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はたして障害者の妻は──かわいそうなんだろうか 【続】







障害者の線引き


それは私が、
ずっと感じてきた違和感です。


障害者手帳1級、要介護4、右半身麻痺、高次脳機能障害、失語などなど。


脳出血により、妻はあらゆる障害を背負って生きています。




けれど私には、
妻がそれ以前と何一つ変わったとは思えず。




はたして妻は、
障害者なんだろうかとすら感じています。






日々、介護士やヘルパーの優しい人たちに囲まれて過ごす妻は、

自分の思い通りに動かない私に、
不満を持つことがあります。


──ときには、

『なんで、何もしてくれないの?💢』

とやや感情的に。


私がやらない理由は、
妻がやれることを代わりにやることは、
違うと考えているからです。

『これやって』 『あれして』


という要望に対して、
実際に私が応じることは少ないです。



──なぜなら、



妻に出来ないことは、
要望されなくても分かるので、

言われる前に済ませていることがほとんど。

また、それを全てしてしまうと、
妻が本来できることも出来なくなってしまうから。



……正直、単に面倒なときも多いですが。





──なので妻から頼まれても、


『それは自分でやって。出来るから』


と答えてきました。







私の目線から言えば──


10年に及ぶ介護の中で、

妻を"障害者"として見たことは、
一度もありません。



昨年の健診でも、

介護する私よりも、生活の全てを管理されている妻の方が遥かに健康です。






長く生きていれば、
できないことは大なり小なり増えていきます。


──それは誰もが、同じこと。




では、どれくらい出来ないことが増えると障害者としての線引きされるのか。




──妻いわく、


『それまで出来ていたことが、
出来なくなること』
らしく。




現実は、
その"線引き"がなされた瞬間に、

周りの人たちや社会からは、
それまで以上に優しくされる。


──時には、


妻が出来ることまでやってあげたり、
言葉を選んで話しかけたりと。


ただ、その優しさが逆に、

妻を傷つけているように映ることも少なくもありませんでした。






妻からは、『冷たい人だよね』
と言われることも多々あります。




それでも私は、

妻が出来ないこと以外は、
やらないようにしています。




実はそういった妻との距離感は、
介護の有無に限らず、

結婚して30年変わってはいません。



──やれることは自分で。



これからも妻との介護生活は続きます。


障害者になろうと、妻は妻であり、
それは何も変わりません。




障害者だから、
妻はかわいそうな訳ではなく、

ただ出来なくなったことが、
少し増えただけの話。






──何があろうとも、何も変わらない。



まさに、
病める時も健やかなる時も。




それが私たちの
"夫婦の形"であり、



そして、そこには──


"障害者の線引き"は、
ないと感じてもいます。







はたして障害者の妻は
──かわいそうなんだろうか 【続】
ー終ー



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