます。

今回は、日本の伝統芸能「能」の源流についてです。

2025/11/30に姫路の江崎家で、能の鑑賞(「敦盛」の一節)と能体験(小鼓、すり足、装束着衣)をしてきました。そこで、能の源流は、渡来人の秦河勝なのかを尋ねてみました。

ぜひ、最後までお付き合い頂ければと思います。



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世界最古の舞台芸術「能」の源流とされる渡来人「秦河勝」と播州・赤穂に刻まれた足跡



1. 渡来人「秦氏」がもたらした文明


3世紀から7世紀頃にかけて、中国や朝鮮半島から多くの人々が日本列島に移住しました。

彼らは「渡来人」と総称され、漢字、仏教、建築技術など、当時の最先端の知識と技能を古代日本に伝えました。

その中でも「秦氏(はたうじ)」は一大勢力を形成し、後の日本の産業と文化の基盤を築いた、極めて功績の大きな一族とされています。

秦氏が日本を目指した背景には、中国における戦乱や朝鮮半島での抗争があり、彼らは当時の東方における理想郷と見なされていた日本に安住の地を求めたと考えられています。

5世紀頃に来日した秦氏は、元来、高度な専門技術を持つ職能集団でした。

彼らは、治水を通じた灌漑、製鉄、鉱山開発、酒の醸造、養蚕と絹織物の製造といった先進的な技術をもたらし、日本の殖産興業の礎を築いたと言えます。

そのため、当時のヤマト朝廷からも厚い信頼を得ていました。

また、日本で最も数の多い八幡神社や、穀物の神を祀る稲荷神社の信仰を伝えたのも秦氏であるとされています。



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2. 秦河勝と日本芸能の淵源


6世紀に入ると、秦氏の指導者的人物であった秦河勝(はたかわかつ)が、政権の中枢にいた聖徳太子の有力な側近として手腕を発揮します。

秦河勝と聖徳太子には、日本の芸能の起源にまつわる有名な逸話が残されています。

ある時、聖徳太子が河勝に物まねを命じたところ、その卓越した技芸に感銘を受け、太子は彼に66個の仮面を与えたとされます。

これが、神に奉納する歌舞である神楽(かぐら)の始まりと伝えられています。

秦河勝はこの芸を後世に継承し、神楽は後に申楽(さるがく)へと発展し、さらに「能」として大成されました。

能を完成させた観阿弥・世阿弥の親子も河勝の末裔であると伝えられています。

世阿弥が著した能の伝書『風姿花伝』には、能の始祖は秦河勝であり、自身はその子孫である旨が明記されています。

加えて、奈良時代から日本の古典音楽である雅楽を代々継承してきた東儀家も河勝の末裔とされており、このことからも秦河勝は日本の芸能・音楽の創始者と位置づけられるでしょう。



🔸秦河勝



🔸風姿花伝






3. 秦河勝と播磨・赤穂の深い関わり


その秦河勝にゆかりの深い地が、播磨・赤穂の岬から北東の海沿いに位置する坂越(さこし)の町です。

中央で要職にあった彼がなぜこの地に至ったのか。聖徳太子の死後、河勝は蘇我氏との政争に巻き込まれ、摂津難波の浦(現在の大阪)から船で逃れ、この坂越に漂着したと伝えられています。

当地に定着した秦河勝は、千種川流域の開拓などを推進し、数々の功績を打ち立てた後、80歳を過ぎて生涯を閉じました。

地元の人々は彼の霊を大避大神として祀り、これが坂越の大避(おおさけ)神社の創建に繋がりました。

この大避神社には、日本の古典音楽である雅楽の舞楽面「蘭陵王」が神宝として伝わるほか、雅楽を伝承する宮内庁楽部の大絵馬も奉納されており、当神社が雅楽と極めて深いつながりを持っていることを雄弁に物語っています。



