先生の「本気」が、私を世界に連れてきた。
私の人生で最初のロールモデルは、小学校1、2年生の時の担任だったK先生だ。
服装から指先までいつも丁寧にこだわっていたK先生は、その可愛らしい見た目からは想像がつかないほど厳しかった。私はとにかく自己主張が強く、嫌いなものは絶対に食べようとしないし、友達と小さなことで喧嘩しては絶対に譲らない。いわゆる”手のかかる子”だったと思う。
なんでも気づく先生の視線は、良くも悪くもで、毎日のように叱られていた。けれど、同時にどんな小さなことでも見つけてもらえて「りこちゃんよく頑張ったね!」と花丸をもらうのが本当に嬉しかった。
笑って、泣いて、悔しくて、考えて、また笑う。そんな毎日の繰り返しだった。
他のクラスの宿題が月に数回という中、私のクラスだけは毎日、ひらがなドリル、漢字ドリル、計算ドリルを進めなくてはならなかった。みんなで「なんで〜」と不満を言いつつも、なんだかんだ毎日やっていた。
"手のかかる子"の自覚はあったけど、"どうしようもない子"とは思われたくない。そんなプライドが、私を動かしていた気がする。
1年生も2年生も、3学期はドリルの代わりに「自学ノート」を毎日課された。勉強の復習でも、気になったことの調査でも、時間がなければ日記でもいい。
今でも、鮮明に覚えている日がある。
ただその日にあった出来事だけを書き連ねて提出した日。放課後、K先生に呼び出された。いつも通り怒られるのかな、と最近の自分の行動を必死に思い返していた。
先生は、私のノートを見て、静かにこう尋ねた。
「りこちゃんは、どう思ったの?」
その一言が、雷に打たれたように嬉しかった。
自分でも「つまらない日記を書いたな」とは思っていた。たぶん、無意識のうちに試したのだと思う。いつも自分の意見ばかり言う私が、あえて感想を書かずに提出したら、先生はどうするだろうか、と。
先生が、しつこく向き合い続けてくれた分、私もしつこく自分らしくいられるようになった。
もちろん、出会った先生みんなが好きだったわけではない。
「あなたのため」という言葉を盾に、大人の都合を押し付けてくる人もいた。大人を信じられなくなり、勉強は自分でやった方が効率がいい、学校に行きたくないと、コロナ禍の公欠をいいことに休んでばかりの時期もあった。
変わらず一緒にいてくれる友達がいなければ、不登校になっていたかもしれない。昔から知ってる友達によると、とにかく性格は以前とは比べ物にならないくらい暗くなっていたらしい。
委員長とか生徒会で、古くからある体制を変えようとして、仲間を見つけて戦って、でも区切りをつけて、代わりに学校のそとに居場所を見出して世界に挑戦していくことがしっくりきていた。
「あなたとは分かり合えないですね。残念です」
ある先生に、最後に会ったとき、そう言い放たれた。
一線を引かれて、違うからどうでもいい、そんなメッセージが辛いというより悲しかった。
毎日会っていたはずなのに、全然覚えていない先生もいる。
当たり障りのない話しかしていなかったからかもしれない。
無関心より、中途半端な関わりより、いっそはっきり傷つけられた方がいい。その時は辛くても、乗り越えられれば強くなれる。ぶつかることを避けていたら、何も得られない。
12歳の私に刺さった、生徒と本気でぶつかる教師を描いたドラマ『女王の教室』のように、本気で向き合ってくれる、信念のある大人が好きだった。
と、今は思っているけれど。
選んだ道、起きた道を正解にするのが人生だから。
でも裏切られたことは、ずんと心に残り続けた。
私が進学した西高は、校則もなく、生徒主体が色濃い、夢に見ていた本当に自由な学校だった。行事に青春に全力で、辞める理由なんてひとつもないと思っていた。
その西高を退学し、海外に飛び出すと決めた時、背中を押してくれたのも担任の先生だった。
私が信じるのは、言葉と、それを裏付ける行動を示してくれる大人だ。
