見出し画像

はたして障害者の妻は──かわいそうなんだろうか




およそ10年前、
脳出血により妻は障害者になりました。


障害者手帳1級、要介護4、
右半身麻痺、高次脳機能障害、
失語などなど。




妻は立派な"社会的弱者"であることに、
変わりはありません。




──なので周りの人は妻のことを
『かわいそう』と言う人がほとんど。



その言葉に他意はなく、
またそれ以外の選択肢が限られているとも知りつつも、



私は、その『かわいそう』を耳にするたびに、やや違和感を感じています。



はたして──


障害者の妻は、
かわいそうなんだろうかと。






この10年の介護を通して振り返れば、
私は一度も妻を、



『障害者だから、かわいそう』



と思ったことはありません。




──当の妻も同じように、



『かわいそう』と言われるのを嫌い、

同情されたり、下手に優しくされたりすることに、傷ついたりもしていました。





妻の目線で言えば──


自分が出来ることを先回りしてされたり、

失語で辿々しく話したとたんに、
幼い子どもと接するように話し掛けてくる人には決まって、


『あの人は、私を上から見てる』

『私をバカだと思ってる』


どんなに重い障害を負っても──

妻のプライドの高さや中身は、
それ以前と何も変わっていませんでした。






けれど周囲の人たちは、

介護士であれ、昔からの知人であれ、
妻に対しては必要以上に特別扱いをする。


──それを否定するつもりはなく。



否定せず、受け止め、やってあげる。



ただ、その優しさが逆に、
妻を傷つけていることも少なくはありませんでした。

むろん障害者だから、
"やってもらって当たり前"な、
こともなく。


むしろ、"やりすぎる優しさ"は、
本人の本来の力を奪うことにも繋がるとも感じています。






改めて言えば──



私にとって妻は、
"かわいそう"ではありません。



人に支えられながらも、
生活や身の回りのことを気にせずに。

限られた中でも、
自分の好きなことに日々向き合えている。



そう考えれば私から見ても、
妻はとても恵まれていると思うことも少なくありません。


妻のような障害者と向き合うときに必要なのは、『かわいそう』という目線ではなく、




"ひとりの人"として──

いかに、
ただ普通に接するか。




この先も続く妻との介護生活において、
それは大事なことと思っています。




後記:


この記事を書きながら妻に、
『自分をかわいそうって思う?』
と聞けば、

『かわいそうと思う』と。


『じゃあ、俺とどっちがかわいそう?』
と聞けば、

"働きながら介護している私の方"
とのこと。




はたして──かわいそうな人とは。









はたして障害者の妻は
──かわいそうなんだろうか【完】




▼こちらで、続きをもう少し






▼この話のシリーズが収録されたマガジンはこちらからご覧になれます。



▼その他の話やシリーズは、
全体構成【目次】からご覧になれます。


いいなと思ったら応援しよう!

何ごともお気楽に よろしければ応援とフォローをお願いします。 チップはクリエイターとしての活動費にいたします!