🔸大避神社




・JR坂越駅から大避神社は徒歩25分くらい。坂越駅は、JR赤穂線の「赤穂線」の相生駅と播州赤穂駅の間に位置しています。



🔸秦河勝は兵庫県赤穂市坂越(さこし)の地で亡くなったと伝えられています。

伝承によると、聖徳太子の死後、蘇我入鹿の迫害を避けた秦河勝は、船で摂津難波の浦(現在の大阪)から逃れ、播磨の坂越に漂着しました。

没年(伝承):
大化3年(647年)

終焉の地(伝承):
播磨国 坂越(現在の兵庫県赤穂市坂越)

墓所(伝承):
坂越湾に浮かぶ生島(いきしま)に葬られたとされ、島内には河勝の墓とされる古墳(生島古墳)があります。

地元の人々は、河勝の霊を大避大神として祀り、大避神社(おおさけじんじゃ)を創建しました。大避神社は今も坂越の地にあり、秦河勝との深いゆかりを伝えています。





4. 赤穂に残る秦氏繁栄の遺産


赤穂郡の千種川沿いには、秦氏の繁栄ぶりを偲ばせるように大避神社が約30社も連座しています。

また、坂越の浦には秦氏が開掘したとされる大泊金山も存在します。

これらの豊富な痕跡から、坂越は秦河勝が逃れてくる以前から秦氏が集落を築き、金山開発や治水事業を行っていた、いわば「秦王国」と呼ぶべき拠点が形成されていたのではないかという説も提唱されています。

今日においても、赤穂市立図書館に本部を置く「秦氏を学ぶ会」が精力的に研究を継続しており、この地と秦氏との歴史的な関係性は現代にも強く息づいています。

このように渡来人に光を当てて各地の歴史を深く探求することで、日本の歴史はより一層、重層的で豊かな色彩を帯びてくることが理解できます。




🔸大避神社(おおさけじんじゃ)
兵庫県赤穂市坂越(さこし)の宝珠山麓にある神社。旧社格は県社。瀬戸内海三大船祭りの1つ「坂越の船祭り」(重要無形民俗文化財)で知られる。祭神は秦河勝。










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姫路 江崎家での能鑑賞と能体験



2025/11/30に姫路 江崎家にて能体験に参加してきました。

能体験では、能のすり足、小鼓、衣装着用があり、敦盛の一節を鑑賞すると言う内容でした。

参加された外国人ゲストの方たちも非常に満足し、感動していました。

このコンテンツは、江崎欽次朗(えさききんじろう)さんにより企画され実施されたものですが、感動の多い充実した体験型コンテンツでした。

富裕層FIT向けコンテンツとして、旅行会社や通訳ガイドの方にお薦めです。

能体験の途中に、江崎欽次朗(えさききんじろう)と名刺交換をした際に、「能の創始者は、観阿弥ですが、大元は秦河勝にあるのではないですか?」と尋ねたところ、やはり能の源流は兵庫県の坂越にある大避神社に祀られる渡来人の秦氏の族長だった秦河勝とのことでした。

私の先祖には阿波板野の秦氏の血が入っていると言うと、江崎家の先祖は、徳島藩祖の蜂須賀家政の従弟の青山宗勝という方だったとのことでした。

青山宗勝(修理亮)という武将で、天正(1573〜1592)の頃に越前の丸岡城主であり、宗勝は、徳島藩祖の蜂須賀家政の従弟にあたり、丹羽長秀の娘婿であったようです。


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能を大成させた人物(近世能の創始者)


能楽が現在の芸術形式として大成され、その地位を確立したのは、室町時代の観阿弥、世阿弥の親子です。

観阿弥(かんあみ):
南北朝から室町時代初期の能役者。当時の雑多な芸能であった「申楽(さるがく)」に、優美な「曲舞(くせまい)」や力強い「田楽(でんがく)」の要素を取り入れ、幽玄な芸風を創始しました。彼が能の基礎を築いたと言えます。