先生は、私が海外研修や学会参加で学校を休む際、いつも他の先生方に事情を説明し、私が挑戦しながらも学校生活を続けられるよう、陰でサポートし続けてくれていた。そんな先生が本気で言ってくれたからこそ、その言葉は響いた。
「お前なら、世界に行っても活躍できる」
その言葉が、私の羅針盤になった。
だからこそ、決めた。先生の言葉を、そして自分の可能性を信じるために、この「辞める理由のない」居心地の良い場所から、あえて飛び出そうと。
西高は、居心地が良すぎたのかもしれない。
ずっと自分の思い通りにいかない環境に身を置いてきた私には、もっと厳しい日常、自分という存在が全く通用しない場所が必要だったのだと思う。
私は今、南アフリカにある、アフリカ全土から学生が集まる高校に留学している。
教育の質は高い。クラスは平均10人ほどで、アメリカのカリキュラムをアメリカ人の同級生と受ける。週に2回もアドバイザリーの時間があり、手厚く相談に乗ってくれる。日本とは、生徒一人当たりにかけられるリソースが全く違う。
でも、気がついてしまった。
授業は、授業でしかない。一切の雑談もない。
日本では当たり前のHR(ホームルーム)もなく、先生の人生を垣間見る瞬間がほとんどない。シラバスやカリキュラムに沿って、どの先生に教わっても同じ授業が受けられるように設計されている。
確かにディスカッションは多く、課題に追われながらも、日本での勉強より自分で表現できる幅が広くて心は楽だ。でも、授業の内容、学びの深さで言えば、私は西高の方がずっと好きだった。
「今日は教科書に載ってないどんなことを教えてくれるんだろう」
そんなワクワクがあった。
覚えるだけ、と思っていた古文や日本史も、先生が持ってきてくれる資料の書き込みの多さ、役に立たない、と言い切った上でどうしたら面白くなるか熱弁してくれ、こんな先生たちに教わるなら、勉強したいと思えた。何より、先生が教えることを本当に楽しそうだった。
留学してから、私はずっと違和感を抱えている。
「なんで、あなたはこれを私に教えてくれるの?」
その先生の人生の哲学や背景が、全く見えてこないからだ。
私の心が動かされた瞬間は、いつも、先生の「本気」を感じられた時だ。
その表面が笑顔でも、無表情でも、怒っていてもいい。
本気で私という一人の人間に向き合い、言葉を届け、それを裏付ける行動で見せてくれた時。
私が通ってきた日本の学校では、小中で35人、高校で40人のクラスを、たった一人の先生が見ていた。それでも、先生たちは私の細かい言動を見て、私に合わせた言葉をかけてくれていた。
幼いながら、私はその「熱量」の違いに、気がついていた。
だから、私は、私という面倒な生徒に向き合い続けてくれた先生たちに、心から感謝をしたい。
しかし、感謝だけでは足りない。この「本気」が、個人の熱意や自己犠牲の上にしか成り立たないのだとしたら、それはあまりにも歪だ。
客観的なデータが、その現実を裏付けている。 OECD(経済協力開発機構)の調査(TALIS 2024)によれば、日本の中学校の教師の週当たり労働時間は55.0時間にのぼり、調査参加国で最長だ。
さらに深刻なのは、その内訳だ。OECD平均と比べて「授業」に費やす時間は短く、「事務作業」や「部活動の指導」といった授業外の業務に、圧倒的な時間を奪われている。
私が動かされてきたのは、K先生の私を見てくれている、と伝わる言葉であり、西高の先生の授業のワクワク感だった。それは「教育の本質」そのものだ。
今の日本の教育現場は、先生たちがその本質的な活動(=生徒一人ひとりと本気で向き合うこと)に時間を使えない構造になっているのではないか。これほどの熱量を持つ先生たちが、なぜ疲弊しなくてはならないのか。
熱い想いを持って、
毎日勉強を、
友達と仲直りする方法を、
理不尽な環境でも希望を持って生きる力を
教えてくれた先生たちが、その情熱に見合った正当な環境で、報われる社会であってほしい。
そのために、私はまずこの現実を知り、そして学び、行動し続けたい。
追記:こちらの記事を拝見し、生徒としての立場しかわからない私にとってとても勉強になりました。