世阿弥(ぜあみ):
観阿弥の息子。父の芸をさらに深化させ、「幽玄(ゆうげん)」を最高の美とする能楽を完成させました。また、『風姿花伝』をはじめとする数多くの理論書を書き残し、能楽を芸術として体系化しました。

この二人は、現代に伝わる能楽の直接的な創始者であり、中興の祖と見なされます。



能の源流に位置する人物(芸能の祖)


能楽の源流、すなわち申楽(さるがく)の遥か古の祖とされる人物は、飛鳥時代の秦河勝です。

秦河勝(はたかわかつ):
聖徳太子の側近として活躍した渡来人系氏族・秦氏の族長的な人物。

聖徳太子から66個の面を与えられ、物まねの芸を始めたという伝説があり、これが神楽(かぐら)や申楽(さるがく)の起源とされています。

世阿弥が記した能の伝書『風姿花伝』にも、能の元祖は秦河勝であり、自分はその末裔である旨が記述されています。

秦河勝は、能楽が成立するはるか以前の、日本の芸能・音楽全体の始祖の一人とされています。





🔸姫路 江崎家 能体験






🔸能体験

https://expo2025-hyogo-fieldpavilion.jp/program/141




🔸江崎欽次朗さん




🔸江崎家での能体験






江崎家の歴史


ワキ方福王流の名門である江崎家は、江戸時代からおよそ300年にわたって姫路を拠点に活動を続けてきました。

家伝によれば、その先祖は青山宗勝(修理亮)という武将で、天正(1573〜1592)の頃に越前の丸岡城主であったとされます。


宗勝は、徳島藩祖の蜂須賀家政の従弟にあたり、丹羽長秀の娘婿であったとも伝わります。

この宗勝の子孫とされる江崎隼人が、初めて江崎姓を名乗った人物とされ、その姓は蜂須賀家政から賜ったと伝えられています。

能楽師の家系としての江崎家初世は、隼人の孫にあたる江崎正左衛門直継(直次、1721年没、77歳)です。

直継はもと春藤流のワキ方で京都在住でしたが、姫路藩主本多忠国の時代に召し抱えられ、元禄8年(1695年)に姫路に移住しました。

福王流へ転流したのは2世江崎正左衛門直行(1754年没)の時代とされますが、詳細は明らかになっていません。

以後、江崎家の当主は明治維新を迎えるまで、代々姫路藩のお抱え能楽師として活動しました。




近代の歴代当主


明治・大正・昭和の激動の時代に能楽を守り広めた4人の当主。

7世: 江崎金次郎直郷(1832年〜1896年)

8世: 江崎文次郎直雄(1862年〜1925年)

9世: 江崎金次郎(欽次朗)直康(1889年〜1970年)

10世: 江崎金治郎直質(1912年〜1987年)



・姫路 江崎家






備前焼・伊部・忌部氏の関係性



1. 備前焼と伊部(いんべ)地区


伊部(いんべ)は、現在の岡山県備前市にある地区であり、約1000年以上の歴史を持つ備前焼の主要な生産地、すなわち登り窯と陶工が集積する中心地です。

備前焼の名称は、この地域がかつて備前国(びぜんのくに)に属していたことに由来します。

伊部地区の地名そのものが、古代の氏族「忌部氏」に由来すると考えられています。


2. 伊部と忌部氏(氏族と地名の起源)


忌部氏(いんべし)は、古代において朝廷の祭祀(神事)に関わり、土器や玉、織物など祭具の制作を担っていた有力な氏族です。

「忌部」という名前は、「斎部(いんべ)」(神を斎(いつ)きまつる者)が転じたもので、祭祀に必要な特別な技術を持つ集団を指していました。

この忌部氏の一部が、後に備前国へと移住し、その定住地が「忌部」と呼ばれるようになり、やがて現在の地名「伊部」へと変化したという説が有力です。



3. 備前焼と忌部氏(技術と伝承)


忌部氏は、土器制作に関する高度な技術を持っていました。

備前焼のルーツは、平安時代に伊部地区で焼かれていた須恵器(すえき)にあるとされています。

須恵器は、忌部氏が関わっていた祭祀用の土器や、その技術の流れを汲む製品であった可能性が高く、忌部氏が持っていた製陶技術や土を扱う知識が、備前焼の基礎を築いたと考えられています。

すなわち、忌部氏が伝えた古代の技術と、祭祀と結びついた土器制作の伝統が、中世以降の無釉(むゆう)で焼締めの備前焼の技術へと継承されていったという構造が考えられています。

まとめると、伊部という地名は忌部氏に由来し、その忌部氏が持っていた土器制作の技術が、この地で備前焼という形で現代まで受け継がれてきた、という関係性で結びついています。


・大避神社がある坂越駅から西へ40分ほど列車に乗ると伊部(いんべ)駅がある。ここは、備前焼の里で忌部氏が居住していた土地です。


・伊部町(いんべちょう)
かつて岡山県南東部(備前地域)に存在していた和気郡の町。



・備前焼(びぜんやき)
岡山県備前市周辺を産地とする陶磁器。日本六古窯の一つに数えられる。備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」との別名も持つ。同地区で数多く見られる煉瓦造りの四角い煙突は備前焼の窯のものである。



・讃岐忌部氏の拠点だった香川県三豊市豊中町と大麻山の古墳。 忌部神社、麻部神社、粟井神社、大麻神社。 阿波忌部氏と協力して讃岐平野に麻を植えて開拓した。



・伊部駅の北側に位置する和気町は、和気 清麻呂(わけ の きよまろ)の出身地にある。





著者のプロフィール




森啓成 (モリヨシナリ)


海外ビジネスコンサルタント、全国通訳案内士 (英語・中国語)、ビジネス英語講師


神戸市生まれ、香川県育ち。米国大学経営学部マーケティング専攻。

大手エレクトロニクス企業にて海外営業職に20年間従事(北京オフィス所長)。

その後、香港、中国にて外資系商社設立に参画し、副社長を経て顧問に就任。

アメリカ、シンガポール、中国、ベルギーなど、海外滞在歴は計16年以上。


現在はBizconsul Office代表として、海外ビジネスコンサルタント、全国通訳案内士(英語・中国語)、ビジネス英語講師として活動中。

観光庁インバウンド研修認定講師、四国遍路通訳ガイド協会会員、トリリンガル讃岐PRオフィサーも務める。



【保有資格】

英語:
全国通訳案内士、英検1級、TOEIC L&R: 965点 (L満点)、TESOL (英語教授法)、国連英検A級、ビジネス英検A級

中国語:
全国通訳案内士、香川せとうち地域通訳案内士、HSK6級

ツーリズム:
総合旅行業務取扱管理者、国内旅行業務取扱管理者、国内旅程管理主任者、せとうち島旅ガイド (瀬戸内国際芸術祭2019公式ガイド)



【メディア・研修実績】

香川県広報誌「THEかがわ」インタビュー記事掲載。

瀬戸内海放送(KSB)及び岡山放送(OHK)ニュース番組コメント。

観光庁インバウンド研修認定講師として地方自治体や宿泊施設で登壇。

四国運輸局事業コンサルタント、 瀬戸内国際芸術祭オフィシャルツアー公式ガイド

香川せとうち地域通訳案内士インバウンド研修講師認定試験の面接官を務める。


・香川県登録通訳案内士サイト



・座右の銘は「雨垂れ石を穿つ




・全国通訳案内士登録証 英語


・全国通訳案内士登録証 中国語

・香川せとうち地域通訳案内士登録証 中国語

・四国遍路通訳ガイド協会会員証

・観光庁インバウンド研修認定講師




以上


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